関西イケメン基準・面白かっこいいは年季が入っていた!

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 昨日、子供連れて、京都の歌舞伎座・南座で、家族で歌舞伎を楽しんできたんです。元々は、教育委員会を通して配られたチラシで知りました。
 この企画、京都府限定の文化体験のイベントで、通常の一等席の価格の3分の一で鑑賞できるんですから、飛びつかないわけにはまいりません。w

 一般的に、歌舞伎のチケットの価格はバレエと同じかそれ以上の価格です。高いんです。にもかかわらず、親も子も半額以下の値段で、一等席から子供に歌舞伎を見せることができるという、めちゃめちゃあり得ない特盛文化体験企画だったんですよ〜!!
(西文化としては、ジャパネット並みにこのお得度を強調したい!)

 歌舞伎は、演目の時代背景も分かりにくく、セリフも主に古語が混じるので、聞き取りづらい。初心者にとって、どこを味わえばいいかもわからない、敷居が高すぎる伝統芸能の一つだと思います。

そんな事情もあって梨園の関係者でもない限り、子供にわざわざ歌舞伎を見せるような家庭はあまりないと思いますが、自分の体験上、歌舞伎はもっと日本人が味わえた方が絶対いいと思うんですよ。
 精神の柱的に、自分達の元につながる感じがします。

 それに歌舞伎って、はまりどころにハマって仕舞えば、非常に面白い世界なんですよ。難しくない!

なんでかというと、歌舞伎って「漫画」にそっくりだからなんです。
 例えば、歌舞伎を見ていると漫画のコマの構図やポーズは歌舞伎が原点だな、ということが自然に分かります。

 今、中年のおっちゃん、おばちゃんに子供時代を思い出して欲しいんですけど、少女漫画って、イケメン・美女が現れるとき、コマの中でなぜか、必ず花しょってましたよね!花びら飛んでましたよね!

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こんな感じ。教室にいても、街中でも、イケメンが現れるたびに突如として、なぜか大量の花が舞う!!
なんかこういうのと似たような構図が歌舞伎にはある。
花を背負う。

 そして、そんな漫画のシーンに出くわしても、花のイメージだけでそのキャラがどんなふうなイケメンなのかを推察できる私たちって、すごくないですかね?これって日本人だから察することのできるコンセプトなのではないでしょうか。

 きっと菖蒲を背負って立つイケメンは、芯のある古風なキリリとしたイケメンをイメージするでしょうし、バラを背負うイケメンは、洋風で情熱的で、自信たっぷりなイケメンをイメージするでしょう。

 どんな花を背負って現れるかで、そのイケメンや美女の人となりを察してしまう、日本人ってすごくないですか?!w


 なぜって、その花の一つ一つには、日本に入ってきた歴史とその花がどんなふうに日本人たちに受け止められて、生活の中で配置されてきたのか、という独自の背景があるからです。

多分、外国人には、そういう感覚って、あえて口に出して言われないとわからないと思うんですよね。移民国家の外国ならば、余計に一致した花のイメージがないと思います。

 同じように今回の『将門』の歌舞伎でも気づくことがありました。妖怪に変化した美女の衣がその瞬間、背後・四方に広がる(黒子が衣の先を持って、孔雀のように広げ、軽くゆらめかせる)という演出があった。
 そこでは見えない世界で起こっている巨大な気の放出をダイナミックに演出をしているわけなんですが、そういうのもめっちゃマンガチックなんですよ!

 思い出してください。アキラにせよ、ナルトにしろ、悟空にしろ、グレードアップして変身した時、周囲のものがその人を中心にして、パワーが放出され、風でたなびくような、時に周りのものが吹っ飛ぶような、そういう舞台演出がありますよね。
それ、誰が最初に取り入れたのか分かりませんが、まさに!歌舞伎の演出そっくりなんですよ。

 もし私たちが歌舞伎の世界に入っていくと、こういったコンセプトにいくつもいくつも出会うことになります。
 そして、歌舞伎役者さんの振る舞いを見ていると分かりますが、

例えば、この演目のすべての瞬間、私たちがカメラでシャッターを切って写真をとるのだ、と考えてみてください。
 するとね、すごいことに気づくと思いますよ。
どの写真を撮っても、構図がバッチリ。絵になっている!

