「多様性」って便利な言葉すぎじゃないですか?

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こんにちは〜ショウです。

今回は「多様性」という言葉が便利に使われすぎじゃないの?ということについて、僕の考えをお伝えいたします。

まずはこちらの図をご覧ください。
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「多様性」ってめっちゃ便利な言葉ですよね。 
最近だったら、オリンピックの開会式で、最後の聖火の点灯のところで大阪なおみ選手が行ったことについて「男性にやってもらいたかった」とか違う人にやって欲しかったというような意見が出た時に「多様性」という言葉が出てきたのを覚えているのですが、僕個人の意見としては、ここで多様性の問題を出すのはちょっと違うかなって思っているんです。議論の矛先が間違っているというか。
多様性という言葉が便利に、都合よく解釈されることによってなんでもこの言葉1つで済ませてしまう、解決してしまおうとする風潮は良くないと思いませんか?
多様性を認めるということは「なんでもOK」というわけではなくて、むしろしっかり堂々と主張すべき。 
なんでも多様性という言葉で解決するのではなく、真の問題を見つけて提起したり、自分の考えや想いを主張できなくなってしまう世の中でないといけません。
自分と違う人間がいるのは当たり前。 
だから排除してはいけないし、議論にならない。 
自分の意見というか、自分の立場をしっかりと主張できる世の中こそ「多様性」だと僕は考えています。
僕のダイエットのビジョンの1つに「ボディポジティブ」というのがありますが、これも多様性の1つです。 
痩せている人もOK、太っている人もOKというようなダブルスタンダードを承認したいわけではなくて「自分はこうなんだ、私はこうなんだ」と堂々と主張していくことができる世の中であるべきだと考えているのです。
多様性を都合よく解釈するのはやめよう。なんでもOKが多様性ではないのです。 
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