プロの脚本家が思う『物語創作のセオリー』について

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 物語を創作しようと思ったきっかけは人それぞれあるでしょう。しかし、大概は「面白い話を思いついた」「プロになりたい」など、自分の中で確固たる意思が生まれたときに取り組むのだと思います。

 世の中には多くの創作物が溢れています。大衆の目に留まるものというのは大体が商業で、多くの人に見てもらい推敲に推敲を重ねて出されているものでしょう。中には、こんなつまらない話で売れているのなら、自分はもっと売れるのでは? と思うこともあるはず。けれど、いざ書き始めるとそう簡単にはいかないことがわかると思います。

 基本的に、物語とは書き手の主観が反映されます。ここで言う主観とは、「面白いと思っている」という書き手のメタ的な主観でもあり、書き手の中にある価値観が反映されたキャラクターの主観でもあります。そして、できあがった物語が面白いと思ってもらえるかどうかも、読者や視聴者の主観によりますので、物語創作の成功とは、一概に売上金額だけではないでしょう。

 書き手が目標としているところに辿り着けたのであれば、成功と言えます。では、その目標をどこに設定していますか。小説を例にしますと、新人賞を受賞してプロデビューしたい、Web投稿で注目を浴びたい、二次創作なら身内で共感を得たい……官能小説の場合は、そのジャンルに向けて刺さればそれでいい、など。小説ひとつとっても、目指すところはたくさんあります。

 どんな目標を持っていたとしても、一般的価値観において面白いとされる「セオリー」というものが存在します。たくさんの書物で紹介されていることではありますが、私なりにわかりやすくまとめました。

 セオリーとは、定石とされる方法のこと。成功法を客観視した理論とも言えますね。つまり、主観で書かれた物語が、どれだけ客観視できるかによって、評価や完成度が変わってくるのです。書き手の主観がセオリーに沿っているのかどうかを確認することが非常に大事ということです。

 ちなみに、この記事は、筆者の出品サービスである「プロの脚本家が、あなたの創作のお手伝いをします 大事にされている創作をより盛り上げるための推敲をします!」を利用しようかどうか迷っている人に向けて書いています。ご依頼先として信頼していただけるように、の思いを込めている面もありますし、基本的なセオリーを踏襲できているかどうかを事前に確認してもらう面もあります。ある程度創作を繰り返してきた方なら、こちらの記事を読んだだけでも、ご自身で改善点を見つけることができるのではないかと思っています。

どんな創作にも共通する基本

 レベル1_起承転結(序破急)に沿った話の山がある


 物語を論ずる上で、起承転結というワードが当然のようにあります。しかし、いざ書いてみるとうまく描けないことが多々あります。あらすじの段階では見せ場を設定できていたとしても、本編を書き起こしたときにその部分が山になるかどうかは、それまでの表現の積み重ねによりますから、うまくアウトプットできていないと、ただの出来事の羅列になってしまうでしょう。

 話の盛り上がりがどこだかわからない作品は、つまらないと称されてしまいます。なぜ、話の山がうまく描けていないか、書き手が自ら検証し客観視するのは結構難しいです。先に申し上げたように、物語とは創作者の主観でできているからです。

 よくあるのが、「このシーンを描きたい」と思っているのに、大枠で見たとき、そのシーンがまったく物語進行に関わってこない、もしくは悪影響を及ぼしている、ようなことです。これは、書き手の面白ポイントの出力バグみたいなもので、ひどい言い方だと「オナ二ー」とも称されます。無駄すらも楽しめる作品になればいいのですが、無駄が多すぎると筋が見えづらくなりますし、テンポを悪くしてしまう要因にもなります。

 無駄を切り詰めすぎると、起と承と転と結しかない話になってしまいますね。ショートドラマとはそんな感じですし、それもそれで人気がありますが……。

 ある程度の長編を描くときは、すべての描写に意味を持たせることを意識するといいと思います。例を出すと、脇役の人間性を描くようなシーンがあるとき、その脇役が物語展開に影響しないのであれば、それは意味がない描写と捉えられます。物語に出てきている人物を描くのであれば無駄にはならない、と思ってしまうこともあるのですが、何かの対比になっている(主人公との差を見せつけるための描写)とか、のちのち焦点が当たるとかでない限り、脇役は脇役のまま、ディティールを強める必要はないわけです。

 おそらく、多くの人が、推敲の際は物語がわかりやすくなるように「増やす」作業をしていると思います。しかし、「削る」作業のほうが大事なパターンもあるのです。著しく長い作品になってしまうときは、山が分かりづらくなるので、無駄を削ったりまとめたりすることを意識するとよいと思います。