 ポージングがひどくて使えない、汚い写真はほとんどないはずです。 

 それくらい手の位置ひとつ、重心の掛け方、振る舞いひとつ、着物の無駄なシワを作らないための動作といったところにおいて、すべては役者を取り巻く180度の観客のどの視点からみても最高の位置へと、自分を持っていくためのものなんだ、ということに気づかされるでしょう。
 まるで3Dで美を作り出す、日本庭園のような舞台なんですよ!!

手でフレームを作って舞台を眺めれれば、毎瞬、の中に歌舞伎役者さんたちの真善美のこだわりを感じることができると思います。

 そして、動作のほんの些細な所作すべてに、どこから見られても美しいと人が感じる位置へ自分を持っていくという、常人からすると恐ろしいばかりの神経をあちこちに行き届かせながら、歌舞伎が演じられているということを知ると思います。
 体にまとわりつく布をまといながら、着物がガチャガチャに崩れることがないところからも、ここまで完璧に動作に細かくこだわった舞台というのは、世界でもこんな芸術レベルに昇華したのは、歌舞伎において他にはないと思うんですよね...

 そして、その延長線上に、歌舞伎の特徴の一つとして、「美に徹底的にこだわる」ということが挙げられると思います。どういうことかというと、ここも漫画のルールだな、と思うんですが.....

 日本の漫画の世界って基本的に美しさを求められるじゃないですか。

例えば、主人公の女の子を「ブス設定」にしたとしましょう。
ブスな少女が一生懸命頑張った挙句、好きな男性への片思いが実り、おまけにシンデレラガールになるお話です。

 となると、わたしたちの世代で思い出すのは、長寿漫画「ときめきトゥナイト」(月刊りぼん)じゃないでしょうか。

(ときめきトゥナイトより出典)

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 主人公の江藤蘭世は、ドジでブスでバカで、しかも人間ではないんですよ!!!そんな魔界出身のダメ吸血鬼が、プロボクサーになって成功しようと記憶喪失の母親を助けたいと頑張って生きている母子家庭の人間の男の子・真壁くんに恋をするんです。w
 で、貧乏な中、雑草魂で立ちあがろうと懸命な彼は、ストーリーの展開と共に実は魔界の王子の双子の片割れであることがわかり...最後には、蘭世は真壁くんを射止め、結婚するという!!

.....ブスでバカでドジですよ?!

言ってみれば、三重苦じゃないですか!
尋常に考えて、男でも生理的にダメなものは、結局ダメだと思います。

でも、主人公は、キャラ設定と裏腹に、目もキラキラだし、かわいいんです。
おっちょこちょいだけど愛らしい。

 これね、本当にブスを描いたら、読者に支持されません。間違いなく、編集者からチェック入ります。
「ブスという設定の美少女」を描くから、読者がついていく。
わかりますか?!
世の中って、嘘だらけですよ!!みなさん!w

 これと似たようなコンセプトの漫画で男性バージョンもありますが、Jemmyお気に入りでは、「エンジェル伝説」ですかね。w
エンジェル伝説のお話は、 生まれつきめっちゃ顔が怖いが、心はエンジェルのような少年が、見た目だけで世間に誤解されて、誤解が誤解を呼び、勝手に展開されていくなかで、友達や理解者を得ていくというストーリー。
 学生時代、東京の電車の中でこの新刊を読む時、笑わないように堪えるのが苦しかったです。(そして、前に立ってたお姉さんから、堪えている自分に「気持ちわかるよ...そういう時ってあるよね」と言われたことがある。)

