前回からの続き
やがてB29による本土爆撃が始まり
各都市が焦土と化していく中で
ついに勝郎さんたちにも出撃命令が下りました。
彼は彼女に
「、、、、、にっこり笑って死んで行きますよ。
ではお元気で。次の世を頼みます。」
の一文からなる手紙を残し
松本を後にしました。
同日、千代の湯の上に6機の戦闘機が飛来。
その上空を旋回し
両翼を左右に振って空の彼方に消えていったのが
目撃されております。
その数日前
実は勝郎さんの両親が千代の湯を訪問。
久しぶりの親子水入らずの時を過ごしております。
そして両親は
田舎に帰る汽車のラジオ放送で
勝郎さんの特攻死を知りました。
昭和20年3月27日
勝郎さんは、沖縄慶良間列島沖の米軍機動部隊に突撃。
そのうちの一隻の戦艦に体当たりを敢行して
壮絶な戦死を遂げました。
国家が生身の若い人間を兵器として使ったことは
忘れてはなりません。
と同時に
その国家の命に従って戦地に赴き
死んでいったたくさんの若者がいたこともまた
記憶しておくべきでしょう。
続きます。