占い稼業の辛さ

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占い
これまで何度も説明してきたんですが、算命学は、当てる占いとして使ったら、本当に人生を狂わす学問だと思います。

それに、自分の過去生の概念上からいうとですけど、未来を当てる、ということは、それはつまり相手の術にハマるのと同じことなんです。
意識がそこにとらわれるじゃないですか。
知らずに、意識が制限されているのに気がつかない。それが術です。

もし占ってもらう相手、もしくは霊能者が「これがあなたの未来です」と言った時、その占い師や霊能者の方に、悪い意図があったらどうしますか?
っていうことなんですよ。
 つまり、その占い師、もしくは霊能者自身に、心弱っている相手を狙って何かを奪ったり、害するような意図があったら、ということです。

 私自身もプロファイラーになる前、算命学を看板にした「占い師」に何人も占ってきてもらった過去があります。
でも、全部違うんですよ、言っていることが!
(だから鑑定学校に行きました。)
そして、的を得ない回答を返してくる人なんて、それこそざらです。

 自分が鑑定学校で学んで理解したのは、自分が算命学をしらないからわからなかったんじゃなく、多くの鑑定士が算命学の技法は知ってても、総合解釈法を理解していないので、解を出せないのを、良い感じにクライエントに誤魔化していたことでした。
 そしてメール鑑定と言っても、ほとんどの人間に思考プロセスまで伝えて、解を説明する文章力がないというのもネックです。
 本気で書けば、論文かレポート一本分書くようなめんどくさいことですから、大手鑑定学校ですら、まず絶対やらないですよね。
割に合わないです。
うちでは10ページ以上は、確実に書くことになりますが、でもそれをやらなければ、相談した人からすると、わからなくなるその度に、占い師にまた聞くしかなくなるんですよ。いつまでそれを続けるの?そして、誰が決める誰の人生ですか?ってなりますよね。

 そして、鑑定自体があってるかあってないかに関わらず、プロセスは残さなくてはならない。もし違うなら違うで、その占い師の思考プロセスがどこで違ったか、後で辿るものが必要になる。
 占い師が独自に出した結果だけ伝えられるのでは、依頼した当事者が辿れなくなる。

でもそういうのも、まず算命学の占い師は残しません。点数計算とか、見る側からすれば訳のわからないところでケムに巻きます。
 要するに、医者であれば、患者に情報共有もしなくちゃいけないし、セカンドオピニオン取れますけど、占いにはそんな義務はないんです。
 プロセスを説明できなくても、いくらでも無責任に鑑定師になれる。
つまり、そんな世界での相談はあくまで参考程度でしかない。

 だから、相談者には、算命学は究極的なことを言えば、パーフェクトではない、参考ツールにはなるけど、世の中、算命学の解釈はいくらでもある!....ということを、最終的には忘れて欲しくないんですよね。
それは、霊能力の世界もそうだと思います。

こないだ、中華思想の権威である大学教授は、私に言いました。
「密教技法には、現実に及ぼす影響力がありすぎる。算命学依存の状況を私は散々見てきた。だから、あなたが算命学を使うというなら、人の人生は、一人、一回しか見てはいけない。それ以上は、相手を害するものとなる。相手の自由意志や判断力を失わせることになる。それは、ある意味で、業になる。」
 そう言われたこともあって、元々同じことでのリピーターサービスを停止していますし、多分このまま考えが変わらないと確信したら、サービス自体を今後、削除する可能性もありますけど、今のところ停止&保留です。

 今年初めだったかな、心屋仁之助さんが、なぜカウンセラーをやめたのかというお話を直接されていて、その理由というのが、「どんな相手に相談されても、相手は大丈夫だ、としか思えなくなったから」ということをお話しされていました。
 相談を受けて受けて、受けまくったその先に、仁さん、
「人間は全員が、自作自演の苦しみだ。だから大丈夫!」
という、その境地にいっちゃったんですよね。

本人がどれだけ気づいているかわからないですが、まさに禅だなと思いました。実は、自分にもそれと共通する視点があるので共感を覚えました。
 クライエントさんには、自分が気がついていないだけで、自分で自分をなんとかする力が眠っています。そこに自分が気づけば、あっという間に、跳んでいける人ばっかりです。そして、クライエントさんは、薄々、そのことを自分で知ってるんです。だから痛いかも知れないこと覚悟で相談にくる。
要するにそういう人しか来ないです。
 鑑定学校で言ってたんですけど、「本当に終わりの宿命の人は、鑑定士に出逢えないですよ、鑑定士に出会えるということはすなわち、まだ命が続けられる宿命の余地があるとも言える。」それもそういうのと同じかなと思います。

