『親子であっても別の人間』

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 私には小学生と中学生の二人の子がいますが、『親子であっても別の人間』という言葉を意識するように心がけています。
要は『子供を親の思い通りに動かそうとしない』ということ。
簡単なようでこれがなかなか難しい。

『どうしてそんな事をしたの?』『『どうしてできないの?』
『どうしてそんな事を言うの?』
子供が自分の望む行動をしなかった時、親はなかなかその状況を受け入れることができません。
我が子なんだから期待して当然だと言ってしまえばそれまでなのですが、
『それは本当に子供のためですか?』と聞かれたら『ギクッ』となる親は多いのではないでしょうか?

もちろん、『きちんとした大人に育てて、幸せな人生を歩んで欲しい』
という想いがあるのは真実のうちの1つです。
ですが、『親として』の体裁の裏に『子供が自分の思い通りにしてくれたら安心だから』というエゴが隠されているのもまた真実です。
親としてではなく、自分が安心したいという欲求が含まれているのです。

そういった『親のエゴ』に対し、子供は成長とともに違和感を感じ、反発するようになります。
子供の自立心が育ち、精神的に不安定になる思春期に差し掛かると、そこで衝突が起こります。いわゆる『反抗期』突入です。
親子にとって試練ではありますが、精神的な成長に必要なプロセスでもあります。
大なり小なり訪れるであろうその『反抗期』を、できるだけ寛大にゆったりとした気持ちで乗り越えていけたらいいですよね。
では、一体どうしたら良いのでしょうか?

例えば子供の運転であなたが助手席に座り、ドライブに行く事になりました。
目的地までの行き方が何通りかあるとします。子供にはどんな道を通って欲しいですか?
・通り慣れたいつもの道。
・高速料金はかかるが目的地へは早く着く道。
・通ったことの無い細い山道。
・複雑な住宅地を通るので、迷いそうな道。

おそらく、多くの親が慣れた道や通ったことのある道、目的地に早く着く道を選択するように勧めるはずです。わざわざ通ったことのない山道や、迷いそうな道は勧めないでしょう。
ところが、子供は『通ったことが無い道を行ったほうが楽しそう!』だと言います。
その場合に、”未来への不安”を”冒険”と捉えて『一緒に楽しむ』事ができますか?
『何かアクシデントが起こったら一緒に考えればいい』と前向きに受け止める事ができますか?
そういう『気持ちの余裕』と『信頼関係』が親子間では大切ではないかと思うのです。

人間は『分からない』、『見えない』ことが不安で、恐ろしく感じます
子供に対しても『何をするか分からない』『何を考えているか分からない』から不安になるのです。
そして、自分と子供を切り離して考えられず、子供のすることが分からないと自分の事が分からないかのように、不安になります。
不安だから、ついつい先回りして子供を自分の思い通りに動かそうとしてしまうのです。
それらの言動は、知らず知らずのうちに、子供の学ぶ機会を奪ってしまいます

特に母親にとっては、十月十日も自分のお腹の中にいた訳ですから、
産まれてからも『自分の一部』のような意識が拭えないのも当然かも知れません。
母親が子供に対して過干渉になるケースが多いのもそのためでしょう。

このように、子供の事を『別の人格を持った別の人間』と感じるのはとても難しい事なのです。
ですが、『意識する』だけでも違ってきますし、子供への対応も変化していきます。
『子供を別の人間』なんて”冷たい”とか”放任”と捉える方もいるかもしれません。しかし、言葉を変えれば『子供を1人の人間として尊重する』という意味であり、『子供を信頼する』とも言えるのではないでしょうか?

子育てに行き詰まったりした時に、冷静になれる『呪文』のような言葉です。
是非、思い出してみてくださいね。

kazeyomi



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