それはよく晴れた日の昼下がりだった。
来客を伝えるインターホンが鳴り、バタバタと大きい足音で玄関に向かう。
誰が来たかは分かっているので、確認の必要はない。
急いでドアを開け、満面の笑顔を向ける。
「美咲さん! いらっしゃ……」
『いらっしゃい』と最後に言い終わる前に、来客に向けた笑顔が消え、困惑の色が顔全体に広がっていく。
「え……。あの……どちら様でしょうか……」
そこにいたのは、期待していた人物とはかけ離れた、見ず知らずの男。
黒く質素な服装に、キャップを深く被り、顔はよく見えない。
「……」
男は無言のまま、ねっとり絡みつくような視線を向けてくる。
背筋に感じるゾクッとするような寒気。
「あの……多分、どこかのお宅と間違われたのかと……。それでは……」
直感でこの男から危険を感じ取り、すぐさまドアを閉めようとするが……
「……だよ。……だから……。……れて」
男は咄嗟にドアを掴むと、閉められないように足で押さえた。
聞き取れない程のか細い声で、何かを言いながら。
「えっ……! やだ!」
恐怖で顔を歪ませながら、必死でドアを閉めようとするが、男の力には敵わない。
そして次の瞬間、首筋に何か向けられていることに気づく。
「あの……」
恐る恐る目線を下に向けると、自分の首にキラリと不気味に光る銀色の刃が見えた。
恐怖で体が強張る。
男はそのまま家に押し入り、バタンとドアを乱暴に閉めた。
「いやああああああああ!」
その刹那、家の中で女の絶叫が響き渡った。
◇
繁華街を抜け、狭い路地裏に一歩足を踏み入れると、そこはまるで別世界。
煌びやかな表の世界とは一線を画すような、暗く淀んだ空気が立ち込める。
道端では汚くボロボロの格好をした子供や中年の男性が物乞いをしている光景がよく見られる。
そんな場所に一軒、明らかにこの雰囲気に馴染んでいない建物がある。
近未来を連想させるような丸型の大きな建物。
夕陽に反射され、ピカピカと光っている青色の外観は幻想的な世界観を醸し出している。
実に異様だ。
しかし、だからこそ強烈に惹きつけられる。
そんな不思議な建物の中に、一人の男性が入っていった。
スーツをピシッと着こなし、清潔感漂う身なりの、いかにもエリートサラリーマンという風貌の三十代半ばの男性。
しかし、その表情はこの路地裏と同じく、暗く淀んでおり、瞳の奥にはメラメラと燃えたぎる炎のようなものが見える。
その感情は、言うなれば『憎しみ』や『怒り』といった類のものだろう。
建物内に入ると、そこにはいくつかの部屋があり、男性はその中の一つ、『アンダー・ザ・サン』と書かれている部屋に入っていく。
「いらっしゃいませ」
中から出てきたのは、艶やかで美しい緑色の髪の女性。痛み一つなくサラサラストレートのロングヘアは、つい触りたくなるような美しさである。
年齢的には二十代半ばといった所だろうか。顔立ちは恐ろしい程整っており、それでいてどこか表情に乏しい。
胸元には不思議な形をした緑色のペンダントがぶら下がっており、彼女の美しさを反射するかのようにキラキラと輝いている。
簡潔に言えば、等身大の人形のような超絶美女である。
男は愚か、女性であっても思わず見惚れてしまう容姿の女性だが、男性は見惚れる様子を一切出すことはなく、淡々と自分の名を告げる。
「本日十七時より予約をしております、水越優馬と申します」
すると、その美女は僅かながら口角を上げる。
「水越様。お待ちしておりました。私はここで私刑プランナーを努めております、緑川凛子と申します。本日はよろしくお願い致します。どうぞこちらへ」
凛子という名の美女は、優馬にソファを勧める。真っ白で光沢のある生地で、リラックスする所か、逆に背筋をピンと伸ばしてしまいそうである。
「どうも」
優馬が勧められたソファに座ると、凛子は書類の束を持って、優馬の対面に着席した。
「早速ですが、本日のご依頼内容を詳しくお伺いしてもよろしいでしょうか?」
凛子が柔らかい口調で尋ねると、優馬は顔を曇らせながら、ポツポツと話始める。
「はい。私がここにやってきたのは、法律で裁けなかった犯人の私刑を執行して頂きたいからです。一年前、私の妻、彩と五歳の娘、結衣、三歳の息子、翔の三人が無残に殺害されました……」
そう話す優馬の声は震えていた。
「犯人の名前は桜井尚人。四十五歳、無職の男です。私の大切な家族を殺したにも関わらず、桜井は裁判中、動機について『彼らに悪魔が取り憑いていたので、それを祓ったまでのこと』など、訳のわからない供述をしており、結果、精神鑑定で異常と判断され、無罪になりました」