 そして基本的に、賢くて成長力があって、判断力があって、実行力があって、誠実な人、そういう人しか自分は仕事を受けていないと思うんですよね。たまに変なのはいたとしても、振り返ると基本的に素晴らしい人しかいなかったような気がするんですよね。うろ覚えですが、確か。

....というか、ブログを読んだ時点で、それが明確に分かれると思うんです。
「あ、これはちょっと無理!」って思うか、「あ、この人なら見てもらおう」と思うか、まぁ、長文読んだだけで、実学算命学ってすごく分かれると思うんです。そもそもこの情報量を咀嚼できるだけで、ある意味ですごいですから。w(そして、だからクライエントさんは、玉堂星・龍高星さんやたら多いです。)

 私、普通の人と話した時、アカデミックレベルの人としか会話が通じませんし、会話が弾みません。w (←それは、私がアカデミックレベルということではなく、アカデミックレベルの人がギークの私に歩み寄ってくれるので、会話が成り立つということですけども!)かなり多岐に渡り、マニアックです。

 そして、先生に言われるまでもなく、「一人一回が本来ふさわしいんだろうな」というのは、自分が大学レベルで中華思想やユーラシア大陸の価値観・文化、歴史を学んだことによって、それは漠然と思ってたことでなく、確信に変わってもいます。

 元々算命学の源流にあたるものは、どういう発想で、なぜそういう価値観に至ったのか、というプロセスがちゃんとあるんですよね。
また陰陽五行にしても、古代中国由来のものと日本の陰陽師のものでは違います。大陸と日本って、同じ理論じゃないんです。
 そりゃそうですよね。だって、気候は違うし、民族は違うし、置かれてきた立地や地政学が違います。
 そして古代中国の思想は、他民族入り乱れた交流の中から生まれてきてもいます。他民族の中の常識を中華が取り込んでもいった。
特に遊牧世界の価値観の影響は大きかった。
 ちゃんと、経緯ってものがあるんです。

なのに、日本人が日本流に解釈し、それをみんなが正しいはずとして、型通り学んでいる「算命学」ってなんですか?歴史的な裏付けは?
ってことですよ。

もちろん悪いとは言いませんけど、それは当たった〜外れた〜!を楽しむ、エンタメとしての「占い」でしかなく、そもそも人生の大事な相談事を持ち込むような対象ではないんです。
そして、誰でも彼でも、闇雲に占うべきものでもなかった。

 だからこそ、算命学の源流にあたる大陸の人たちは、あの世とこの世の仕組みをきちんと教わり、自分の曇りを祓い、精神を鍛え、人の精神をどう取り扱うか修行を済ませていたんだと思うんです。

 そもそも、ユーラシア大陸には、遊牧民が多かったので、そこで使われたからには、そのくらい「判断」っていうのは、めちゃめちゃシビアな世界だったんですよ。

水量が限られ、30度以上の照りつける太陽とマイナス30度以下の氷の世界とを行き来するような過酷な環境下で、周りにすぐ食べられる食べ物はなく、判断間違ったら、本当に一族みんな死にますから!
 だから、先を読むこと、できるだけ可能性を高めて、判断素材を増やすことは彼らにとって、生きるか死ぬか、本気の「判断」だったんです。
 そういうものと、エンタメ占いの出した回答とは、重要性が全く異なるものであると思います。

 手助けする仕事というのは、概して全てにおいて大事なことって同じだと思うんですよね。

例えば、美容サロン整体と本気の治療院整体とは領域が違います。
治療院整体にくる、病院でも治らない、原因がわからないもの、数字に出てこない辛い症状を治したいって思っている患者さんは、治療院にのんびり10年も通いたくないんですよ。働き盛りなら尚更、早く、元気になって、時間もお金も自分の気持ちも、もっと楽しいことに使いたいんですよ。
治療整体院が、そういう痛みで人生が制限されたり、辛さに耐えている人たちの気持ちがわかっていたら、同じ患者さんに何回も通ってもらうことを目的に支払いをチケット制にして「どうせ長期的に通うんだから、チケットの方が得ですよ」なんて囲い込む商法はやってられないはずなんです。
一回でも治療回数が少なくて済むように、早く治りきるように、力を尽くすつもりがあったら、五回、十回のチケット制にはしないです。
 そしてそういうところは、長期的に長引かせるのが目的なのでまず、経験上、根本的には治らないです。通わなくなればまた戻ります。