そんなエンジェル伝説の、一巻のめっちゃ印象的な一コマはこちら。

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設定的にはわかります。でも、実際、そんなに怖くないですよね。ブスという設定の美少女と事情が似ていて、要するに怖さもこの程度だからちょうどいいんです。
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 ちなみに本気でこのピクチャーの怖さで主人公を描いたら、多分、もうエンジェル伝説は人々に支持されません...。


このように日本の漫画の世界では、基本的にブスさや怖さというのは、物語の中で、手加減されて描かれねばならないものなのです。

 例えば、初期の水木しげる先生のゲゲゲの鬼太郎は冴えない陰気なムードが漂うやる気のない鬼太郎の暗い漫画でしたが、今やどうですかね。
 昭和世代のアニメの鬼太郎がスーパーヒットしたのは、「妖怪だけど人間を守るぜ!」みたいなやる気全開の快活なアンパンマン型ヒーローキャラですよね。原作と違って、朝までグーグー寝てません。
 変えたから、売れたんです。


美味しんぼ騒動じゃないですが、このように、漫画家は本気で真実を描いたら、打ち切りに合うのです。エンタメは、夢を与える世界、夢の中で遊べる世界だからです。
よく考えたら、設定に矛盾がないか?!
と思われたとしても、漫画の世界は「ファンタジーの世界なので、そういうお約束がある」と都合の良い暗黙の了解がありますよね。
 ようするに一般大衆向け作品というのは、気持ち悪さ・汚さや悪でさえも、許容できる範囲で美しくデフォルメするものなんです。


 それが大衆娯楽業界の掟....だから歌舞伎もおんなじです。
批判が飛ばないように、400年も大衆の激しいヤジに鍛え上げられながら、磨かれてきた結果が歌舞伎の姿であると言えましょう。
 大衆娯楽から始まった歌舞伎も漫画と事情はまるで同じで、汚さ・いやらしさを取り除きます。
400年もの年季が入ってますので、徹底的に取り除きます。
演出の中で、嫌悪感を強くもよおすようなものでさえ、味わいに変えてます。
 だから歌舞伎は基本的には、キャラも、男の綺麗なとこだけ、女の綺麗なとこだけ抽出されて展開されていきます。男が女をやるので、女のいやらしさが演技に出ないと言うべきか、男の徹底的に理想化された女性像・理知的で、気高く、か弱く、美しく、時に母性の塊のような女が歌舞伎の世界にはいます。
 それが中性的な自分からすると、面白いとこなんですね。

 まぁおあいこですけど、言ってみれば、宝塚も似たようなものです。実際にはアンドレのような都合のいい男なんかいないです。オスカルなんかいないです。でもこの作品、フランス国民から熱狂的に支持されたそうですよ。
 不都合な歴史的真実や現実は取り除き、ただただ美しさしかないから、フランスの良さみたいなものを奮い起こされるのだと思います。

 日本人にとってはそれが歌舞伎になるかもしれません。そして、歌舞伎にある世界は、美しさの中で展開される漫画の世界そのもの。
 独身貴族でゆとりがあったらぜひ、歌舞伎鑑賞の面白さは体験してほしいものの一つですね。

 というわけで、漫画の原点が浮世絵にあり、浮世絵のモチーフが歌舞伎にあったわけなので、実は色々とわかってくると、日本で漫画読んで育った人間に馴染みがいい世界が歌舞伎なんですよ。
だから、私たちには当たり前だけど、よく考えたらおかしい、つまり、「これがきたら、これでしょ!」という日本の漫画のポーズの「お約束」というのが、そのままそれが歌舞伎と一緒だという奇妙な偶然にも気がついていくことになります。w

そして、もっと踏み込んでお話しするとなんですけど、さっき話した歌舞伎にあるこの気の放出の表現は、元々は仏画からの発想であると思います。
これね、胎蔵界曼荼羅を拡大したものなんですけど、曼荼羅に描かれる仏たちは、円を背負ってますよね。そして、間に炎のようなものが書かれていたり、時には雲のようなものが周りに描かれます。