語気を強め、怒りをあらわにしながら語る優馬に、凛子は同情したり、慰めの言葉をかけたりすることなく、『なるほど』と、淡々と相槌を打ちながら、メモをしていく。
「事件当時の様子を、詳しくお聞かせいただくことは可能でしょうか。話すのが辛い場合は、無理にとは言いませんが……」
凛子がそう尋ねると、優馬はこくんと頷く。
「事件当日、私はいつも通り市役所で仕事をしていました。妻の彩は専業主婦で、二人の子供の面倒を家で見ていました。その日はママ友の美咲さんが十四時頃に、娘の沙羅ちゃんを連れて遊びに来る予定でした」
「なるほど」
「十三時頃に、美咲さんから子供がグズってしまったので、一時間位遅れそうだと連絡が入っていたみたいですが、彩は気づかなかったみたいで…。そして、十四時前に家のチャイムが鳴ったので、てっきり美咲さん達が来たのだと思った彩は、確認することなく、すぐに玄関の扉を開けたらしいのです」
優馬は少し伏し目がちに言う。
「しかし、玄関に立っていたのは、美咲さん達ではなく、キャップを深く被り、黒い無地のTシャツにデニムのパンツを履いた見知らぬ男。男は彩に何かを言い、それを聞いた彩は困惑しながら大きく首を横に振ったそうです。……すみません、男と彩が何の会話をしていたかまでは分からなくて……」
申し訳なさそうに言う優馬に、凛子は相変わらず表情を崩すことなく、淡々と返す。
「構いません、続けてください」
凛子に促され、優馬はまたゆっくりと話始める。
「すると男は突然刃物を取り出し、彩の首元に突き付けて、そのまま家の中に押入り、扉をしめて鍵をかけました。そしてそのまま彩を暴行した……! 母親の悲鳴を聞いた娘の結衣と息子の翔が玄関に飛び出すと、男は容赦無く二人を刃物で切りつけました……!」
奥歯をギリギリと噛みしめ、顔を歪める優馬。
「泣き叫ぶ子供達を助けようと、必死に男にしがみつき、子供達から引き剥がそうとした彩ですが、男に突き飛ばされ、彩自身も刃物で何箇所も刺され、そのまま絶命してしまいました……。その後、二人の子供も……」
湧き上がる怒りを必死に抑えるように、優馬は手を硬く握りしめている。
「しかも……男は三人を殺害後、すぐに立ち去ることはせず、意味不明な行動をとっています」
凛子の眉が僅かにピクリと動く。
「意味不明な行動ですか?」
「はい……。警察が到着した時、三人の遺体は横一列に並べられており、その首には大振りの十字架のペンダントがかけられ、その上から大量の粗塩が、三人の体を覆うようにかけられていたそうです……」
「確かに、奇妙な行動ですね」
凛子が思索を巡らせるように顎に手を添える。
「はい。更に、家の冷蔵庫に入っていたケーキを食べた跡も残っていました……。その後、ようやく男は立ち去りましたが、その際に玄関の扉は開けっぱなしで逃走したようです。十五時過ぎに家に訪ねてきた美咲さん達が、不審に思い、家の中を覗いたところ、変わり果てた三人の姿を発見して通報。…これが事件の全容です」
全て話し終えた優馬は、無念さを全面に押し出した表情で僅かに俯く。
「お話し下さりありがとうございます。事情はわかりました。この依頼、引き受けさせて頂きます」
凛子がそう言うと、優馬は顔をあげ、震える声で、ありがとうございます、と礼を述べた。
「では、早速私刑についてご説明させて頂きます」
凛子はそう言うと、用意していた資料を優馬に差し出す。
「これは……」
書類に目を通しながら、訝しげに呟く優馬。
「この施設、アンダー・ザ・サンには、最新式のVR……仮想空間の設備があります。そして仮想空間に入るためにはこのゴーグルを罪人につけるのですが、このゴーグルは特殊な技術が用いられており、付けた者の脳回路に直接刺激を送り、仮想空間と現実をリンクさせます」
凛子の説明に、優馬は理解が追いつかないと言った様子で眉を寄せ、首を傾ける。
「簡単に言えば、仮想空間で体験した感覚や痛みは現実に反映されるということです。そして、仮想空間で死ねば現実でも死にます。但し、仮想空間でどれだけ体を切り刻まれたり、焼かれたりしても、現実の体は全て心臓発作という形で死に至ります」
「……なるほど」
優馬は何とか理解した様子で頷く。
「罪人の遺体は当方で責任を持って処分致しますので、世間に私刑が発覚する心配はございません。ご安心ください」
それを聞いた優馬はホッと胸を撫で下ろす。
「仮想空間では、罪人は歴史上の悪人をテーマに作られた当方のオリジナルストーリーを体験します。そしてそこに出てくる処刑道具や拷問器具を用いて罰を与えていく……というのが大まかな流れです」