 それでも、そこが美容サロン系マッサージ店なら全然いいですよ、ラグジュアリーですから。
こりをほぐして、優しいタッチで癒されることが目的ですから、リピートしてプチ贅沢に浸るのは、自由。お互いwin and winです。
 でもその営業手法を、それを本気で苦しむ人相手に、治療の世界に持ち込んだとしたら、それは「たかり」ですよね。
 困った人の足元を見て、アコギなことするのと同じです。それ自体が、もう悪いカルマを作っていくことになるんですよ。
それは、占いの世界でもおんなじじゃないですかね。
 算命学は、それで言えば、リラックス目的のサロン系治療院で使う代物ではないです。

 整体治療院が、医療と健康マッサージの間を埋める仕事をしているならば、算命学は精神科や医療カウンセラーと、民間の傾聴の間を埋める仕事だと思うんです。自分の場合は、コンサルティングに近いと言える。
 ならば、自由にやれるからこそ、自分で自分に歯止めをかけなきゃならない。困った人を食い物にするようなことをしちゃいけないですよね。

 今、占い稼業やってる人たちって、このことをちゃんと理解して、「占い」や「霊能者」やってますかね。
って、私は思います。
 前にちょっとお試しで相談してみた「霊能者」。

「私の声にはパワーがあるので、私とお話しするだけで、軽い霊は全部いなくなるんでお祓いと一緒です。」って言い、
最後には、「ぬぬ?!強い霊がついている!」と言い出し、その霊を取るために、と40万円請求してきましたよ。
「実費だから、高くないでしょ?」ってその霊能者は言ってました。

「いや、霊はどうでもいいけど、アンタ、相手の立場になって、もの言っていますか?」って、私は心の中で本当は思いました。
これと似たようなことを、算命学でやっているケースも世の中あるんです。
 お守りグッズと自社学校案内が、たいていの算命学占い師のアドオン(単価を上げるための商材)になってる。心を開いた相手に売りやすいですよね。

 整体治療院も、各地結構な数のいろいろなタイプいきましたが、有名無名に関わらず、本当にいい治療家は、チケット制はどこもやってなかったです。
 本物の治療家さんは、同じ症状で長くリピートさせる気がないんです。

チケット制やってるところは、そんなにすぐには良くならないですよ、と言いながら、通わせます。
本物は、技術は磨かれますが、拡大しないので、ずっと店舗もちっさいままです。十回通わせるところを、二回くらいで治してしまったら、儲かりません。
そして、一年たっても、何回通っても症状が治らない時、そんな金目当ての治療院が、どう対応するか知ってますか?
「あなたの精神的な問題、あとは心の持ちようの問題。もう治ってますよ!」



な訳ねぇだろ!


私は、整体院がそれを持ち出したら、ここはもうおしまいだな、と見切りをつけることにしています。心と体の専門家でもないのに、よく言うわ。

 最初から自分の実力上できないってわかってたなら、治せないって、なんで言わないの?
そこに30万も40万も、貴重な時間を投入してでも治りたい人たちを、どうしてあなたがたは平気でカモにするんですか?

って、日本中の整体院系ビジネスに言いたいです。
だから整体において、先生にお任せはあり得なくて、先生の「治療方針」をしっかり聞き取ることは大事なんですよ。治療アプローチを蓄積していくことで、その治療院がダメでも、それはデータとして積み上がります。
次のより自分に合った整体を選ぶときの、指標になります。
だから余計に腕のある治療家の先生たちの価値がわかるだけに、私はその関係性を大事にしていますね。
占いも、霊能もこれと、ちょうど似たようなものです。

あるとき、松葉杖なしでは歩けなくなった時、ある腕のある整体院の先生は、一度見ただけで、
「これは整体の治療はまず無理です。手術を考えてほしいです。」
と専門の医師に紹介状を書いてくれました。
 なぜできないか、理由を明確にし、整体にコストを払うことの無意味さを話し、手早に見切ったんですよね。

 その時は「こんなに痛いのに、せめて楽にするとか!なぜ、治してくれないの〜?!」とショックでしたけど、

一方で「薬で散らせば」とか「手術の方がリスク高いし」とか「時間はかかるけど治るよ」と言っていた先生を信じていた自分は、そうじゃないのかも?!と、それをきっかけに強制的な方向転換を作り出すことができました。

自然療法が一番いいと信じていた自分には、ものすごく葛藤がありましたけど、自然だけでは限界もあります。
 そしてこれまでの整体院の先生の言う言葉を鵜呑みにせずに、自分で調べ、自分の症状の実態は、手術レベルなんだということをようやく知れたんです。
 5年も8年も歩けないって、やっぱりおかしかったんだ、と。

