校長先生の話はなぜ長いのか。

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コラム
皆さん。


皆さんの中に、


学生時代、全校集会で校長先生が話している間、一度でも他のことを考えた事がない方はいらっしゃいますでしょうか。


このあとの授業何だっけ…お昼どこで食べよう…今日の部活の練習は○○しようかな…


そんなことを微塵も考えず、まっすぐ背筋を伸ばし、常に校長先生の話にきちっと耳を傾けた方はいらっしゃいますか。


いや居ない(反語)。


私はというと、体育館で集会があったときは
「この床の木目ムンクの叫びに似てるな…そういえばあの人ってなんであんなところで叫んでるんやろ…財布でも落としたんかな……」

などと考えていました。アカン

というわけで(?)今回は、なぜ校長先生の話は長い…もしくは長く感じてしまうのか。
そしてそれを教訓とし、日頃のスピーチや文章を書くときにはどうすれば良いのかを考えていきたいと思います。
ちょっと長めなのでお暇な時などにご覧くださいませ。

いい感じの言葉を並べても私が学生時代不真面目だった事実は隠しようがありませんが、うん…まあ…ね!!

それではスタート!!!

1.フィラーワード(有声休止)を削る

例えば体育祭で以下のようなスピーチがあったとします。

「えー皆さん、おはようございます。えー本日はね、えー雲ひとつない秋晴れのもと、ぉーこうして体育祭を開催できること、えー誠にね、嬉しく思います。えーまた、多くの来賓の方々、えーそれから保護者の方々にお越し頂き…」

あっこれは私が5秒でムンクのこと考えるやつ。体育館じゃないけど。

人がついつい口にしてしまう言葉に、フィラーワード(日本語では有声休止)というものがあります。
上記のような「えー」「あのー」「まあそのー」みたいなもの。

フィラー(filler)とは充填する・満たすという意味があり、文字通り言葉と言葉の間を埋める役割があります。話し始める前のクッションや、次の言葉が思い浮かぶまでの繋ぎとして利用されます。

これ自体は決して悪くないのですが、使い過ぎるのも考えもの。
多用するとこの人は何を言いたいのかが不明瞭になり、次第に聴く側の関心を失ってしまいます。そして一度気持ちがスピーチから離れてしまうとなかなか戻ってきません。

話す方も人間なのでどうしても緊張してしまいますし、「とりあえず」でこの言葉を使いたい気持ちはとても良く分かります。
毎日朝礼などで軽く話す立場の人も、その都度内容を考えるのは大変。とりあえず話しながら考える…というのも理解はできます。

しかし、だからといってこれを多用することで相手に聞いてもらえなくなってしまっては本末転倒。
文章の前に軽く添える程度なら大丈夫ですが、文章の間にも入れてしまうのは要注意


1-2.沈黙を恐れない

フィラーワードは日本語で有声休止と言いますが、これの対になる言葉として無声休止というものがあります。
「えー」「あのー」で繋ぐ有声休止と違い、何も言わず沈黙になることです。

これは私の経験ですが、有声休止を多用する方には沈黙を恐れがちな方が多いと感じます。
しかし有声休止と同様、沈黙することもまた悪いことではありません。
沈黙というと聞こえが悪いですが、間を取るということですからね。

スティーブ・ジョブズが新型のiPhoneを発表する時の様子をイメージしてもらえれば分かりやすいですが、彼はほぼフィラーワードを用いず、ゆっくりと間をとって緩急をつけて話していました。日本人だとトヨタ社長の豊田氏もそう。

適度に行間を空けることにより多少演技っぽくなりますが、えー・あのーを連発するより断然良い。
何より、本人が堂々としていることが一番大事だと考えます。


ハンバーガーシズル.jpg


2.あみだくじ型よりもハンバーガー話法

話し方の悪い形として取り上げられるものに、「あみだくじ型」というものがあります。

話の順番を意識せず、頭に浮かんだまま言葉を発し、話がどこへたどり着くのかもわからないというところから揶揄された言葉だそうです。(校長先生が皆そうということではないですよ!)

これを避けるための方法として、ハンバーガー話法というものがあります。
ちなみにこれは「一分で話せ」「世界最高の話し方」という本でも紹介されています。

ざっくり言うとスピーチするとき、「結論→中身→結論」の順で話すというもの。

「○○で…○○なので…○○が必要です」と述べるのではなく、
「○○が必要です。理由は○○で…○○だからです」
という形にするということですね。

これの利点は、
・初めに結論を持ってくることで今から何を伝えたいかを意識させ、あとに続く言葉に興味を向けさせることが出来る
・テーマを先に決めることで話が余計に膨らむのを予防できる
という2点が挙げられます。

また心理学にも初頭効果と親近効果というものがあり、平たく言うと「人は最初と最後に起こった出来事を良く覚えている」というものなのですが、この観点から見ても理にかなっています。

ちなみに私が記事を書くときもこの手法と同様、
「今から何を言いたいのか→内容→ということで○○していきたいですね(結論)」
という形でまとめています。


3.伝えたい対象の人数と内容の濃さは反比例する

これはもう、どうしようもない部分です。

どういうことかと言えば、例えば全校集会で一学年のみを対象にした言葉があったとします。
その学年のみを対象にしているので話の内容も具体的で輪郭もハッキリしたものになり、生徒達も比較的意識して話を聞くことになります。

しかしそれが全校生徒を対象にしたものだったら、話の内容はやや具体性を失った抽象的なものになってしまい、生徒一人ひとりの話への関心度も下がってしまいます。

そしてさらに範囲が広がり、全校生徒と教職員、来賓や保護者へ向けたものになれば輪郭はさらにボヤけ、より抽象的なものへ。

つまり、伝えたい対象の人数が少ないほど具体的な内容に、反対に多ければ多いほど曖昧でふわっとした内容になってしまい、聞き手の関心も削がれやすいということです。

そして校長や教頭先生は全体を総括する立場として話さなければならないのでどうしてもそうならざるを得ず、致し方ない部分と言えます。(だからといってムンクのことを考えていい理由にはなりませんが)


ではどうすれば良いかというと、

・全てを伝えるのは難しいので可能な限り要点を絞る
・それでも長くなる場合はハンバーガー話法のように結論から述べるか、「今から○点、皆さんにお話ししたいことがあります」という形から入る

あたりが建設的です。


4.まとめ

「なぜ長いのか」と銘打っておきながらこの記事自体が長くなってしまったのはお恥ずかしい限りですが、

1.フィラーを削ろう
2.結論、もしくはテーマの説明から入ろう
3.全てを伝えるのは不可能。伝えたいことに優先順位を付け、上位のものだけ話そう

というのが要旨でした。

聞きやすいスピーチを身につければ上から下への意識共有が効率的に行われ、時間あたりの生産性も上がり良いこと尽くめ。
一度に全てを実践する必要はありませんが、少しずつ意識していきたいですね。
といったところで今回はおしまい。

ちなみにムンクの叫びは画の本人が叫んでいるのではなく、自らの不安が極限に達した瞬間に聞こえた幻聴に耳をふさいでいるシーンだそうですよ。(おわり)
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