選択=ラベルをはるということ

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コラム
今回は「選択」というテーマを考えていました。
朝起きてから何をするか・何を食べるか・何を見るか・どう行動するか…、人は生まれてから死ぬまで常に選択の連続…とどこかで聞いたような気がします。
この年になって(30代)、この「選択」はどんどん意味を増してきていて、実感できるレベルになってきたと思います。若い時の選択が小さい意味しか持たなかったといってるわけでないですが、私にとっては年を取ると人生に影響を及ぼす選択が増えた気がします。(退職まで何をこれからしていくべきだろう、体調・健康面で色々不具合がでてきた、親の病気=いつ親が亡くなるかわからない、今後パートナーがい続けるのだろうか…など)
そんななか選択の大小でいえば、、、私の大きな選択は・・
1. ゲイだとカミングアウトしたこと(10代)
2. 留学をしたこと(20代)
3. 転職をしたこと(30代/昨年)
という3つくらいでしょうか。
ここで、、1の選択について色々思うことがあります。1の選択は若い時、小さな意味での選択をし続けていた私にとってかなり大きな選択になったと思います。
ただ、カミングアウトという選択に私は自分なりの解釈をもっていました。
当時、ゲイコミュニティー内では
「ゲイは”選択”でなく”生まれつき”だ。」
という意見がなんとなく大きかったように思います。そこに違和感を感じていた私。生きるべきか死ぬべきか…の2択だけで私を決められている違和感。
なので、私の場合、「生まれつきゲイ」というラベルをとりあえず自分に身に着けた…という感覚を持っていたと思います。
そう、選択は私にとってラベルを張る感覚に近いです。選択ってすごく強く・固く・重たい言葉。それをするとなかなか元に戻れない感覚というか…。
だから、選択=ラベルを張ってるだけと思っておけば、剥がせる前提があるので、少しは気が楽になるかと思います。ただ、長く貼りすぎると体にべっとりついてしまい、なかなか剥がすのが難しいのも事実。
私の場合、「ゲイ」というラベルはとても大きく粘着力が強いものでした。貼ったときはとても安心したんです。これがようやく自分だって思えたから。
でも、長く貼りつづけることでそのラベルに自分が囚われすぎて、他の私もあるのに、「ゲイである自分」が先行してしまった時期がありました。ゲイ「として」みられるから、「ゲイ」らしく行動しなきゃ・・・みたいな。なので、剥がすタイミング…というのも重要なのかもしれません・・・。それはきっと選択に伴う責任というものなのですね。
でも、、、選択はずっとあなた自身の体内に残るもの…という感覚ではないというは言っておきたいのです。あくまで剥がせるもの・・
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