空に太陽が昇り、雨戸を開けると、その日差しがカーテン越しにお部屋に差し込む。
コーヒーを啜りながら、空白を見つめ、その香りに集中する。
それが最上級の喜びであり、楽しみでもある。
そんなお部屋。
床に寝っ転がりながら、ただただぼーっとしていても、幸せ...。
テレビはあるけど、つけない。
せっかくの空白が邪魔されてしまうから。
洗濯物の影を見つめて、今日もよく乾いているだろうな〜と、2度ほどうなずく。
コーヒーを入れれば、そこは天国のような空間。
今日はフレンチプレスで、滑らかな舌触りを...。
と、パソコンと睨めっこしている間に、もう日が傾いてきた。
これはいい!
ベランダに出て、その光を浴びる。
どこからか吹く風に、不安や恐怖を持っていってもらいながら、明日も頑張るか、と思う。
高校生の頃から、空白の美にとりつかれ、モノを必要としてこなかった。
実家にいる時も、僕の部屋にモノはない。
それは兄の影響が、少なからずあるだろう。
兄は今でこそ、そこそこ通常のお部屋だが、昔はひどかった。
いわゆる汚部屋だった。
それを小学生の頃は、よく僕が片付けをしていたから、今こうしてミニマリストになったのかもしれない。
モノがないことは、美しい。
「ミニマリズムは目的ではない、手段だ。」
これは間違いないが、僕がミニマリズムを目的としているのもまた事実だ...。