ここで凛子は一呼吸置き、優馬の顔をチラリと見る。
どうやら理解している様子なので、話を続ける。
「この私刑を行うに辺り、依頼者様には罪人が経験している出来事を別室の大型モニターで確認して頂きますが、それとプラスで『出演』して頂くことも可能です」
「出演……ですか?」
怪訝そうな表情で聞き返す。
「はい。ストーリー終盤で、罪人に裁きを下す執行人が出てきますが、そのキャラクターに扮して頂きます。そして、そこで罪人と直接会話ができます」
「直接会話……?」
更に眉間にシワを寄せる優馬。
「言い忘れておりましたが、罪人がこちらへ連れてこられた際、依頼者様は接触厳禁いうルールがありますのでご注意を。ルールを破られますと、私刑は中止。違約金をお支払い頂く形となります」
「……なるほど。覚えておきます」
少し苦い顔で了承する。
「お願いします。それで、依頼者様が直接犯人と接触できる唯一の機会として、この『出演』というオプションがあります。罪人に恨み言をぶつけたり、詳しい動機を尋ねたりする依頼者様が多いですね。それに出演をすれば、間近で罪人が苦しむ様子を味わって頂けますので、出演される方が大半です」
「わかりました。そういうことなら、私も出演でお願い致します」
優馬は即答した。
「承知いたしました。それでは次に、ストーリーの舞台を選んで頂きます」
「ストーリーの舞台……」
またもや怪訝な顔になる優馬。
「はい。こちらは三種類ご用意しております。中世ヨーロッパ、古代中国、そして日本の江戸時代です。一番人気は中世ヨーロッパですね。この時代はギロチンや残酷な拷問を行うというイメージを持っている方も多いですから」
そう言って凛子はパンフレットのような冊子を手渡した。
優馬は受け取った冊子をパラパラと捲り、じっくりと眺める。
「なるほど……。確かに、説明を見る限りどれも残酷ですね。悩みどころですが……、奴に一番お似合いなのはこれかなと思います……」
優馬は一番人気の中世ヨーロッパの冊子を選び、あるページを指差した。
「古代ギリシャで使用されていたとされる『ファラリスの雄牛』ですか」
凛子が確認すると、優馬ははっきりと頷く。
「はい。有名ですし、私も名前は知っています。奴には地獄の業火を味わってもらわなければ……!」
その目には、まさに地獄の業火、恨みの炎が轟々と燃えている。
「かしこまりました。それでは、水越様の私刑プランは、『舞台は中世ヨーロッパ、ファラリスの雄牛で出演あり』ということでよろしいでしょうか?」
「はい。そちらでお願い致します」
「承知いたしました。次に、ターゲット……こちらでは『罪人』と呼んでおりますが、そちらの確認に入ります」
すると、凛子はいつの間にやら置いてあった大きい茶封筒に手を伸ばし、中から書類を取り出す。
そこには罪人の顔写真と生い立ち、経歴などが記されている。
「罪人の名は桜井尚人。四十五歳、無職。この人物でお間違いないですか?」
そう言ってその書類を優馬に手渡した。
険しい表情で書類に目を通す優馬。
「はい。こいつで間違いありません」
確認が終わると、素早く凛子に書類を戻す。自分の妻と子供を手にかけた罪人の顔写真や経歴など、長々と見ていたいものではないだろう。
「かしこまりました。それでは、最後に決行日時を決めましょう。罪人の居場所の特定には三日程要します。それから確保と準備も合わせて、最短日は一週間後になります。もちろん、それより遅らせることもできますが、いかがいたしますか?」
「最短日でお願い致します! 一秒でも早く、奴に罰を下したいのです!」
優馬が鼻息荒く答える。
「かしこまりました。それでは一週間後、十九時から私刑を開始しましょう。水越様は出演プランになりますので、当日は説明時間も兼ねて三十分前にはこちらへお越しください」
「わかりました。それでは、よろしくお願い致します」
全ての打ち合わせが終わり、優馬はアンダー・ザ・サンを後にした。
その後ろ姿からは、何か覚悟のようなものが滲み出ていた。
◇
迎えた私刑執行当日……
優馬は指定された時間よりも少し早めに到着していた。
「水越様。本日はよろしくお願い致します」
凛子が穏やかな口調で挨拶をする。相変わらず無表情だ。
「はい。こちらこそ、よろしくお願い致します」
優馬は丁寧に頭を下げる。
「それでは、今から出演手順について説明させて頂きますね。水越様に演じて頂くのは、架空の登場人物、セルジオスという反乱軍のリーダーです。ストーリー確認のため、簡単な台本をお渡しします」