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 これは中華思想を研究しているとわかってくるのですが、これは後光が刺しているなどと言ったりすることがありますが、仏の背後にある円は仏の超人的なオーラを表現しているんです。
 一定に輝くオーラの光に重なるようにして、雲が立ちのぼるようなゆらめきがあって、私にはそれは(自分の能力では色が見えないので)立ち上る無色の炎のように見えてるんですよね。
 だから、この炎っぽい図を見たとき、表現として何を言いたいのかがわかる。「気」なんです。

 このような気の概念が、明治に入るまでは、日本人の生活や思想や価値観の中に当たり前にあったってことです。
 だから、歌舞伎の表現の中にも、「気」があり、現代の日本の漫画の中にも知ってかしらずか、同じような表現方法があるんです。

 全て確認したわけではないのですが、おそらく、Xmenとか、スパイダーマンとか、スーパーマンといった、古くからのアメコミには、変身の時に気が放出されたり、花を背負ったイケメンや美女が出てきたりといった漫画の表現はないはずなんですよ。


 日本人の遺伝子レベルで精神の柱に「気」や「オーラ」、見えないもの、異世界との共存の知恵、結界といったような世界が根付いているからこそ、歌舞伎や漫画の中にも、生まれてきた表現なんだと私は考えているわけです。


で、東京にいるとき、子供を持つ前、江戸歌舞伎は割と見に行っていた時期がありました。だから歌舞伎とはこういうものというイメージはあったのですが、今回、京都で、江戸とは違う発展を遂げた上方歌舞伎を見て、歌舞伎から受ける印象がまるで違うのでびっくりしたんですよね。

 日本の歌舞伎は大きく分けて、東の江戸歌舞伎と西の上方歌舞伎の二つの流れがあります。元々は江戸歌舞伎も、上方からきて、江戸三座に発展していったのですが、江戸っていうのは、男女比率から言うと、男の方が圧倒的に多い街だったんですよ。
 と言うのも、地方から働きに出てくる男だけが江戸に集まったので、女性の数が少なかったんですね。
 それでもっぱら数の多い男が歌舞伎を見るわけなので、作品も男に好まれるような荒々しかったり、強かったり、かっこよかったりしたヒーローアクションものを演じることが多かったようなんです。

だから江戸の歌舞伎の2枚目というのは、徹底的に強くて正義感があって、勧善懲悪で、潔く、情熱的でどこまでもかっこよさを貫き通すのが柱になってます。いわば5色戦隊モノのレッドみたいな立ち位置のキャラだったり、仮面ライダーみたいなスーパーパワーの色男が江戸歌舞伎の人気のある男キャラ。

 だからこれが歌舞伎なんだと自分は思ってたんですけど、なんと京都で見た西の色男ってそれとは、全く違ってたんですよ。
(ちなみに、歌舞伎の音声ガイドも西の色男は東とは違う、ということを裏付けるように解説してたので、私の個人的な意見だけではないです。)

西の色男というのは、優しくて、物腰柔らかで、文系っぽい色白のイケメン。そして、なんと、ちょっと抜けてるところがある!
 つまりね....ちょっと面白いということが上方歌舞伎の2枚目の条件だったんですよね.....(大爆笑)

 関西弁で物語が進む新鮮さもありますが、何より作品中、今まで遊女と心中を覚悟していたイケメンが、遊女の裏切りを知った時の取り乱し方というのが、東のプライドめっちゃ高めのイケメンの振る舞いでは絶対にあり得なかったんだわ...w 

 多分、東のイケメンなら、自分が町人であっても面子を汚されたことを理由に遊女を無言で切り捨てたと思うわ。でも西のイケメンは、ヒステリックに騒ぎ、責める責める、そして踏んだり蹴ったりだったんですよ!!
 それを止める兄貴との問答がまた面白くて、笑って、笑って、暗いムードがなかった!近松門左衛門ってこんな作品を書いていたの!?

 曽根崎心中などで有名な近松門左衛門。教科書で習った通り、もちろんテーマは心中なんで、コメディではないんですが、三角関係のどろどろシーンにもかかわらず、イケメンのヌケサク的な笑いを誘うこの演技に笑っちゃうのは一体、なぜだろう!

