おしっこ占い リターンズ!

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 最近は、チベット仏教や遊牧社会と、自分の過去生のモンゴル遊牧社会は、ほぼ一緒と言ってもいいくらい同じような文化を共有していると言う裏付けを現地をよく知るチベット医の方から色々ともらい、モンゴル遊牧社会を知りたければ、チベットを知るというのが近道のように感じています。

 知るほどに、自分は匈奴と言われていた時代の遊牧民の地方のハーン(※ただし当時は、ハーン自体にそんなに大きな意味がなく、とりまとめ役くらいの感じの自分の記憶)の一人だったと思うんですよ。
 でもね、youtubeに流れる、サーカスの曲芸のような遊牧民の馬上の弓道の姿を見ても、「これはあの時の当たり前だった、そういう人たちは確かにいた」という、妙な確信があるんですよね。

 それにコサックはコサック族というのがいたわけではなく、ロシア周辺の遊牧民出身者の群をいうらしいですが、10年以上前、そのコサックと日本人とのハーフの男性が書いた、第二次世界大戦下での満州の体験記を読んだことがあり、本質的に魂を揺さぶられる思いをしたことがあったんです。
 そこでは、いつ殺されてもおかしくない雑然とした過酷な環境下で、人がどう対応するのか、男性が見てきたことが書かれていました。そして、基本的に日本人と遊牧民のメンタリティの何が違うのか、という差がよくわかるんですが、「自分はこっちの人だな!」と思ったのは、今から思うと、自分達(過去の遊牧民たち)が何を大事にしてきたのか、ということがその時、自分の過去生から蘇ったからなのではないかと思います。

 最近もチベット医さんの講座に参加しながら、あちこちで自分のパーソナリティを物語るようなエピソードがたくさん出てくるわ、草原で見た植物たちの説明を聞きいってると、日本で心惹かれる植物と重なって、なんだかいちいち感慨深いんですよね〜。(ほっこり。)

 やっぱり、過去生を持ち越したまま、そのまま日本人になった自分を強く感じるんです。かといって、一方で草原世界は大変なこともたくさんあって、今、あの過酷な環境に戻りたいとは思わないですけど、あの時代に感じた思いというか、純粋に味わっていた生きる感動のいちいちが蘇ってくるような感覚が自分の中にあるんです。あの時が、一番、生きてたな、と思えるというか。

 自分が過去生で「白」に非常にこだわる人物だったこと。そして今も、取り立てて自分に似合う色じゃないのに、白が好き。
そんなエピソードもその一つです。
 古いモンゴル人にとって、白は特別な色です。
自分の中では、自分の中の最も神聖な光を表す色として記憶されている....。
チベット医によると、未だそれはチベット遊牧社会でもおんなじなんだそう。

 モンゴル族は基本的に、白、青、黄色及び赤を好み、 黒を忌む。というけど、自分が小さい頃から好きだった色も、白、ついで青です。
 黄色や赤は(似合うものの)特に好まない。そして、嫌いな色は黒。
黒は好きじゃないですね、確かに。普段から、黒い服はフォーマルな時意外、基本的に好んで着ないです。これは生命を覆い隠す色だから、というふうに自分の中では感じています。

 そして思い返せば、小学生の時から、休み時間はどこか芝生にゴロリと横になり、いつも広い空を眺めていた。
 実際にモンゴルに行った時、モンゴル遊牧の生活の中にあるのは、何にもない草原とただただどこまでも広がる青い空。
風と虫以外、ほとんど音のない生活。ホーミーとモンゴルの草原を飛びまわる夏の虫の音はなんか似てる。

 振り返っても、やっていることが変わらない。好むことが変わらない。

ファーを触ったり、猫の毛皮に顔を埋めるのが昔から好きだった。
 算命学も特に興味があったわけではなかったけど、やってるうちに、その本当の使い方を知っている気がして、何かがつながるようにすぐにその構造を理解したこともそう。
 算命学の源流の中には、遊牧土着のシャーマニズムの発想も加えられていると自分は思う。そしてその世界に自分がいたと思う。

 自分が12世紀からそのまんまやってきた西域の遊牧民だとすると、いろんなことに合点がいくし、日本に馴染めない(人から見ると)変わった自分も許せる気がする。

 モンゴル遊牧社会を今、現地でたどるのは難しくても、チベットにはまだそうした価値観の根っこがリアルに残っているので、自分の中の非常に懐かしい発想とつながることが自体がとても面白いっていうオタクに近い世界ですね。

 だからアホなことでも、やっぱり、真面目に調べちゃうんですよね。

 前回、人のモンゴル滞在の記録ブログを読んでいて、その存在を知った「おしっこ占い」。

 別に、おしっこ占いをマスターしようとしていたんじゃないんですが、どうしてそうなっていったのか、気になるじゃないですか!!w

モンゴルの草原で、急に立ち止まっては、バケツをひっくり返すようにおしっこをじゃばじゃばとやらかす野生馬たち。
 言ってみれば、遊牧とは、毎日、おしっことうんちを目にする生活ですよ。

