気楽に読んでください、呼吸のおはなし ~その13~

記事
コラム
昨日の記事は割と偉そうなお説教みたいで変な感じでしたね。
あっ、いつも変な感じでしたね。
ところで、最初の頃の記事でも書かせて頂いたと思いますが、呼吸をあれやこれやといじらずに、今ある自分の呼吸をひたすら尊重することこそ重要、というのがこのブログを通貫するテーマとなります。
それで、息を数えたり止めたり、吸うよりも吐く方を強く意識するとか、取り敢えずちょっとそういうのは待ってくださいとお伝えしたかと思います。
それで、ここからが非常にデリケートで表現の難しいところなんですが、それは、本当に興味も何も無いほったらかし状態にすることとは違います。
出来れば愛情を持って眺める、自分の呼吸を愛でる、そんなことをやってゆくのだと思っててください。
しっかりと認識はするけれども決して手出しはしない。大脳が発達した人間の、それはもしかすると最も不得意な事と言えるかも知れません。
さあそれでは、自分の呼吸を眺める、続きと行きましょう。
続きって、何の続き?と思われる方、このブログの~その8~の続きです。エッライ前の話です。
自分で心地好い刺激を施して温かくなった体、その体の何処でも、最初は楽に手が届く上半身の何処か、胸とかお腹の辺りが良いかと思いますが、その何処かに手を当てて、呼吸によって膨らんだり萎んだりしているのを感じてみます。
例えば、昔ながらの自転車の空気入れ、あれは、“私”がやらねば空気は入りません。けれど、自分の呼吸、これは、別に“私”が頑張らなくても勝手に入ったり出たりしてると思いませんか。
「空気入れも今は押し当てると勝手に入るよ」と誰か今心で思いましたね。
あれはあれで、“私”の代わりに“コンプレッサー”という機械が頑張って働いてくれているのです。例えが余り上手くないのが分かってたからわざわざ初めに“昔ながらの・・・"と付けたんです。

さあ、それで、この体が普段から勝手にやってくれている手付かずの呼吸ですが、その最も大きな特徴は、どちらかと言うと息を取り込むために比較的多くのエネルギーを使っていて、反対に息を排出するためのエネルギーは、意外にも余り積極的には使っていないことが分かって来ます。
この事実は結構重要だと僕は思っていまして、この習性を紐解いてゆくと、世の中の呼吸のメソッドに何故一旦息を止めるというようなことが頻繁に出て来るのか、そんな謎を解く鍵までが含まれているようにも思える程です。

ここのところを次回からもう少し精度高く味わってゆくことにします。

これは、期待して頂いても、良い、と、思い、ま、す。

つづく
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す