凛子から台本を受け取ると、優馬は真剣な表情で目を通す。
「流れだけざっと確認していただければ大丈夫です。仮想空間にお送りする際は私が指示致しますので。仮想空間に入り、罪人と対峙しましたら、そこからは水越様の自由です。ただ、執行の合図として、『これより私刑を執行する』と言ってください。この言葉を聞き、私がキャラクターを操作し、罪人をファラリスの雄牛に投入します」
ここで一度、優馬の表情を確認する。見た感じ問題なさそうなので、凛子は更に続けていく。
「着火のタイミングは水越様にお任せします。仮想空間の中のキャラクターに、処刑執行人がいますので、その人物に着火命令を下してください」
「わかりました」
「出演までは、ゴーグルは付けずに、こちらの大型モニターで仮想空間の様子をご覧ください。それと、滅多にありませんが念のため……」
凛子が重々しく切り出す。
「罪人から謝罪の言葉を聞き、私刑を取り止める依頼者様も過去に数人いらっしゃいました。その場合は『私刑取りやめ』と仮想空間内で宣言して頂ければ、依頼者様も罪人も、現実へ引き戻し致します。但しその場合、二度とご依頼をお受けすることはできませんので悪しからず」
凛子の言葉に、優馬は大きく頭を振る。
「そんなことはあり得ませんので」
力強く言う優馬に、凛子はコクリと頷く。
「承知しました。それでは、もうそろそろ罪人が別室に連れてこられるので、水越様はモニターをご覧ください。また出演時にこちらへ参ります」
そう言って凛子は優馬を残し、退出した。
それから凛子は罪人、桜井尚人が連れてこられた部屋に着くと、コンコンと優しくノックし、入室する。
するとそこには、ボロボロの身なりに、汚い顎髭を生やし、身体中からは何日も入浴していないような悪臭を漂わせている男の姿があった。太々しい態度でソファに腰掛けている。
そんな桜井を目の前にしても、凛子は表情一つ変えることなく、優馬と同じ口調、態度で接する。
「桜井様、この度はアンダー・ザ・サンのV R体験会に参加下さりありがとうございます。私はここのオーナー、緑川凛子と申します。本日はよろしくお願い致します」
そう挨拶すると、丁寧に頭を下げた。
桜井はやってきた凛子をじとっとした目つきで見ると、口元に卑しい笑みを浮かべる。
「ほう。あんたがここのオーナーか。めちゃくちゃ良い女じゃねえか!」
興奮気味に言う桜井。しかし凛子は眉一つ動かすことなく返す。
「恐縮です。桜井様には、今から中世ヨーロッパを舞台としたストーリーを体験して頂きます。当方のVRは最新技術で作られており、匂いや感覚など、リアルに体感頂けます」
「細かいことはどうでも良いんだよ。要は、このストーリーっていうのを全部体験し、その感想を言えば十万円貰えるって認識で良いんだよな?」
前のめりになりながら凛子に確認する桜井。
どうやら罪人達は、凛子から仮想空間を体感し、今後の参考として意見、感想をもらいその謝礼として十万円払うと伝えられているようだ。
「その通りでございます。但し、一度仮想空間に入られますと、ストーリーが終わるまでは出られませんのでご注意ください」
念押しする凛子に、桜井は面倒臭そうに返す。
「はいはい、わかったよ。金さえもらえるなら何だってやってやるよ」
「かしこまりました。それでは早速体感して頂きます。このゴーグルをしっかりと顔につけてください」
凛子はゴツくて大きい箱のような形をしたゴーグルを渡す。
桜井は受け取ると、慣れない手つきで自分の顔にゴーグルをつけた。
「そして、こちらがコントローラーです。と言ってもボタンが二つついているだけでして、右側がA、左側がBのボタンになります。ストーリーは選択式になっており、桜井様が選んだ方で話の展開が変わっていきます」
「あー、はいはい。わかったよ」
相変わらず気怠そうに答える桜井。
「説明は以上になりますので、ご質問がなければ、早速開始致します」
「ねえよ。さっさと始めてくれ」
「承知いたしました。それでは行ってらっしゃいませ……」
凛子が手に持っているコントローラーを操作すると、ブウウンという起動音と共に、桜井尚人の意識は仮想空間に飛ばされた。
◇
仮想空間内にて……
「ふうん、すげえな。これが仮想空間か。まじでリアルじゃねえか……」
桜井は目を開けると、絢爛豪華な城の中にいた。おとぎばなしの世界に出てきそうなお城のイメージそのままである。
その世界に本当に迷い込んだように、城内部の匂いや漂う空気感が自分の五感で感じられる。
