■占い好きが占い師になる立志編

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占い

私は占いがすきです。
手相を初めて知ったのは、小学生のとき書店での立ち読みです。
子供向けの占いの秘密が書かれている本を見たときの事です。
結婚線は25歳
10歳の時に病気をする、14歳で怪我をすると本から読み取りました。
その時はそんなことはないだろうと思っていました。
しかし10歳のとき虫垂炎で入院して、14歳の時に人生を変える大怪我をしました。
結婚したのは25歳です。
人生の節目で手相の本の事を思い出しました。自分は手相の通りに生きていたという事に気が付きました。
18才のとき私は歯科技工の道に進み、埼玉の歯科技工所にお世話になっていました。
当時、細木和子先生の本が大流行していて、歯科技工所の社長の奥様が細木先生の本を信じて暮らしていました。服の色を決めるのも占いの本で調べてから買っていました。
私には緑色のカッターシャツが似合っていると買って頂いた事もあります。
占は多くの人の心をつかむことを知りました。
あるときテレビで細木和子先生が占い師になった生い立ちを話されていました。
飲食業をしていて、多くの人の悩みを聞いているときの解決の手段として占いをした事。独学で「ありとあらゆる占いの本を読んで占いを覚えた」とも言われました。
私も本が好きでタロットも九星学も人相も卜占も、ありとあらゆる占いの本を読みました。
歯科技工をしているときに、人の顔を造る仕事であることも自覚していました。
入れ歯をつくると、笑顔にも苦い顔にもなる人がいます。
適合が良く、よく噛めて、自然に話せる入れ歯は喜ばれます。
せっかく作るなら人相もよくなる入れ歯を心掛けました。アイドルはいつも笑顔の練習をするから人に見られる。怒った顔の人は人に避けられることも学びました。
歯科技工所の社長の口癖は蒙古斑です。
蒙古斑とは未熟者で修行中の私の事です。
学校を卒業して時代はバブル直前、世の中は派手な時代です。
スキーブームにプールバー、男子はDCブランドスーツ、車はハイソカー
上野の交差点で信号待ちをすると前も右も斜め後ろも全てスーパーホワイトのマークツーに囲まれたことも 普通にあった時代です。
 歯科は小さな世界です。歯科技工士は就職先が少ない業界です。自営で仕事をすることになります。
開業しても直ぐに食べるだけ稼ぐことができません。副業もいろいろしました。
美容師に公務員、型枠大工に電気工事士、調理師も、そして夜も仕事ができる飲食店を開業しました。3坪の店の名前は「走れ蒙古斑」カクテルやショットバーが売り物でドライマティーニ、ギムレット、マルゲリータなどのスタンダードから、若旦那エース、バブルの人、伊豆の踊り子号などオリジナルカクテルも多く作りました。つまみはジャガイモチジミ、ヒバリの焼きそばもどき、特性お好み焼き、ホイコーローなど今考えますとあの小さなキッチンで良くも調理できたと思います。
駄菓子は、紋次郎いか、よっちゃんいかに、赤いふがし、ヨーグル、ミルクせんべい、さくらんぼ餅、ストローラムネ、糸ひき飴、お宝落とし、ビックリ箱くじ、梅ジャム、アンズジャム、すももジュース、ビー玉、おはじき、メンコ、サザエボン、ペンライト、アイドルプロマイドも置いていました。
店の前には、コカ・コーラのような赤いベンチ、
町田テント提供のシートで仕上げたベーゴマ床は雑魚タライに、ゴムで縛りました。
売り物はカラオケ、ストロボライトに回転灯、ミラーボールで光の演出、お客よりもマスターが歌う店です。夢の世界へようこそ!
またサービスで手相を見ていました。
見るのが楽しくて、手相を読み解きますと心を開いてくれるのです。
本音で語り出すのです。
それから手相を積極的に見るようになりました。
私の本業は歯科技工士です。顔貌をつくる事が本業です。
手相以上に人相のプロなのです。
そして44歳の時に手相には子宝線があることを知りました。
私は子宝にも恵まれています。ブログ写真に添付した画像です。
感情線の小指下部分の遠心に向かう枝線が子孫繁栄の子宝線です。
またも手相の子宝線の通りの人生を歩んでいたことに気が付きました。

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