⚧🌈🏳😱🤱👩‍👧🤜🤪👿👹👉「令和水滸伝2最終章」~国をつくり直すぞ!(類似点があってもは、そうなればいいなのィクションです)「☆45.第4ラウンド、ウ原発王国の驚くべきウ原発・放射能事故の数とその理由」

記事
小説
「☆45.第4ラウンド、ウ原発王国の驚くべきウ原発・
放射能事故の数とその理由」

「是庭さん、橘川先生と共に調べていて面白いもの見つけました。
世界でも原子力・ウ原発事故は多いです。
 簡単に読み上げご説明致しますので、スクリーンと共にご覧下さい。
 まずは国内のモノからで、経合衆の皆さんにも関わりが
おありなのかは後ほどお尋ねします」

{前後左右のスクリーンに原子力・ウ原発・放射能事故事件記録が
映し出される。

【日本国内原子力・ウ原発・放射能事故・対応・隠蔽、資料抜粋】     
1973年3月 関西地域電力美川発電所燃料棒破損。
 美川1号炉において核燃料棒が折損する事故が発生したが、
関西地域電力はこの事故を公表せず秘匿
この事故が明らかになったのは内部告発によるもの

1974年9月1日原子動力船「やつ」の放射線漏れ事故。

1978年11月2日 日本で最初の臨界事故とされた
関東地域電力 H 1 県第1発電所3号機事故、
制御棒が抜け本質的な弱点の事故だが、
発電所内でも共有されず、同発電所でも、
他の原発でも、少なくとも6件以上繰り返され、
共有されていれば1999年志賀山発事故も防げたかも知れず、
本質的な弱点なので、世界中の原子炉で起こっている可能性がある


1989年1月1日 関東地域電力 H 1 県第2発電所3号機『レベル2』事故
1990年9月9日 関東地域電力 H 1 県第2発電所3号機『レベル1』事故
1991年2月9日 関西地域電力美川発電所2号機事故『レベル2』事故
 蒸気発生器の伝熱細管の1本が破断し、55トンの一次冷却水が漏洩し、
非常用炉心冷却装置が作動、放出。

1991年4月4日 関中地域電力浜原3号機『レベル2』事故。
1991年5月31日の関中地域電力浜原3号機事故。
関中地域電力は『国への報告はしなかったが、他電力へ報告した』と主張
事故発生から29年後の2007年3月22日に発覚、公表され、
関東地域電力は「当時は報告義務がなかった」と主張


1995年12月8日 A 1 県六地蔵村、核燃料開発事業機構むもんじゅ。
 ナトリウム漏洩『レベル1』事故。この事故により、
むもんじゅは停止を余儀なくされた。

1997年3月11日東浜処理施設、核燃料開発事業機構、
 アスファルト固化施設火災爆発『レベル3』事故

1998年2月22日  関東地域電力 H 1 県第1発電所4号機の定期検査中、
全体の25分の1制御棒抜け。

1999年6月18日 関北中地域電力志賀山発電所1号機事故
 炉内の圧力が上昇し制御棒が抜け、想定外で無制御臨界になり、
スクラム信号が出たが、制御棒を挿入できず、
手動で弁を操作するまで臨界が15分間続いた。
点検前にスクラム用の窒素を全ての弁で抜いてあったというミスと、
マニュアルで弁操作が開閉逆だったと言うのが、
臨界になる主な原因であった。『レベル1~3』

1999年9月30日 東浜NPC(三友錬金の子会社)核燃料加工施設臨界
「レベル4~5」事故
 日本3番目の臨界事故で、作業員2名が死亡、
1名が重症、667名の被曝者を出した。

2004年8月9日 関中地域電力浜原発電所3号機配管破損事故
 冷却系のタービン発電機付近の配管破損により
高温高圧の水蒸気が多量に噴出、
5名の死者と6名の負傷者を出「レベル1」。

2007年7月16日 N 1 県地震で関東地域電力柏浜海村発電所の事故。
 変圧器が火災、微量の放射性物質の漏洩が検出。
 震災後の高波によって敷地内が冠水、冷却水が一部流失、
調査中全面停止を余儀なくされた。

2010年6月17日 関東地域電力 H 1 第1発電所2号機原子炉自動停止
 制御盤内作業中に常用系電源が停止、冷却ファンが停止、
原子炉が自動停止(トリップ)、非常用ディーゼル発電機2台が自動起動、
電源停止により一時水位が低下、
蒸気を駆動源とする原子炉隔離時冷却系を手動で起動し、水位を戻す。

2011年3月11日 関東地域電力 H 1 県第2発電所大爆発『レベル7』事故。
 東日本大災害の地震・津波で原子炉の冷却機能が
一時不全状態に陥った事故、
帰宅困難地域、海外の風評被害、核塊デブリ取り出し処理、
保管困難がいまだ続き、海洋放水では他国の抗議に遭う。