....でもこれも悪くない!!

 要するに上方歌舞伎には、大阪に行くと感じる、クールかと思いきや、あの何処か抜け感を必ず作る風潮が、そのまんま歌舞伎の舞台上にあったのでした。

 東のモテ基準は、「見た目もイケメンな上に、おしゃれで強くて文武両道、なんでもできてどこまでもハイスペックで、犠牲を払ってでも、義のためにクールに物事を処理する男」ですけどもw、西のモテ基準は、かっこいいより面白いこと、と大阪の人はいいます。

 でもまさか、その西の面白かっこいいって、すでに江戸時代から続いていたとは思いもよりませんでした!
 これって、かなり年季が入ってるモテ基準だったのですね.....。

ハッキリいって、面白かっこいいぜ!!っっっw

そういえば、吉本の大阪人の芸人さんが、
「美貌は20年立ったら衰える一方やけど、面白さは20年たったら、年季が入る。美人と結婚するより、私のような面白い妻と結婚した方が絶対お得やと思うねん。だから私は美人が怖くない。」
といっていたのを聞いたことがあります。w

 だとすると、西の女性もそうなのかもしれません。目指す美人基準はもしかして、面白エレガンスのかもしれません!!
明るくてめっちゃいいですね!

 個人的な体験でもなんですけど、バスの中で見かける高校生カップルとか大学生カップルとかを観察してると、西側(京都だけかもしらへんけど)は、圧倒的に男の子が女の子に優しくて、感心してしまうことが多いんですよね。
 優しいというのは、つまり女の子を労わる度合いがすごい。

 逆に東(東京)は、女の子がついていきます風。女の子が、めっちゃ男の子に気を遣ってるか、迷惑かけないように自立しようとしてる姿をよく目にしてて。人の相談を受けているなかでも感じたのは、東の男の子の多くは、めんどくさいので自分がまめにつくさなきゃ付き合えないような女の子とは、基本的に付き合おうとは思わないのかなぁ〜という印象があったのは気になってた。

 例えば、ある朝、カップルのアパートからスーツケース抱えて降りてくる女の子がいても、男の子は先に立ってスタスタ歩いていっちゃうんですよ。
それを、「待って〜遅くなってごめんね〜(汗)」って謝りながら、女の子が彼を追いかけてく、そんなふうなのもよくみたんだよね。

 これ、西ならばだけど、そんな場面では、男の子が気を利かせてすぐに荷物を持ってあげた上に、さらに女の子に「この階段危ないから、キィつけや」って、優しく言ってあげる子が多い。

こういう違いって、まさに上方歌舞伎の2枚目とおんなじジャン!

そこに思い至ったとき、
これって、歌舞伎の時代からそうだったんや〜!!!w
と東京人の私は、改めて、どぇりゃあ〜驚いたわけです。

西と東はこの頃から、全然価値観が違ってたってことでしょ。

自分(私)を捨てて、ヒーローに徹しようとする東の2枚目。
人情を大事にしながら、自分たちにとっての幸せを築き上げようとする西の2枚目。
 基本、京都の男がいたわり系で、めっちゃ家族思いな人が多いのもうなづけると妙に納得してしまった。(※このいたわり系というのは東でいうとこの、癒し系男というのとも、ちょっと違う。)


 それと歌舞伎について改めて面白いなぁと思ったのが、タイトルの付け方ですよね。今回、舞台を二種類選べたんですよね。
 江戸時代に、人形浄瑠璃や歌舞伎で数々の名作を執筆した近松門左衛門(1653〜1724年)の没後300年の今年は、関西で近松作品の上演が相次いでいて、一つは「女殺し油の地獄」。もう一つは、この遊女との心中をテーマにした「河庄」。二幕目は両方とも「しのびよる恋はくせもの」という作品が共通の2コース。

 参加特典として、コースターをいただき、娘は自分のみる舞台が、「しのびよる恋はくせもの」なんだと知って、ウキウキ💗
 誰だって、このタイトルを聞いたら、思い浮かべるのは、「ラブリーな恋の予感」を感じさせる、少女コミックやリボンや、なかよしのタイトルじゃないでしょうか。w
 そんな高校生の恋愛青春コミックを想定していた下の娘。

歌舞伎座に来て完全にその予想を裏切られました....