 そして、手術は怖かったですけど、やっと適切な治療ができる信頼できる医師と出会いました。
 それまでの整形外科たちがスルーして(東京はそういうところです。患者に無関心です。)薬の処方だけで、アドバイスもしてもらえなかった領域で、特に積極的なことをやっている病院で治療を受けることができ、結局は、その道で経験をたくさん積んでいる専門の医師に手術してもらうことができました。

また歩けるようになりました。毎日の痛みもありません。
早く手術すればよかったと思いました。
 それまでの治療費や時間、不安のことを考えると、自然風を装った治療家がいかに適当なことばかり、生活習慣や精神問題にすり替えて、ハラスメントしてたのかを思い、正直、逆ギレしたいです。w

優しさ、とは、耳に優しいことをいうことでしょうか。
今まで、親切だ、安心できると自分が思っていた治療院は、長く自分をとどまらせて、通わせて、平気でいました。
要するに実態は、全部、患者の人生のためではなく、自分の治療院の数字、金のためですよね。
 改めて、そこで気がついたのは、あの時、治療を切り捨ててくれた治療院です。冷たいように思えた、あのたった一回で見切ってくれた治療院が、本当の自分の利益ということで言えば、一番誠意があったんですよ。

これもまた占い稼業で同じことが言えます。
うちでは見れません、と、相手の状況を見切れる、ということは実力があって、経験値があって、初めてできることです。

だから、やっぱり、その治療院は、噂に違わぬ名治療院だったんですよね。

そういうことを改めて思ったのは、最近、チベット医に会ったからです。
このチベット医、本当にお金のことは考えない。
いかに謙虚に、清さを保つか、青臭いほどに真っ直ぐだったんです。
いくらでもバカ売れ商材を作るだけの経歴があるのに!
でもチベットの医療のお話を聞いて、次第にそれがなぜなのかがよくわかってきました。

チベット医療に頼ってくるのは、亡命チベット人だけではなく、現地のインド人やネパール人。医療費の払えない人たち。
そう言うひとたちに、チベット医が命懸けで遭難スレスレの過酷な高山で積んできた天然の薬草で作った丸薬を低価格で分けてあげるんです。
そして、チベットでは、医療と祈りの世界がいつも同じである、とおっしゃっていました。

患者さんがよくなるように、病や怪我で苦しむ人たちが楽になるように、毎朝、朝一番の読経から始まり、何をするにも、お経を読み、みんなで祈ります。
 チベットにある医療とは、精神ではその祈りの力を頼り、物質では、自分の物理的な医療行為の研鑽に頼る。
医療が神聖な人の行う、神聖な行為のままなんです。
患者は、命顧みず、人の命を考える、そんな医者たちの姿を見てもいる。
だから尊敬される。

そして、チベット医は言ったんです。
「世界中の医療は、原始からずっとシャーマン的な祈りの世界と常に共にあったんです。医療は科学と、物理的な部分だけに切り離された医療の方がむしろ珍しくて、近年だけのことなんです。」

医薬品業界は、祈りの力、人の意識の力をプラシーボ効果と呼び、エセ科学と否定します。でもプラシーボで40%以上の人に効果があったとしたら、それは立派な治療ですよね。プラシーボと呼ぶのか、祈りと呼ぶのか。同じ物を指していると思います。

チベット医療は、祈りの力と大地の薬草の物理的な効力を用いながら医療行為を行い続けています。ダライ・ラマは、伝統を固執するだけではいけない、西洋医療を積極的に学びなさいと通達を出してもいるようですが、チベット独自の医療は、彼らのアイデンティティそのものなので、バランス点を探しているようです。

 これが原始の医療の姿だったとしたら、今の現代の医療がどんな程度なのか、ですよね。
 もうかり、ステイタスになるから、医学部へ行く。それだけであったら医療とは何かと考えさせられます。
 大変な仕事ではありますが、今の医療はだいぶバランスを欠き、仁の心を大事にした原始医療からはかなりかけ離れていることを思いますね。

 お話しいただいたチベット医は、日本の医療系の大学をでているので、現代の医療知識をもちろんちゃんと持ってるんですけど、現代医療知識と共にチベットで学んだ、チベットの精神性を医療との関わりの中でちゃんと取り込んでいて、今の日本社会からしたら稀有な純粋性の高い人だったんです。
 そして、その人、田舎に引っ込みながら、アカデミックレベルで、今も日本の医療界に貢献しているんですよ....。