そのあまりのリアルさに、桜井は思わず感動してしまっていた。
暫く城の内部を眺めていると、どこからともなく音声案内が流れ出した。
『ようこそいらっしゃいました。桜井様。今からあなたにはこのストーリーの主人公、ファラリスとして、この世界を体験して頂きます』
「ファラリス? なんじゃそりゃ。ま。良いわ。とりあえず何かお題出されたら選択すりゃ良いんだろ」
『ファラリスはこの国の専制君主。最初は市民の指示を多く集めていましたが、時が経つと共に傲慢さが目立つようになり、暴君へなっていきました。市民には重い税金を課し、その税金で自らの私腹を肥していったファラリスは、ある日、外出中に襲われてしまいます』
そのアナウンスが流れると、場面は切り替わり、桜井扮するファラリスは馬車の中にいた。
「すげえ! 馬車に乗ってるぜ! しかしこの揺れ具合、結構きついな。吐きそうだ」
口元を押さえ、必死に馬車の揺れに耐えていると、突然急ブレーキをかけたような衝撃と共に、何か武器のようなものを持った賊達が馬車内に乗り込もうとしているのが見えた。
「うわっ! なんだこいつら! 来るんじゃねえ!」
あまりの迫力に、仮想空間ということも忘れて本気で怯える桜井。
その顔は血の気が引いて真っ青である。
しかし、護衛の者達が賊を捕らえ、事なきを得たようだ。
「ふう……。助かったぜ……。何だったんだよ、あいつら」
桜井がぼやくと、また場面は切り替わる。
今度は城の取調室……のような所にいた。
先ほど捕らえられた賊が手錠をかけられ、その周りを役人達が取り囲んでいる。
『さて、ここで選択タイムです。ファラリス、あなたはこの賊達に罰を与えなければなりません。選択してください。A処刑しますか? B幽閉にしますか?』
「あー? 幽閉だ? そんなのぬるいに決まってんだろ。もちろん処刑だよ、処刑」
迷うことなくAのボタンを押す桜井。
『処刑が選択されました。直ちに実行致します』
そうアナウンスされるや否や、賊達の周りに控えていた役人達は、賊を一人一人、絞首刑に処していく。
賊達が苦しむ姿があまりにリアルで背筋に冷たいものが流れるのを感じた桜井は、食い入るようにその光景を眺めている。
『処刑が完了しました。さて、この賊達ですが、ファラリスの暴政に不満を持った民達が武装して襲撃したということが後に判明しました。ファラリスは自分に盾つく者がどんな目に遭うか、見せしめとして、残酷な処刑方法を考案するよう、真鍮鋳物師、ペリロスにあるものを作らせます』
そして再び場面が切り替わり、今度は真鍮製の牛型の像が目の前に現れた。
「なんじゃこりゃ……。牛の形をしてるな……。こんなのでどうやって処刑するって言うんだ……?」
桜井がそう疑問を口にした瞬間、桜井の前に一人の男がやってきた。
「なんだ、お前」
『ファラリス様。私はペリロス。この度、新たな処刑法を探しているとのことでしたので、こちらの物を献上しに参りました』
そう言って、ペリロスというキャラクターが真鍮製の牡牛を指差した。
『こちらの牡牛の中に罪人を閉じ込め、下から火を付けることで焼き殺すという仕組みですが、内部に牛の口へと繋がる管を取り付けております。そのため、閉じ込められた罪人は呼吸をすることができます』
「ああ? それじゃあ、苦しみが減るってことじゃねえか?」
桜井は不満そうな顔でペリロスに返す。
『いいえ。呼吸ができるということは、意識が保たれている状態になるということです。通常の焼死の場合は、煙により意識を失いますが、この牡牛の中では、意識を保ったまま、長時間焼かれる苦しみを味わうことになります』
邪悪な笑みを浮かべ、得意げに説明した。
「な……なるほどな」
『そして、この管は楽器のような作りになっていまして……。閉じ込められた罪人の叫び声は、まるで牛が鳴いているように聞こえます』
「なかなか悪趣味だな……。だが面白い」
桜井はペリロスと同じように、邪悪な笑みを浮かべている。
そこで再びアナウンスが流れ出す。
『ファラリスはペリロスから献上されたこの牡牛を試したくなりました。選択してください。A次に犯罪者が出るのを待つ。Bそこにいるペリロスで試す』
「そりゃ、今すぐ見てみたいよな。Bペリロスで試す……と」
『Bが選択されました。ペリロスを牡牛内部に閉じ込めます』
そうアナウンスが流れ、目の前にいるペリロスの元に役人達がやってくる。
『な……! ファラリス様! なぜ……! おやめください! やめろ! やめてくれ!』
ペリロスは必死に叫び声を上げて抵抗する。
