社会に不信・不安を抱えたらおばあちゃんを思い出そう

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社会に出ることはできるのか・・・
恋愛はできるのか・・・
将来子供を産むことはできるのか・・・
家庭を持つことはできるのか・・・

子供を授かることはできるのか・・・
子供を産んでも社会に出てお金を稼ぐことはできるのか・・・
そして子供を育てきるまで社会人として母として生活することはできるのか・・・

こんな私に。背負うものが怖くなり、時には息をしているかもわからないほど追われているだけの私。
目の前のことでいっぱいで、前に進んでいるのか幸せなのか不幸なのかそれともこれはすべてが間違いだったのか。


私には25年前に亡くなった、離れて暮らしたおばあちゃんがいた。
親戚の葬儀の時に、いとこと数十年ぶりに話した中で、こんなことを教えてくれた。



あなたが住んでる北海道と新潟県は、これほど離れていても、おばあちゃんからマキちゃんへの思いはそれはそれは尊いものでしたよ。


いとこ「夏になると毎年、新潟のおばあちゃんから、あなたあてに、笹団子が送られてきていたでしょう。山のようにね。」

私「うん、きてた。手作りだから、硬くて、水に浸してからレンチンして食べると、笹の香りがしてとっても大好きだった」

いとこ「それね、あなたのために、笹を植え、ヨモギを植え、それを餅にするまでに1年間かけて、育てたおばあちゃんの愛が詰まった笹餅だったのよ」
いとこ「それに、マキちゃんが15歳頃、ニキビで悩んでいるんじゃないかと気にかけて、ドクダミ茶を植えて乾燥させて、化粧水代わりにと作ってくれたんだよ」
おばあちゃんは、離れている時もマキちゃんが生きがいだったのよ。

おばあちゃんはどんな気持ちだったんだろう。
どんなきもちで、芝刈りや、草を細かくして餅にする作業を何日もかけて孫のために作ってくれたんだろう。

社会に追われてつらいことは多くても、おばあちゃんから私へ注いでくれた愛情は、なくなって25年以上経っても、大人になればなるほど、思い出すと涙が出る。



思い切り涙を流したら、あとは少しぼーっとして。
きっと大丈夫と、おばあちゃんが肩をたたいてくれているような気持ちで、やっぱりもうちょっとだけ頑張ってみようと思う。











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