お知らせ〜修正発生〜

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有料ブログを購入してくれた方へ

昨日アップロードした、ドラマ「シャーロック」の考察なんですが、一部カンバーバッチについての修正事項があることが発覚し、どう考えるかということを含めて、再度プロファイリングを追加編集しますので、お時間のある時にまた、同じページを見てみて下さい。


あと二日で啓蟄です。春の訪れ。京都では、一条戻橋の桜の蕾が一部咲き始めましたよ。

そう、昨日、初めて知ったんですが、なんと3月の下旬に、文化庁が京都に移転してくる!しかもすごい近所。
分庁舎が来るわけじゃなくて、文化庁そのものが京都にくるんだってよ....!

すごいな!
京都って、文化と芸術の街そのものだから、ここに文化の拠点が移転してくるのは、これからも日本の文化を消さずに、日本のアイデンティティを大事にしていこうみたいな気概や姿勢を強く感じるよね。

そして国に働きかけて、それを実際に成り立たせた京都の人たち、古くからの経営者の人たちの行動力、結束力、信念の強さって本当にすごいなぁとつくづく思った。東京では、個人を超えて、そんな社会的な利益を意識した集団行動はあまり見たことがない。

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昨日、一つがケーキ並みのお値段するパイ生地系のパン専門店に行ったら、こんなフリーマガジンが置いてあって、貰ってきたんだ。
「半径500メートル」という冊子なんだけど、中身が濃くて感動した。

 「深い」ことをウザいと嫌がり、浅くて軽いこと、面倒がなく、自分に都合の良いことを好んで選択する一般的な東京人のテイストとは真逆すぎて、フリーペーパーひとつにびっくりしちゃったんだよ。

 関東のフリーペーパーと言ったら、コンテンツはチラシがメイン。大して、中身はないし、どこにでもある話を語る申し訳程度のインタビューがわずかに載ってるくらい。商品の値段と商品の写真、割引情報が掲載メインのそんな関東のフリーペーパーと違い、「ハンケイ500メートル」という、この京都の地元のフリーペーパーは、商品そのものではなく、その店を作っている「人間」や「店と客の歴史」に焦点を当てて、店と街が描かれている。

 そんな空間、雰囲気を味わってみたいなとか、個性的な店主の性格に誰しも共感する人は一人はいて、そんな店主たちに会ってみたくなるような、店のストーリーが綴られている。小さなドキュメンタリー文学のようでもある!

 フリーペーパーというのは、数発行することで、広告料が入るので基本的には関東では闇雲に刷る。紙と印刷代が環境負担になっているようにしか見えない関東のフリーペーパーだが、この京都のマガジンは、そうではない。
ちゃんと発行する意味を感じさせるコンテンツなのだ。
 京都の人が基本的には、首都圏に溢れる子供騙しのような、いい加減なものを受け付けない気質だからなのかもしれない。
この雑誌でも、

・こだわりやさん
・行列やブランドに惑わされない審美眼
・自分のお気に入りがある

が京都人の特徴といってるけど、
街を歩いていてもすごくそれは感じる。
で、古くからの京都人自身が言ってたのが、誤解されているけど、京都人の大部分は保守的ではない、むしろ、知的好奇心が高いので、新しいものに興味を持って取り組む良い意味でのミーハーさがあるとのこと。
それでいて、動かされないしっかりとした審美眼を持つ。

これって、まさにいい状態の玉堂星の世界だよね。

京都には、自分なりのこだわりを形にした商店も多く、名店と言われるところも多いけど、それでガッツリ儲けようみたいなことはなくて、自分達が食べていければ十分だ、という価値観がベースにありながら、その上でもっと向上していこう、味を守っていこうみたいな感じの自営業者が多い。
だから、歩いていても面白いの。
どう見ても古い町屋の構えをしているのに、中入るとクリニックで、町の医師もかなり自分の診療科目の専門性にこだわっていたりする。
 そして、病院の表の構えは伝統でも、運営はITで予約制システムしっかり導入してて合理的。普通の日本の地方のように、古いから=保守的、でもないのが京都の面白いところ。情報通で、時代のトレンドを押さえている。

そういうのを見ると、なんだか、ホッとするんだよね。

福祉もちゃんと力入れているのが、街を歩いてるとわかる。
助け合いの姿もよく見かける。
東京なんかよりも、立場の弱い人たちに必要なサポートをしているという印象がある。

そう、昔は日本て、こんな感じだった。
情と筋道・合理性がちゃんと同居していた。
懐かしいものがある。
だから、色々とあるけども、京都に暮らすようになってから、正直、心底心がホッとしている。体調も良い。

自分の見方が正しいかとか優れているかどうかは、さておき、京都人のように、自分もかなりのこだわりやであることは間違いなく。w
人が私に物を贈る時には、かなり気を遣わせているようで、申し訳ない。

そして、京都に来て思った。
関東の荒削りに慣れてきた自分を感じた。心のリハビリが必要な気がした。
これからは、こだわりとおおらかさのバランス感覚をこの街で学ばせてもらおう。京都の商店は、パートであっても、目の前の一人ひとりのお客さんをちゃんと見つめている。ここの人たちは、みんな堅実に普通に暮らしているけれども、大切なもの、良いものを知っている。
だからこそ、庶民の生活基盤になっているスーパーなどに行けば、コスパの良いものが多い。関東では誤解されるが、関西はケチじゃなく、育つ上で親の教えから自然と物を見る目を養っているので、どうしてもコスパを図る庶民率が高い。コスパがちゃんとわかることが、関西人が大事にする賢さなのだ。
だから、店もいい加減なことができない、という事情がある。大阪に行けば、なおそうなんじゃないだろうか。

食材も関東よりも豊富で、納豆ひとつとっても、すごく種類があり、中小企業の地場の商品が、豆が違ったり、製法が違ったりして、細かなところで違うものがずらっと並ぶ。だから、小規模経営の商品一つにその作り手の信念や価値観が伝わってくるようで、買い物ひとつ楽しいのだ。

文化庁と共に東京から機能移転・遷都できて、なんだか嬉しいなぁ。

まだ東京と京都を往復する必要があるけども、引っ越しには全く後悔はない。
どうしても自分は、東京が馴染めなかった。年を追って、東京が苦しくなった。学校も保護者も、ご近所も、上から下まで大多数の心が冷たすぎて、全体的に矛盾だらけで不可解で、真っ当なことが実行されることがなく、バラバラで。自分は文化や教養に関わる勉強もせず、努力し勉強する人を馬鹿にする。そして、サラリーマンが総じて、ゲームばっかりに明け暮れてストレス発散というような傾向が強くなった、東京人気質がどうしても合わなかった。
 でも今、好きなものに囲まれて、好きな環境に囲まれて、好きなタイプの人間に囲まれて、本当にホッとしている。
学べるものが、たくさんある。あ〜これまでは、前世だったんだと思おう。
 そして、これからはのんびり、生活それ自体を楽しみたい。


















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