 起承転結の基本的な役割は以下のとおり。
・起…今からはじまる話がどんな物語なのかの提示
・承…紆余曲折、深掘り
・転…物語の軸となる部分を強める転換
・結…転を効かせて収束する

 承がない物語は「序破急」と言いますね。ただ、純文学っぽいものではなく、エンタメ性の強いものやミステリ・サスペンス系は、序破急でなく起承転結でつくったほうが面白いと思われやすいので、見る人が驚く要素を入れることが肝心とされています。

 すごく壮大なことじゃなくてもいいのです。読み手を驚かせるために登場人物を殺さなきゃ……なんて、考える必要はそんなにありません。物語の世界観にとって、そして主人公にとって「転」となるのなら、小さなことでもいいわけです。

 主人公が警察官だったりマフィアだったりするサスペンスの場合は、まあ刑事事件が起こらないと期待はずれ、となってしまうでしょうが、主人公が普通の子どもなら、親の些細な言葉ひとつが事件になることも。

 要は、何を描きたいのかによって起こるイベントを選ぶことが大事です。

 また、起承転結ではなく、起承転承承転結とかもアリですね。最後に持ってくる転は一番大きいものがおすすめですが、承と転はいくつあってもいいのです。

 レベル2_テーマ性がある


 物語のあらすじとは、出来事を書いたもののことですよね。しかし、あらすじでは表現しきれない、「出来事が生み出す訴えかけ」の部分として、物語の核となる「テーマ性」があると、完成度が高くなります。これに特化しているのが純文学と呼ばれるジャンルで、対照的なのがエンタメ作品と呼ばれるものでしょう。

 基本的にはエンタメ作品がよく売れる現代ですが、良質とされる作品をよくよく読み解いてみると、ただ話の盛り上がりがあり展開が面白い以外にも、一貫したテーマ性を見出すことができるはずです。読み終わったときに「価値観が広がった」と思えるようなことがあると、テーマに沿った感動を与えられていることになりますので、評価が高くなる、と言えます。

「こんな展開面白そう!」と思って書きはじめると、テーマ性が後付けになることも多いです。展開が純粋に面白い場合、そこまでテーマ性は求められないこともありますが、やはり内包されている訴えかけが明確かどうかで物語としてのクオリティが変わってきます。ジャンルによっては、むしろテーマ性がなければ成り立たないこともあるでしょう。

 テーマとは、なんでもいいはずです。(倫理的におかしなことになるのは、官能以外の商業としては成り立ちません)

 難しいのは、テーマというのは、ラブロマであってもただの「恋愛」ではないですし、サスペンスなら「殺人事件」ではないところです。恋愛しているからテーマ性はクリアできている! と思うかもしれませんね。しかし、テーマ性とは、恋愛で言えば「二人の異性の間で揺れ動く感情」や、「片想いの苦しさ」など、もう少し深掘りした部分のことです。ただの殺人事件の解決ではなく、「復讐殺人の是非」とか、「警察内部の覇権による不条理」などですね。

 このテーマ性が一貫していないと、起承転結ができていたとしても、「一体この物語はなんだったのだろう」となってしまいます。出来事の羅列だけだと、それは物語ではあっても人の心を打つことはできないものになってしまうのです。

 テーマ性を強めるときに大事なのが、人間の描き方です。ほとんどの場合、物語には「人間」が登場しますし、人間の感情を揺さぶることを描くのが、物語と言えます。

 レベル3_キャラクターが魅力的である


 映画や漫画のシナリオの場合、役者さん・作画によってキャラ性が付属されていくことがあります。そこで、さらにキャラクターの魅力が増幅するでしょう。対して、小説の場合は文以外の要素に頼ることができません。ラノベと呼ばれるジャンルは、特にキャラ性を楽しむものと言われていて、一般文学の場合はそれに限ったことではないはずですが、どうであってもキャラクターには最低限の整合性がなければおもしろいと思われないでしょう。

 どんな創作であれ、登場キャラクターに感情移入できる部分があること、人物像が明確であることは必須です。性格の整合性が取れていないと、見ている方はしらけます。実写作品なら、演じる俳優さんが困ります。

 物語の運びを円滑にするために、人物像をおざなりにしてしまうこともよくあります。しかし、そうやって描いたものは、人の心に刺さりづらいため、「良作」とはなりづらいのが現実です。

