それ以外の、鴉にも言われて疲れた件。
私の中に、どうか男の人、男子を、作らないで。疲れてしまうから。
「ヴァイオレットエヴァーガーデン」を聞いて自分の人生を思い出す人が、女の人が、本当にそういう「プライドが高いか否か」や「承認欲求があるか否か」のような「人間関係的な物語が過剰にある」人柄だろうか?
私には、そうは思えない。
私は、自分の祖母とは相性が悪い。毒親、というほどではないけれど。
ぴしゃっと血液型診断みたいに、テキトーに他人を言うマスコミや週刊誌みたいな癖がある。
大阪が嫌い。
京都、東京が好き。
「サクラダリセット」も見ていて感情がわくので、見ていた時期がある。
今はアニメなんて見ないけど、なぜかそういう物語にある心の機微、情緒がわかる。
「ヴァイオレットエヴァーガーデン」はSAPの仕事で適応障害になり、挫折していた頃、医者に「あなたはもっと自分に合う仕事をしなさい」と言われたときのこと、外交官を目指す経緯を思い出す。
どうして、私の人生を私はちゃんと生きてこなかったんだろう?外交官に限らず。
どうか、どうか、どうか。どうか。私に、地域のWさんやIさんみたいな関係上のペルソナを、人生で二度と作り上げないで。親戚も。
「ほうっておいて。」
「えりか」もいらない。
私には、どうしてなのかはわからないけれど。
私は、悪霊を取り除くきっかけは、とにかく、自分が「えりか」ではないことを周囲に悟られてからだった。エズミと言うイマジナリーフレンドを知ってもらえたこと。生徒たちといる間の、イギリスと東京のような自分の雰囲気を理解してもらえたこと。それが、命を救われる二度程度のめぐりあわせのパターンだった。コロナから救われたときだって。
どうか、どうか、どうかどうか。その人には、その人の、どうしようもない、めぐりあわせがある。だから、会話の中で、関係上のペルソナを作らないで。カウンセラーの皆様。
私は、私として、たまたまここにいるだけ。
私は、自己実現理論の概念の被害者じゃない。加害者でもない。
私は、私。私は、世間の価値観や概念で語られる人間じゃないんだ。
子供の頃。お父さんとよく海へ泳ぎに行った。90年代生まれの私。
江国かおり。小説をよく読んだ。知っている。三浦瑠璃みたいな人間たちが、昔、ただの文学少女だった頃を。
私、その頃の日本が今でも思い出せる。今でも好きなの。
「海がきこえる」という映画も。女の子の夢も。女の人の夢も。
男の人みたいな女で、プライドや承認欲求やマウンティングで、生きている人なんていないから。
「いつか死んでもいい」という思いが消えるのは、そんな時。心、魂が救われるのは、そんな時。
私は、今でも忘れない。平成の頃のあの美しい景色を。