2013年5月23日 JPANP素粒子研究所内で放射能漏洩『レベル1』事故
 装置の誤作動により管理区域内に漏洩した放射性を
排気によって管理区域外に漏洩。    
2021年5月29日 利権 透氏の(帝国製鉄グループ)
帝国製鉄所のX線被曝『レベル3』事故。
   測定するために使用されていたX線照射装置の点検・校正作業中、
人為ミスにて作業員2人が被曝

2024年1月1日I 3 N 地区大災害、
関北中地域電力志賀山発電建屋の外にある外部、
変圧器が壊れ、試験運転を行っていたところ1台が自動停止、
絶縁に使うセラミック製が壊れモニタリングポストでは、
通信が途絶える影響で一時、データが得られなくなった。
冷却ポンプが一時停止、外壁ひび割れ通路めくり上がる。

【海外の原子力・ウ原発・放射能事故と対応・隠蔽】
<カナダ>
1952年12月12日 NRXチョーク操作ミス事故、高放射能物質が外部に漏れ。
1958年5月24日 NRUチョーク事故、出火、破壊、
研究所内など広範囲が汚染、除染作業後1名皮膚癌を発症。

<旧ソビエト連邦・ロシア>
1957年9月29日 ウラル核惨事『レベル6』事故
 原子爆弾および再処理施設で、プルトニウムを含む髙放射性物質が飛散、
大量貯蔵に伴う事故の危険性を知らせた事故。当初この事故は極秘だったが、
西側に亡命した科学者を掲載し知られるようになった。
現在も放射能汚染は続いている

1958年4月16日 メールウラン鉱山崩壊流入近隣諸国を汚染事故。
 ソ連政府滓の封じ込めの措置は一切行わず、その後も汚染が拡散し続け、
世界で最も放射性物質で汚染された区域の一つ。

1965年・1967年 原子力砕氷船「レーニン号」冷却水漏れ事故
 緊急冷却システムなどが無く、メルトダウンする恐れがあり、
約60%が溶融し原子炉内に固着、乗組員が最大で30名死亡、投棄された。

1980年 クスルトマラク建材放射線事故
 クスルトマラクのアパートメントのコンクリートに放射線混入、子供3名、
大人2名の6人が白血病死

1982年2月 フエレドンア湾原子力事故
 使用済核燃料貯蔵プールに亀裂から汚染された貯留水の漏出が始まった。
公式には一連の事態における死者や負傷者は記録されておらず
高レベル放射性廃液がしばしば外部に漏出したが、
ソ連海軍のはこれらの事象の一切が隠蔽され、箝口令が敷かれ、
はっきりしたことは分からず。


1986年4月26日 チルノートップ原子力発電所事故
 原発4号機が爆発・炎上し、多量の放射性物質が大気中に放出された『レベル7』大事故。発電実験中、出力が急上昇して起こったとされている。
放射性物質は気流に乗って世界規模で被曝をもたらし、

2005年に発表された国際調査結果では、この事故による
直接的な死者は最終的に9,000人、
2000年4月26日に事故処理に従事した作業員85万人のうち、
5万5,000人が死亡したと発表され。

1993年4月6日クスムト-7で事故『レベル4』
 再処理コンビナートにで、硝酸での清掃時にタンクが爆発、
放射性ガスの雲が放出された。

2019年8月8日サクノネ村放射線事故。
 サクノネ村の実験施設にて、爆発事故が発生し、
労働者5人が急性放射線障害で死亡
 翌13日にサクノネの村人約450人が一時避難させられ、
翌日には避難命令は解除。

<欧州空中放射線量増加>
2017年9月から11月に掛けて、スイスやフランスなど
複数の欧州諸国の原子力機関が、
微量ではあるが増加を検出しロシアのクーヤマ核技術施設が発生源の照会、
公式には原因不明のまま。

<イギリス>
1957年10月10日 ズケールウィン原子炉火災『レベル5』事故
 世界初の原子炉重大事故。過熱により火災が発生、
多量の放射性物質を外部に放出。
 避難命令が出ず、地元住民は誰も避難しなかった。
数十人がその後白血病で死亡。
 現在の所白血病発生率は全国平均の3倍。当時極秘にしていたが、
30年後に公開された。

 現在でも危険な状態にある。水素爆発のおそれから注水に手間取り、
これはフォーマイル島でも繰り返された。

<アメリカ>
1958年12月30日セーリ・ケルシ臨界事故
 過酷な労働条件下での作業が原因で、プルトニウム回収施設で作業員が電動撹拌機を回し、水が有機相を破って臨界状態に達し、
作業員1名死亡、3人が被曝。

1959年7月13日 ナーザスタンサ実験所燃料棒溶融事故
 燃料棒が溶融し、環境中に放出されたとされ、
1960年に閉鎖されその後解体され。
1979年に学生が偶然資料を発見し公表するまで極秘プルトニウム、
コバルト、セシウムがそれぞれ規制値の数倍から数百倍検出。