ウンチは、木材のない草原で、暖を取るための燃料でした。
でも自分が、ゲルに泊まった時は、木材だったんで、モンゴルとの交流が長い日本の登山家さんに聞いてみたら、実際、家畜のウンチは、ちゃんと乾かさないと焼いた時の匂いがものすごいそうなんですね。

「自分は気にならなかったんだけど、いざ都会に帰った時、服に染み付いた匂いで周りがドン引きするっていうことがあって、この遊牧民キャンプも日本人を迎え入れる上で、嫌悪される可能性があるので、木材に変えたのだろう」と言ってました。

 自分は基本的に嗅覚が今はないので、そもそもわからないんですが、本当はすごい匂いなのかもしれません。
 でも、馬で移動して途中経由した客用でない、遊牧民のゲルの中では、まだ家畜の糞の乾かしたものを燃料として使っていましたよ。
そりゃそうだ。それが合理的ですもんね。w

 モンゴルのイケメン王子も、田舎の遊牧ゲル育ちだったので、フンにいちいち反応することもなく、周りで馬がやらかそうが、羊のふんが落ちてようがそんな背景はものともせず、カッコよさをビンビン放っていました。
 案外、日本でモテようとするために男が気にする清潔感ですが、本物のイケメンってものは、凛々しさと優しさが備われば、物理的な清潔感とかに左右されず、周りが何であっても、イケメンオーラやイメージには、全く影響しないのだと思いました。

 やっぱり、男は、中身だな。と一人うなづいたのでした。

その後も個人的にずっと気になっていた、そのおしっこ占いですが、それくらい排泄と遊牧社会が近い、という環境を目にした後も、地道に文化的にどうなのだろう、と関連調査を続けていました。w 


 そして、占いの真偽はともかく、なぜそんな発想が生まれてきたのかという由来が知りたくて調べてたら、どうもそれが、今もチベット医学の経典にその見方が残っている「尿診」という医学診断法のあたりにヒントがありそうだということがわかってきたんです。

 遊牧社会の中で医療診断をするとき、遊牧医学世界では、朝一番の尿を採尿して、亀の甲羅に入れ、色や泡立ちなどを観察して、病気の有無を知るという手法が大昔からありました。

 このことは霊障医学という本の中で、霊障を対象にした治療を目指す日本の医師である著者による、日本でも尿診を重んじている理由として、チベットのそれを真似ている、という記述があったんです。
 現代的に説明すれば、そもそも尿は個人の生体波動を正確に物語るし、だからこそ飲尿療法も活用されるのだ、というような説明だったんですよね。

 遊牧民とおしっこの関係は深く、地球の歩き方の中で、モンゴル遊牧民と結婚した日本女性のエピソードの中でも、なかなか医者にかかれないモンゴル生活の中で体調を壊したその方が自分の尿を飲むように家族に勧められて、飲んだけど、苦くて飲みきれなかった、という話がコラムにも掲載されています。

つまり、遊牧社会の医学の中で、尿が非常に大きな役割を果たしていたことから、おしっこ占いに発展していった可能性もあるかもしれないことに気づいたんですよね。

 おしっこが健康な女性なら、健康な体を持っていて、健康な女性は優良児を産んでくれる。
そういう発想がおしっこ占いの起源だったのかもしれないってことです。

そういう純粋な興味から、チベット医に「おしっこ占い」はまだ使われているのか、歴史的にどうなのか、遊牧チベットでの流行度を確かめると、現代のチベット医学を現場で習得している医師は、一瞬固まって、

「Jemmyさん、それチベットで絶対、言っちゃだめです!
彼ら、100%怒りますよ!
我々は、そこまで原始的な生活をしていない!
って、プライドを傷つけることになります。」

と一瞬うろたえたんですよね。

「大体、今のチベットでも流石にそんなことしてないですよ!それ、日本で言えば、陰陽師の世界ですから!!リスペクトはしますけど、大昔の話!」
とめちゃめちゃ苦笑していました。

 こっちは、大真面目だったんですけど、その反応にこっちもうろたえて、「そうなのか....気をつけよう。」と思いました。
そして医師である彼に、チベットの2大診断法である「尿診」と「脈診」の実際を聞くことができたんですね。

チベットの医療は、立地が近いことから、インドやネパールのアーユルベーダや中国の漢方とも共通するような医療の概念が取り込まれているそうですが、
「尿診」は、正直いって、現地医学生同級生たちに嫌悪されながらも、「実践が大事だ」と話し合い、経典に書かれた通りにやってみたことがあるけど、正直いって、なにもわからない....というのが、全員の結論だったそう。