 どんなに突飛なファンタジーの物語であっても、感情推移だけはご都合主義にしてはいけません。

 主人公の言動に納得できる(共感はできなくとも)こと、周囲の人間の行動にも違和感がないことを意識して書くためには、あらすじに合う人物像を最初にちゃんと用意しておきましょう。「こんな人いないだろ」と思えるような人物は、テクニックがない限りはつくらないのがベターです。

 よく、特に日本ドラマであるのが「この主人公イライラする」という感想。物語を引っ張るためには主人公を迷わせなきゃいけないシーンが多々出てきますので、優柔不断になりやすいんですよね。特に恋愛系の主人公はなりがちです。そうならないためには、多くの人の感情推移に耳を傾けることや、現代の価値観を知ることです。

 昨今は特に重要で、昭和的価値観と言われる男尊女卑やモラハラ系の台詞が「当たり前のこと」として描かれると、イライラを通り越して一気に冷められます。「悪い人」としてそう描くのはアリですし、物語上で胸糞悪さをアピールできるならいいのですが、そうでなくさりげないモラハラがしれっと入っているような描写は、好まれません。

 完成された創作物をたくさん知るのも大事ですが、リアルの人間観察をよく行うのも必要と思います。作者の主観でできた創作(登場人物像)ですので、その主観があまりにも世間一般とずれていると、受け入れ難いものとなってしまうのです。

 レベル4_ログラインが明確である


 ログラインとは、どんな長編であっても三行程度以内で明確に説明できる話の筋のことを言います。あらすじのさらに短いバージョンです。よい作品は、このログラインが明確であることが多いです。

 簡単に言えば「どんな話なのかはっきり説明できる」ということです。例に出してみると、漫画『進撃の巨人』は、人類の存続をかけて巨人と戦う話、というシンプルなログラインがありますよね。また、『羅生門』の場合は、下人が老婆と出会い価値観を変える話、と表現できます。

 ログラインとは、読み手によって違うものになることもあります。上記を元にすると『進撃の巨人』の場合、出来事の総括がログラインですが、『羅生門』は、主人公の内情まで表れています。出来事がわかりやすくまとめられてログラインができあがることもありますし、テーマ性がログラインにはっきり出てくることもあるわけです。

 つまりは、人に説明するときに簡潔に表現できる話である、という一面が大事なのです。

 基本的には、起承転結の起の部分でそれが提示できているのがベストであり、結の部分は起を回収した内容であるとよいです。絶対ではありませんが、その方がまとまりが出ます。殺人事件が起こったなら、結末はその真相であるのが定石ですし、恋愛を描くなら関係がどうなったのかがラストにきますよね。

 人間性をメインにした物語の場合は、もっと描きたい! と思って続きができることもありますが、ひとつの物語として完結させるときには、まとまりを意識した方がいいはずですので、一番美しく終われるところで終わっておきましょう。続編はまた別で考えるとよいと思います。

 なぜかと言うと、起承転結とテーマが、人物像を元にしてしっかり描けているならば、勝手にログラインができあがるからです。なので、「ログラインが大事」と言われるのです。先にログラインを決めるのも大アリ。

補足とまとめ


 物語をつくるとき、まずあらすじを作る人と、とりあえず書きはじめる人がいると思います。後者の場合でもダメなわけではありませんが、多くの場合は推敲での修正作業が膨大になりますし、一度書いた部分を変更したくないというエゴが生まれるので、前者の方がおすすめされています。

 結末を決めずに書きはじめると、表現力・展開力のセンスが高い場合を除いては、一定のクオリティにすら達さないことが多いので、テーマ性とともに結末まで明確にしておくのがベターです。

 また、あらすじ(プロット)ができた時点で十分な推敲を重ね、本編ができたときには時間が許す限りの推敲を重ねます。できれば、一度価値観をフラットにできるよう時間を空けてから推敲をするのがおすすめです。書き切ったノリのまま何度推敲しても、客観視できませんので。

 この客観視の部分を他人に委ねるのは、とても有効です。もちろん、それなりにストーリーテリングを理解している人がいいはずです。家族や友人など、普段はドラマと映画くらいしか触れていないタイプの人に見てもらうのも、一般的な価値観を聞くためにはいいですが、改善案が一体なんなのかはわからないのではないでしょうか。

 というわけで、私は推敲をするためのサービスを行なっています。ただ、自分の創作を世に出す前に知らん人に見せるのは抵抗がある場合もありますし、信頼性もよくわからないでしょうし、今回この記事を書きました。もし、ご信頼いただけるのであれば、ご依頼いただけると幸いです。


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