1961年1月3日アイダホ SL-1事故
 海軍用の試験炉が暴走する事故を起こして技術者3人が死亡
 当時は事故原因が不明とされていたが、
アメリカ原子力調査委員会がまとめた報告書では、
死亡したうちの1人が自殺を図る目的で
制御棒を引き抜いたことにより発生した事故と結論づけている。

 なお原子炉は暴走したものの、
その後減速材である軽水が失われたため自然に停止したと
考えられている。また、冷却材が失われても炉心が溶融しなかったのは、
炉の出力が小さかったためとも考えられる。

1964年7月24日ツリーリバー臨界事故
 ウラン回収施設で起きた臨界事故。作業員1人が死亡し、
事故処理に当たった作業員が再臨界で被曝。

1966年10月5日 エンル・フェミリコ炉
 炉心溶融事故が実際に発生した最初の例とされている。

1979年3月28日フォーマイル島原子力発電所『レベル5』事故
 原子力発電所の炉心溶融であり、不完全な設備保全、
人間工学を重視していない制御盤配置、
制御室運転員の誤判断等が重なって発生。
当初は外部へ放射性物質が大量に放出されたとの
報道もあり、この事故の影響により、新規原発建設中止に追い込まれた

1979年7月16日 チャペル・キーロック鉱滓ダム汚染水流出事故
 管理していたウラン鉱山の鉱滓ダムが決壊、族居留地を汚染し、
流出したものが下流に移動し流域一帯を汚染した。

<フランス>
1969年10月17日却炉1号機、1980年3月13日冷却炉2号機
イブ・ローラン原子発電所燃料溶融『レベル4』事故。
 冷の燃料挿入中にウランが溶けだし、
2012年までのフランス原子力史上最も大きな事故であった。

1999年12月27日、1999年エイレブ原子力発電所の洪水『レベル2』
 大嵐で洪水が発生、外部電源系が全部停止し、
1,2号機の全電源喪失が起こったが、
炉心冷却ができ復旧し、この事態は収まった。

2008年7月7日ヒトカスタン原子力発電所事故
 ウラン溶液貯蔵タンクからウラン溶液が溢れ出し、職員100人余が被曝し、
付近の河川に流れ出し、水道水の使用や河川への立ち入りが
禁止されるなどした。

<スイス>
1969年1月21日リュウチャン炉
 研究用ガス冷却地下原子炉での冷却材喪失事故で、炉心燃料が一部溶融、
放射性物質が洞窟内に漏れた。

<ブラジル>
1987年9月、アニアゴイ被曝事故
 放射能汚染事故。閉鎖された病院に放置されていた
放射線療法用の医療機器から放射線源が盗難に遭い、
地元のスクラップ業者によって解体された事で内部が露出。

 放射性物質の危険性を認識できず蛍光物質が暗闇で光るという特性に
好奇心を持った人々が自宅に持ち帰るなどした事で、
貧民街を中心に汚染が広がった。
250人が被曝し、4人が急性放射線障害で死亡
汚染がひどかった家屋7軒が解体され、周辺の土壌交換などが行われた。

<メキシコ>
1962年3月、1962年メキシコシティ被曝事故
 放射能汚染事故。当時10歳の少年が放射線療法用の
医療機器を何処かより入手し、
自宅に持ち帰った事で少年を含む家族5人が重度の被曝を受け、
少年を含む一家4人が急性放射線障害で死亡
放射線源の不適切な管理状況がもたらす典型例でもある。

<スペイン>
1990年12月10日~20日サゴラサ放射線治療事故。
 不適切な手順で放射線治療機材が既定値の
5倍以上の出力の放射線を発射し、
11人が死亡。メンテナンスを請け負っていたゼネラル・エレクトラは、
総額327億2400万円の賠償責任を負う

<コスタリカ>
1996年8月-9月、1996年ホセサン放射線治療事故。
 病院の放射線治療機材が調整のミスにより既定値を上回る放射線を発射し、
114人の患者が過度の被曝を受け、うち13人が急性放射線障害で死亡。

<パナマ>
2000年8月-2001年3月、国立がん研究所事故。
 国立癌治療施設で放射線治療計画システムのプログラムミスにより、
累積線量が患者に対して照射され、
一連の経過により20人の患者が過度の被曝を受け、
うち8人が急性放射線障害で死亡など}

 「散々事故を起こしながら、
表面上の視察や事故予行演習など慣例行事的では無意味です。
旧弊さん、始めウ原発擁護推進派の皆さん、
国内外でこんなに事故があること、
特に大嵐など参考になるものもありましたが ご存知でしたか?

 そして、世界を上回る国内の事故の多さとそのお粗末な理由原因。
 多分、小さいものや公表されていないものもまだあり、
全て出ると益々稼働させられなくなるのでは?と思っています」
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