しかし、役人達は牡牛の胴体の扉を開けると、容赦無くペリロスを牡牛に閉じ込め、外から鍵をかけた。
その後、牡牛の下に藁を敷き詰め着火する。
牡牛が黄金色になるまで加熱を続けると、やがて内部の温度は五百度に達した。
『うわあああああ』
ペリロスが牡牛の中で悲痛な叫び声を上げると、それは確かに牛の鳴き声となって外に漏れ出た。
『ウォォォォン』
「へえー。本当に牛の鳴き声に聞こえる! こいつは面白い!」
桜井は感心するように呟く。
そして処刑が終わると、中から出てきたのは輝く宝石のような骨だった。
「ひえー、おっかねえな。しかし、なんだこの骨は。まるで宝石みたいだな……! アクセサリーにできるんじゃねえか?」
桜井は顔を引きつらせながらも悪趣味なことを言ってのけた。
◇
別室の大型モニターで仮想空間内の様子を見ていた優馬。
「この外道が。楽しんでやがる……」
自分一人だけなので、思い切り舌打ちし、顔を歪ませている。
その時、コンコン……と部屋がノックされる音とともに、凛子が入ってきた。
「水越様。そろそろ出演のお時間ですのでご準備を」
そう言うなり、桜井がつけているものと同じゴーグルとコントローラーを渡す。
優馬はそれらを受け取ると、ゴーグルを手早く顔につけ、準備を整えた。
『水越様。今からあなたを仮想空間へお送り致します。行ってらっしゃいませ』
そして、ブウウンという起動音と共に、優馬の眼前に桜井と同じ景色が広がる。
但し、桜井の姿は見えない。
見えるのは城で働く使用人達や護衛の姿だけだ。
「……モニターで見ていたが、実際に自分が体験してみると、その凄さがわかるな……」
思わず感嘆の声を漏らす。
その時……
ウーウーと激しい警告音が仮想空間内に響き渡った。
現実世界でも馴染みのある、あの身の毛がよだつような不快な音。
その音と共に緊迫感ある声色でアナウンスが流れた。
『只今、城内に反乱軍が攻め入ってきました。ファラリスの命を狙っております!』
そして次の瞬間、優馬の場面が切り替わり、自身の前方に桜井が現れた。
(っ……! 桜井っ……!)
優馬は今にも掴みかかりそうになるのを必死に堪え、次のアナウンスを待つ。
「なんだなんだっ……!」
先程までとは打って変わり、異様な緊張感が漂い始めたため、桜井は慌てた様子でキョロキョロと視線を泳がせている。
ちなみに優馬の存在にはまだ気づいていないようだ。
『ファラリスの目の前に、反乱軍のリーダー、セルジオスが現れました』
「反乱軍だと……? どうすりゃ良い? 選択は……!」
桜井がそう叫ぶと……
『ここで選択タイムです。A反乱軍リーダー、セルジオスと戦う。B自害する。ちなみに自害を選んだ場合、現実世界でもファラリスの本体は死に至ります』
それを聞いた桜井は顔を真っ赤にする。
「なんだと……! そんなの聞いてねえよ! ふざけんな!」
しかし、アナウンスは桜井の言葉に反応することなく、再度選択肢を繰り返し告げる。
『選択してください。A戦う B 自害……』
「ああ、もう! 畜生! Aだ! A!」
半ばヤケクソになりながら、Aを選択した。
『A 戦うが選択されました。反乱軍リーダー、セルジオスが目の前に現れます』
そう告げられると、桜井はセルジオスに扮する優馬の姿を確認した。
敵意を剥き出しにしながら睨みつける桜井。
優馬も憎しみの炎が宿った目で桜井を見据える。
「てめえが反乱軍リーダーか! 返り討ちにしてやる!」
桜井がそう叫び、優馬に突進しようとした時、再度アナウンスが流れる。
『ファラリスはセルジオスに戦いを挑むも、負けてしまい、彼に拘束されてしまいました』
それを聞いた桜井の顔が真っ青になる。
「なっ……! おい! まだ何もしてねえよ!」
『セルジオスにより、ファラリスの罪状が読み上げられます。どうぞ』
それが合図だと、台本で確認していたので、優馬はここで初めて口を開く。
「貴様の罪状は、三十二歳の女性と五歳の女児、及び三歳の男児を無残に殺害した罪だ。身勝手で非人道的。情状酌量の余地なし。よって今から貴様の死刑を執行する」
優馬が凍りつくような程冷たい声で述べると、桜井はワナワナと震え出した。
「何で……そのことを……。お前一体何者だ!」
自分の置かれている状況がまるで理解できず、うろたえる桜井。
優馬はそんな桜井に鋭い眼差しを向け、怒りの籠もった声で答える。
「俺は水越優馬。お前が殺した彩の夫だよ」
「なっ……! お前、あの女の旦那だと……!」
桜井の目が驚きのあまり大きく見開かれた。