そう言う方に触れたら、俗な自分をめっちゃ意識してしまいました。
自分もチベット医にすごく感応してしまった。

その上で、占いの世界では、最近、youtubeの土御門さんのお話しも聞いて、またそれと同じようなことを思いました。

土御門さんの祖先の伝承によると、店の始まりは、中国の殷が滅亡した後から始まったそうで、店の漢字の中には、占いって漢字が入っていますよね。
なぜかというと、最初の店の商品が、占いだったからだ、と言うんです。

殷が滅亡した後、知識人は物を生産したり、売り買いするようなものがなかったので、自分達の知識や情報や判断力をサービスとして、売るようになった。そして、屋根の下で待ち、自分達が持っていた占いの領域を売り出したから、店という漢字ができた。だから商店の原点は、占いから始まったんですよ、と言うお話しでした。

そして、土御門さんも宮司さんの仕事の傍ら、紫微斗数と奇門遁甲の占いの提供をしているそう。それは代々伝わってきた本格的なもので、土御門さんが幼少期から叩き込まれたさまざまな術と共に使うものなのだそうですが、その二つは、運勢的な物を見るのと同時に、その人の課題と伸び代を知るために両方組み合わせて使っているのだそうです。

土御門さんと実学算命学では、全く手法が違うと思いますが、すごく共感できたのは、まず、未来はさまざまな周波数で無数に広がっていることを忘れてはならないと言っていたこと。
 そしてその中で、土御門さんは、相談者から一番近い最高の未来にフォーカスするように心がけている、と言うことでした。
 しかし、ただいいことを言うわけではなく、それに近づけるために、今の課題は何か、なぜ生かしきれていないのかと言うことを考えていく、そう言うアドバイスだと言う話をされてて、結局、やってることはうちとまぁまぁ、同じだなぁと思いました。

そして、土御門さんが「占い稼業の辛さ」とか「もう何度も辞めたいと思ってきた」と言うお話をされているのを聞いても、無茶苦茶、共感してしまいました。本当に自分の仕事をしている人であれば、人を手助けする、と言うことは、本当に大変なことなんです。

 いい加減なエンタメ占い師・霊能者は、あてて、「どうだ、すごいだろ!」だけがモチベーションです。だから、相手の未来のためになるように何が必要か、相手にとって利益ある良い言い方はしません。次のお金を取るための話に転換していきます。

 でも本当に、手助けする占い師っていうのは、子を前にする親みたいなもんなんですよ。それっていうのは、つまり、なるべく痛い思いをしないで、なんとかうまく育っていってほしい、手がかりを掴んで、成長につなげてほしい、っていう純粋な気持ちですよね。
 霊能者も、本当に実力ある方は、お母さん的、お父さん的な感じで、自分の子供のように思って言ってくれますよ。

 そして、逆目線で言えば、実は、この人が自分の親だったらオッケー出せると思えるどうかで、人は無意識に相談相手を選んでいる、ということなんですよね。

 だから、算命学鑑定士を目指している人がいるなら、まず、よき母親、よき父親になろうとしてください。この積み重ねがその後の相談者との信頼関係の基礎になっていくからです。
 そして、子育てが嫌いな人・不向きな人は、まず、鑑定士はやめた方が無難です。だって、仕事自体が子育てみたいなもんですから!

だから、玉堂星・龍高星(母の心を理解する意識)と、調舒星・鳳閣星(子供の心を理解する意識)が両方いるんですよ。

そしてそれを調和させる、石門星か貫索星ですね。

クライエントさんの反応を見ると、だいぶ勘違いされているなと思いますが、私は、みんなに鑑定士やめた方がいい、って言ってるわけじゃないですよ。
 クライエントさんがその素質を備えている場合は、あなたは算命学鑑定士やれますよ、って、ちゃんとそう積極的にお伝えしていますよ。w
 ただね...概して、鑑定士さんになりたい、っていうけど、鑑定士さんに向かない宿命の人というのは、「算命学鑑定士」を隠れ蓑にして、人生に横たわるもっと別な物を解消したいという願望があります。だからそっちの方をまず見ましょうよっていう話になることが多いです。
 なれるか、なれないか、ということでしたら、相談業は向かない人がやっても、結局は続かないんだよ、っていうだけのお話ですからね。

 土御門さんの吐露を聞きながら、やっぱりさだめられた人がそういう道に進むんだな、そして定められたからといって、嫌なことはあるものだ、と思った次第です。
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