 しかし、チベット医療の及ぶ地域というのは、基本的に西洋医療の恩恵を受けられない僻地が多いんですよね。精密な医療検査機器を運べるようなところではないんです。

 だから西洋ならば、採尿をして、検査したら、タンパク質がどれくらい、とか、糖がどれくらい、とか正確に測れたとしても、実際にはその検査にかかるお金も払えない層が多いし、チベット医療の病院でもそういうことが簡単にはできないわけなので、昔ながらの検査法として、一応、尿の色や泡立ちや濁りなどを見るけれども、そこで、細かい病気の兆候までがわかるわけではないというのが実情だそうです。

そして、チベットの「尿診」がその昔、有効だった理由というのは、遊牧民たちが医療にかかるためには、自分達の住む遊牧地から遠く離れた病院に来なくてはならないんで、なかなか医者に診てもらう機会がなく、医者に診てもらった時には、もう症状がかなり重篤に進んでから来るというパターンが多かったのだそう。

すると、そういう中で採尿すれば、血尿だったり緑色だったり、流石に医師じゃなくても誰がみてもおかしいだろう!!と言いたくなるような状態で駆け込むことが多くなるわけなので、尿を目視して医療診断ができた、という事情があったのだそう。

 こういう誤解は、チベット医療を奇跡の医療として大々的に宣伝した、東洋かぶれの西洋圏の事情が背景にあって(ダライ・ラマと西洋との政治的な関係性からかもしれない)、まるでチベット医療がものすごく優れているかのように宣伝されているけれども、それも分野によるし、ものによる。というのが現代の医学も同時に知っているチベットの医師による解答でした。

 今は現代医療知識もチベット医学の中にかなり取り入れて進化してるかもしれないけど、一例として、自分が学んだ当時のチベットの眼科医療に関しては、その処置は日本の江戸時代に行われていた処置のままだったし、薬草に関しても、本当に効果があるのかどうかは医学的なエビデンスをとってやっているわけではない。
 結局のところ、経験値や伝承でしかないというところがあるそう。
 もちろん、薬の歴史を辿る上では有益だし、薬の開発のヒントはそういう伝承から生まれるものだけど、果たしてそれが本当に治療効果があるかどうかは、正直いって保証がないのだそう。
そして、どの薬にもトリカブトを混合させてもいて、トリカブトは単独で使われることはないし、毒性はとってあるけど、強心剤になるので、
「うっは〜!効いた〜!!」というインパクトはもたらされる。
だけど、治っているかどうかというのは別問題。
 だから、うっかりチベット医療の処方を鵜呑みにして、万一体調がおかしくなった人がいたら、なんの薬かちゃんと書いておけば、日本で何がそれに当たるのか自分なら対処できますから、言ってくださいね、って言っていました。
そういう危うさもある世界なんですね...。

 そして尿診断のおぼつかなさを、チベット人も知ってるから、どうするかというと、彼らは、彼らで、一番検査しやすい状況を自分で作るように努力してて、診療所が開く前に、朝一番にとった尿を変化を与えないうちに医師の自宅に持っていくと言います。
だから名医の家の前には、朝、長蛇の患者の列ができていて、その人たちを診療した後に、診療所に出勤すると言うのが、チベット医の日課なんだそう。

 ....これは、医者が儲かるからとか、社会的にステイタスだから、とかそう言う視点で日本で医師になる人は、やっていけない世界だよね...。
本当に、奉仕は身を削る修行そのものとしか言いようがないです。

また、脈診にしても、診療所は丘の上にあることが多いので、丘を登れば誰だって心拍数が上がる。すると診断できないから、朝一番に診療所に行き、長い時間をかけて待つのも、患者の心得になっているそう。

 今のような電子医療機器がなく、不足が当たり前だった時代に、苦肉の策として生まれた医学だったと言うことですね。

だとしたら、自分が考察するに、遊牧社会のおしっこ占い、と言うのは、(もう使われていないにしても)やっぱり最低限の健康確認だったのではないかと思えるのです。嫁にするにしても、余命僅かな状態であったら、とてもその子供が育ちません。美女と思って、男がさらいに行ったとしても、環境変化のストレスですぐに死んでしまうかもしれません。それだけは避けたい...。

 だから太古の昔、遊牧社会では、ふつうに健全な尿かどうかを最低限確認してから、好きな女を奪いにいった、と思います。
あとは、勇者を産むかどうかっていうのは、女に見惚れて、さらっちゃった後の、要するに男側の体裁を繕う言い訳ですね〜〜!!ハハハ!w

だから、おしっこ占いの見方を教えてくれ、って、日本人滞在者の男性が迫っても、ゲルの族長からついぞその見方を教えてもらえなかった。w
(「お前、本気で信じてんのかよ!w 家族にからかわれたんだなぁ〜仕方ねぇなぁ〜都会の人はよ!」と、族長は思っていたことでしょう。)
 すごい笑えるオチだと思いました。

おしっこ占いのオチは、そんなわけだったんで、日本人の皆さん。
うっかり、おしっこ占いの話を遊牧社会で持ち出してはいけません!

と言う今日のお話でした。

(「本当にしょうもないよな、お前!」

っていう、ピカチュウのため息が聞こえる...。)
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