とても良い上司だった話

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コラム
私がIT企業をやめる前から、上司はとても良い上司だった。
世間の経産省の男子みたいな「承認欲求やプライドのポリティカルコレクトネスみたいな、最近はやりの、なんだかうがった風な価値観系世界観の話」はなくて。
その上司は昔の日本のことをよく知っていた年代だった。
私の故郷や生い立ちのことも。私がどこからどこへ引っ越し、どういう家でどう育ってきたのかも。

上司は私の情緒がなくならないこと、を望んでいたと思う。

だから、とても不思議な運命のめぐりあわせ。
私も、なぜか知らないけど、そういう感じがわかっていたような感じがする。
あんな悪夢や、予知夢を見るなんて。

誰か側の言葉で語られても。それについて違和感を思うのは、「個人VS集団」のような、誰か他人の考えた世間の物語とは、違う物語性があるからだと思う。

上司は不思議な人だった。そう思ったのは、「ふつうは」私が感情や情緒よりも建前の公式な言葉を言うことをいいことだと思うのに、「情緒が失われているのを」まるで心配するかのような言動だったからだ。

だから、私は今、一人のリアルな女性として、最近はやりのポリティカルコレクトネスみたいな、利己VS利他や個人VS集団といった、「ほかの単語」で世界を見ている価値観系世界観の知らない人がいても、
たいてい、本当の意味では会話は通じていない。

大人OR子供でもないし、特別OR普通でもない。
ほんとうの私のとても良い上司の話。

今でも思い出す。渋谷宮益坂の綺麗な景色のことを。

わたしは、いつもそのことを忘れないようにしようと思う。
まるでイギリス小説のような、人との縁に恵まれていたことを。
幸福というものを、それぞれに認めてくれたことを。
認めざるを得ないような言葉を言われて、建前を言う私が、私の胸をひっかくほど。私は降参してしまえたことを。

運命の交錯する群像劇のように。私は忘れない。
その坂の碑にはこうあった。「戦後、人々の努力による繁栄により、陛下が宮益坂と名付けた」というように。

そのジグソーパズルのような景色。私は、きっと忘れたくない。

横浜に母と暮らしていたことがある。
それから父がいるところへ引っ越した。
東京には街がある。本当にリアルの街が。そこには天皇もいて、皇居もある。永田町もある。渋谷も。戦後から長く続く歴史の中の本当が。

私はどうしてか、その私のほんとうの物語を思い出す時、
淡い雪や泡のような柔らかい情感を感じる。

私はそういう「いい話」があることを、世間の「最近はやりのSNSのバズワードみたいな」物語で、競う世界観なんて、なくていいんだと思えるようになった。


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