「そうだよ。思い出したか、このゲス野郎が。お前は俺の大切な家族を奪っておきながら、精神に異常ありとのことで無罪になった」
優馬がそう言うと、さっきまで焦りを滲ませていた桜井が、不敵な笑みを浮かべ始めた。
「ふふ……ふははは。ああ、そうだよ。俺は無罪を勝ち取るために、精神異常者の演技をガチでやってのけたのさ。入念に準備してな。あいつらを殺した後、意味不明な行動を取ったのも、精神異常者ということを世間に印象づけるためさ」
優馬は何も答えず、険しい表情で桜井を睨みつける。
桜井はその行動が気に入らなかったのか、途端に顔を真っ赤にして怒り始めた。
「あの女が悪いんだよ! 俺の好意を踏みにじったんだからな!」
桜井から発せられた言葉に、優馬は眉間に深くシワを寄せる。
「どういうことだ」
「俺はな、あの女に一目惚れしたんだ。だからあの女が買い物で通る道で、いつも影から見ていた。そしたら偶然、あの女の友人が遊びに来るって話を聞いた。その時に詳しい住所を話していたのを聞いた俺は居てもたっても居られなくなって、あの女の所へ気持ちを伝えに行ったのさ」
優馬は、はらわたが煮えくり返る思いで、桜井の話を聞いている。
「そしたら、あいつ……、俺のことを拒絶しやがった……! だから殺してやった! それだけだ!」
優馬は怒りを抑えるためか、必死に両手と固く閉じて震わせている。
「もういい。お前が頭のイカれた外道だということは十分過ぎる程分かった。一応聞くが、謝罪の言葉はあるか?」
優馬の問いに、桜井はヘラヘラと嘲るように答えた。
「あ? ねえよ、そんなもん」
その言葉を聞いた優馬は、口元に笑みを浮かべる。
「そうか……。やはり貴様はこの世から消えるべきだな。これより、ファラリスの死刑を執行する!」
優馬が声高らかに宣言すると、凛子が操作しているであろう執行人達が桜井を取り囲む。
「うわ! なんだ、お前ら! くそ! 離せ! 離せって言ってんだろうが!」
激しく暴れるが、執行人達はびくりともせず、桜井を真鍮の牡牛の中で入れ込む。
「くそ! やめろ! ここから出しやがれ! 畜生が!」
先程、ペリロスが処刑されるのを見ていた桜井は、自分がどうなるのかが分かり、顔面蒼白になりながら必死に狭い牡牛の中で暴れ回る。
優馬が執行人の一人に、着火命令を下すと、素早く火が焚かれ、牡牛が熱せられていく。
「ぐああああ! 熱い! 熱い! やめろ!」
内部の温度が一気に上昇すると、桜井はあまりの熱さと苦しさから転げ回る。
「やめろやめろ! 熱い! ここから出してくれ! 頼む! 俺が悪かった! 悪かったから!」
と、必死に謝罪の言葉を口にするが、外の優馬に聞こえるのは、牡牛の『ウォォォォン』という低い唸り声だけである。
牡牛の体内で灼熱の熱さに身を焼かれながら、桜井の脳裏には今までの人生が走馬灯のように駆け巡っていく。
幼い頃、酒に溺れて母と自分に毎日暴力を振るう父親の姿。
その父親の暴力に耐えかねて、自分を置いて一人で逃げた母親。
その後、近隣住民の通報で父親は逮捕され、施設に預けられたが、他の子供達と馴染めずいじめられた日々。
成人してからは車の部品工場に就職し、長年勤めていたが、体を壊したため退職。その後は、生活保護を求めて役所に申請に行ったが、無慈悲に追い返されてしまったこと。
毎日食べることもままならず、路上生活者になり、炊き出しやゴミ箱を漁って過ごして来たこと。
ある日行われた炊き出しで彩を見かけ、自分に向けられた笑顔に一目惚れしたこと。
その後、彩の住んでいる場所を見つけ、彩がよく通る道で待ち伏せし、その姿を影から見つめていたこと。
ただ見ているだけの日々に我慢できなくなり、彩の家に押しかけ、思いを伝えたが拒絶され、手をかけてしまったこと。
そして今、その報いを受けて彩の夫、優馬に殺されるところ……
「お前らみたいな勝ち組には、到底理解できないだろうよ。最悪な環境で生きていくしかなかった底辺組の気持ちなんてさ。……そういや、水越って名前……どこかで……」
命の灯火が消える直前、桜井の頭に浮かんだのは、『水越』と書かれた名札と自分に向けられた、まるでゴミを見るような目だった。
長時間、意識を失うことなく、自分の体を焼かれていく地獄を味わった桜井が、ようやく牡牛の中から出された時には、先に処刑されたペリロスのように光り輝く骨となっていた……。
◇
「お疲れ様でした」
凛子の穏やかな声とともに、優馬はゆっくりと目を開ける。
現実世界に戻ってきたのだ。
「いかがでしたか?」
そう尋ねる凛子に、複雑な表情を浮かべながらも、どこかスッキリとした様子で優馬は返す。