「忍夜恋曲者」近松門左衛門作

 色っぽいミステリアスな遊女がイケメンの侍に近づいていきますが、なんと正体は将門の遺児・滝夜叉姫。正体を見抜いた侍とガマの妖術を使う、半妖怪になってしまった滝夜叉姫とヒーロー光圀が斬り合い、古い御殿が最後には崩れ落ちる....というスペクタル。


 ぜんっぜん恋に恋する女子高校生はどこにも出てこない!w

娘は、これはこれで面白いと言ってましたが、状況が解釈できなかった、と目を丸くしていました。でも楽しかったようです。
女殺し油の地獄は、もうタイトルからして陰惨な感じなので見せませんでした。しかし、すごい名前じゃないですかね?
江戸時代のシナリオライターのセンスって....

でもこんな衝撃から始まった歴史の勉強だったら、きっと忘れないよね。
歴史で近松門左衛門や歌舞伎の話題が出たら、「あ、恋は曲者!!」って思うだろうな。


思い返せば、昭和のように歴史のテストで、近松門左衛門の作品名を暗記して答案に書いたって、あんまり意味はないんですよね。
だって、「これはなんですか?」とバナナの絵を見せられて、「バナナ」と答案用紙に書くのとなんら変わらない。うちら、サルですか。w


人間の学びはこっちの方だと思うんです。
玉ちゃんは玉堂星なので、過去の世界に興味があります。歴史大好きです。
 それで、玉ちゃんの周りには、私が意図的に配置した、江戸時代のちょっと大人向けの色々なうんちく本や絵本がたくさんありました。親が読めと言ったことは一度もなく、ただ、環境設定をしたんですよね。
 そして、案の定、玉は大人の本を読むと怒られるので、それをいつの間にかこっそりと読んでいたんです。w

そして最近ハマってたのが「江戸美人ちゃん」の本。
ポーラ文化研究所が発行している、江戸の女子の化粧文化やおしゃれなライフスタイルをエッセイ風にまとめた本なんですよね。
こんなサイトなんで、ぜひ興味があったら、検索してみたらいいと思います。


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 で、この本を隠れ読んで、江戸の女の子のおしゃれノウハウにすっかりハマってしまった玉ちゃんは、そこから江戸文化を色々とサーチしていたようで、その過程で江戸のお嬢様が楽しんだという歌舞伎を体験をしてみたかったらしいんですよね。江戸時代のように、晴れ着を着て、日本髪を結って、歌舞伎を見てみたい。だから今回念願叶って、歌舞伎に感動していました。


 そしてある日玉ちゃんは、私の結った日本髪を解かないでほしいと懇願し、「日本髪をしたまま、どんな感じか、高枕で寝てみたい」と言い出し、自作の高枕で寝た後、次の朝、日本髪のまま小学校へ出かけて行きました。


「江戸美人ちゃんと同じ体験ができた!」と本人的には、非常に満足してました。体験型学習ですよね。

 日本髪に洋服で登校したら、どう思われるか。
 多分こんなことを東京の学校でやったら「変なやつだ!」と間違いなく、袋叩き的にいじめられると思います。w 

京都だから、できたことだと思いますし、学者や芸術家などが多くて、許容値が高い京都だから、先生も受け入れてくれたのだと思います。

 後で聞いたら、先生には「いつもと違う変わった髪型をしているね」と言われただけだったそうです。
 そして同じ学校の6年生に「変な髪型やなぁ?」と首を傾げられた玉ちゃんは、これは日本の伝統的な髪型なんだよ、と教えてあげたのだそうです。w

