でき太くん三沢のひとりごと

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さて、前回は父と私との「かけ違い」について少し触れてみました。
今ではすっかりこの「かけ違い」については解決しています。

お盆やお正月などは実家に帰り、父と仕事のことやお互いの近況などを話したりします。とても過去に「かけ違い」があったとは思えないような雰囲気です。

この父との「かけ違い」は、どのように解決したのか?
今回はこの点について、少し書いてみようと思います。


まず、父との「かけ違い」を解決する上では、私は父に一切の変化はもとめませんでした。

おそらく父は、今も若かった当時とあまり価値観などは変わっていないと思います。
多少まるくなっているところはあるかもしれませんが、たまに電話などで話をすると、「あ、根本はあまり変わっていないな」と感じるからです。

では、どのようにして「かけ違い」は解決されたのか?

それは、私自身を変えたことで解決されました。

「問題」は、「私」というフィルターを通して起きてきます。
そのフィルターを変えることができれば、「問題」の見え方が変わってきます。

私のフィルターは、「父は嫌いだ、嫌なヤツだ。私のことなどわからないヤツだ。自分のことしか考えていないヤツだ」というように、マイナスの気持ちがべっとりとついたフィルターです。

これでは、見えるもののすべてが「イヤなこと」になるのは当然です。

このフィルターのよごれ落としに最適だったのは、父を許すことでした。

父に罵声を浴びせられたこと、勢いあまって手が出ていたこと、顔を合わせれば文句を言われたことなど、父にされてイヤだったことを、すべて心の中で許しました。

正直なところ、自分の気持ちを、その「許す」というレベルまで持っていくのには、時間がかかりました。

「父も親としては新米で、若かったのだ。自分だって感情的になって、冷静な判断ができないときもある。きっと父もそうだったのだ」

そう繰り返し心の中でつぶやいていると、次第に父に対するわだかまりのようなものは薄れ、許すことができたようになってきました。


この「許す」ということができるまでは、私は実家にはほとんど帰っていませんでした。
帰れば、また問題が起こるからです。


今から何年前でしたでしょうか、父をはじめて許すことができたときに、私は久しぶりに実家に帰りました。

すると相変わらず父は、私に否定的な言葉を投げかけてくるのですが、私自身がその言葉をあまり気にしなくなっているのです。

軽く受け流すといいますか、あまりムキになっていないのです。
逆に、その言葉に対して冗談でかえすというような余裕もあるのです。

「そういう言葉の使い方をしていると、会社で孤立するよ」
「あ、もう孤立してたっけ?(笑)」

というような感じです。

許すという気持ちを持てたことで、父を否定するというのではなく、そういう父をも受け入れてしまうことができたのだと思います。

そうすると不思議なもので、父との関係は好転していきます。

この前もコラムに書いたように、「否定」から入ると、相手とはかけ違っていきますが、「肯定」(受け入れる)から入ると、相手との関係は好転していく。
このちょっとした違いで人との関係は変わるのですから、不思議なものです。


今でも覚えているのですが、私と父との「かけ違い」が解決されたとき、父が私の荷物を持って、タクシー乗り場まで送ってくれました。普段は挨拶もしなかったような父が、わざわざ送ってくれるのです。

「そんなことしなくてもいいのに。だいじょうぶだから」と私が言うと、「いや、まあ、送りたくなったから」と、つぶやきました。

受け入れているか、否定しているか。

これだけで、こんなに変わるものなのですね。


私たちのフィルターには、知らず知らずのうちにマイナスの汚れがついていることがあります。子どもと向き合うとき、また人と向き合うとき、そういう汚れのないフィルターで見ていきたいですね。

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