「少し……肩の荷が降りたというか……なぜかホッとしている自分がいます。
これでようやく……」
僅かながら優しい顔つきになっていた。
「そうですか。少しでもお役に立てたなら光栄です」
「はい。ありがとうございました」
優馬は凛子に丁寧に頭を下げる。
「罪人の遺体処理はこちらでお任せください。あ、因みに本当に死んでいるか確認できますが、いかがいたしますか?」
その質問に、優馬はゆっくりと首を横に振った。
「いいえ。それは必要ありません。私は実際に桜井の苦しむ姿を見れた。それで十分です。後のことはお任せいたします」
その答えに、凛子も深く頷く。
「承知いたしました。我々が責任を持って処分致します。水越様に警察の手が及ぶことは決してございませんので、どうぞご安心ください」
「はい。本当にお世話になりました。それでは私はこれで……」
「はい、この度は弊社の私刑プログラムのご利用、ありがとうございました。この先、再度利用する必要がないことを願っております」
そう言いながら、凛子は優馬が出ていく姿を見送った。
◇
優馬が出て行ってしばらくすると、凛子の元にある人物が現れた。
「よう。今回の私刑は終わったか?」
その人物の名は『昴』
凛子が優馬に説明した、遺体処理を担当している男である。
スラッとした長身で、やや吊り目の、どこか掴み所のない雰囲気を漂わせている。
「あら、昴さん。いらっしゃい。今終わりましたわ。いつものように、処理をお願いしますね」
凛子が相変わらずの無表情で言う。
「ああ。今回はどんなやつだったんだ?」
興味ありげに凛子に尋ねる昴。
「妻と子供達を殺された男性の復讐でした。確かに罪人は裁かれても仕方ない人間ではありましたが……。ふふふ。何かの因果でしょうかね。依頼人の水越優馬は市役所の職員として勤務していますが、桜井が申請した生活保護を却下した過去があったんですよね」
凛子は僅かに笑みを浮かべた。
「そいつは……何とも言えない気持ちになるな……」
昴はやや苦い表情で答える。
「そうですね。桜井の生活状況を見る限り、申請は受理されるはずだった。それを水越優馬は却下した。彼がきちんと受理していたら……。もしかしたらこんな悲劇は生まれなかったかもしれませんね。まあ、今更ですけど」
ふうっと短く息を吐く凛子。また無表情に戻っている。
「確かに、仮定の話をしても意味はないよな。……しかし相変わらず人気だな、この私刑プログラムも。ま、こっちは解剖や実験に使える遺体が増えてありがたいけど」
「それは何よりです」
「いや、そこ素直に受け取るんかい……」
昴が呆れ顔で答える。
「それにしても……、仮想空間での死と現実をリンクさせるなんて高度な技術、現代じゃまだ実現不可能だっていうのに、誰も疑いもしねえんだな……」
昴はふうっとため息を漏らす。
「依頼人は皆、自分の復讐のことで頭が一杯ですからね。技術のことなど、どうでも良いのですよ」
凛子が淡々と答えた。
「そういうもんかねえ。ま、その方があんたにとっても都合が良いか。なんせ、あんたが未来から来た未来人なんて知られたら面倒だもんな」
意地悪そうな顔で言う昴に、凛子は眉一つ動かすことなく答える。
「あら。仮に知ったとしても誰も信じませんよ。未来人なんて」
「……ま、それもそうだな。ところで……、あんたは何で過去にやってきて、こんなことをしてるんだ? そろそろ教えてくれても良いだろう?」
昴がそう尋ねると、凛子は一瞬、考える素振りを見せて黙るが、すぐに口を開いた。
「さあ……。ただ、ある人物を探していましてね。その人物をこの仮想空間設備で処刑し、私の住む未来世界に存在させないようにするため……とだけ言っておきましょうか……」
ずっと表情を崩さなかった凛子が、やや伏し目がちで答える。
「ふうん……。ま、これ以上は何も聞かねえよ。それじゃ、あっちにある遺体はありがたく頂いていくぜ」
そう言って桜井の遺体が安置されている別室へ向かう昴。
「ええ。いつもありがとうございます」
凛子はその背中を見送ると、誰もいなくなった部屋の中でポツリと呟く。
「これからも私の協力者として頼みますよ……。お祖父様」
僅かに笑みが溢れる。
「さてと……、今日の依頼は終わりですし、店仕舞いでもしましょうかね」
こうして、凛子の一日は無事に終了した。
また明日も明後日も……空くことなく私刑の依頼が入っている。
法の穴をくぐり抜ける者、法では裁けない者がいる限り、この先も私刑プログラムの需要は無くならないだろう。
完