イタリア人に日本髪を褒められ撮影されたことで、誇りを持ったのでしょう。
 そんなふうに、日本髪と晴れ着で四条や東山をうろうろしてても、京都ではそんなに特別な目ではみられません。かえって誉めてもらったり、「素敵ね〜」とおばちゃんたちが声をかけてきます。
 着物を着ることが特別、じゃないんですね。

 そして、イタリア人・ポーランド人の観光客や、オーストラリア人など、色々な外国人には着物の写真を撮らせて、と頼まれることで、受け答えに英語を使い、普段の英語の実践の機会を得て、子供が自信をつける、いい循環があります。

 子供の中に一旦、面白い!楽しい!もっとやってみたい!と思えることが発生したら、それを起点に枝葉のように興味をつなげ、どこまでもそれを網の目のネットワークに広げてやる学習スタイルが、我が家ならではなんですよ。

 大人がいいと思った何かをやらせるのではなくて、その前段階で、まずは子供をじっくり観察していて、子供の探求世界の中で、その興味の世界を発展させていくことでしか役に立つ知識はつきません。
 感動もない、興味もない情報が与えられても、単なる情報として終わってしまい、学んだ教養は実践で使える知識にならないからなんです。

 だからうちの子供たちは、これまで人生で親に何かを無理にやらされたとは全く思っていません。自分のやりたいことを、大人が手伝ってくれた、と思っています。
そして、大人の手伝いの中から、自分で習得する学び方も学んでいます。
 京都でも周りの教育熱心な親の中には、詰め込み学習で小学校一年から塾に週4日と子供を勉強漬けにしていたりする人も多いのですが、うちはそれは全くしてないですね。
 それは、今は覚えることよりも興味を発展し、ふんだんに感性のアンテナを磨くことの方が、よほど将来の判断の源を作ると思ってるからですね。

 うちを見てるとただ、贅沢に遊んでいるようにしか見えないかもしれないですが、昭和の子育てのような苦行と我慢の中で子供は健全には育ちません。
鳳閣星・調舒星が表す、子供の感性の意識は、自然で伸びやかなこと、楽しいこと、ストレスフリー、繊細な世界です。
 こういうことを配慮した環境の中でしか、子供はうまく育っていかないからなんです。楽しむことがキーですね!

 逆にいうと幼児に1000語英単語を覚えさすとか、ひたすらペーパーテストや模試を受け指すとか、そういうのは絶対不自然なことなんですよね。
 だから、興味の種も根っこもないのに、子供にいいからと言って歌舞伎を見せにいくのも、また違うかもしれません。
あくまで興味の延長線上の世界を広げることをお勧めします。


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 今回の歌舞伎は、南座さんのおかげで、家族連れでもこれる価格帯だった上に、子供が初めて歌舞伎を見ても楽しめるように音声ガイドが一緒にセットになっていたのは本当によかった。

「〜でござんす」とか「〜でおくんなまし〜」とかいう昔の言い回しを初めて耳にする子供であっても、同時解説でポイントを説明してくれていたのも、他の伝統芸能のように事前学習をしてこなくていい点で、親としても苦労せずに子供に歌舞伎の入り口を作ってやれたと思います。


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 満足した子供たちは、帰りにパパに祇園の人気の鯛焼きやさんで、好きな味の鯛焼きを買ってもらっていました。小学校一年生の陽ちゃんは、学校の宿題の日記に「歌舞伎が楽しかった」と書いていました。

 「どこが印象的だったの?それを書いた方がいいんじゃない?」と口出ししたら、「そんなの、人それぞれなんだから、私の心の中にあればいいことでしょう。わざわざそんなプライベートなものを、人に提出する日記にかくのは変だよ。」と怒られました。(汗)

 環境の違い、というのももちろんあるんでしょうが、今の子供は、昔の子供と違う、と言いますが、本当ですね...。

 本来なら有料のブログ記事にするとこなんですけど、今回、南座が出血大サービスの社会貢献をしてくれたおかげで、子供たちに歌舞伎を見せてやることができたので、南座さんへのお礼代わりのコンテンツ公開です。w
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