本来は学校が教えるべきこと、など

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コロナのせいにしている人がテレビに出ていました。
教育の格差が・・・という感じでした。
内容を少し見ました。
すると、その人の子は、家で「ゲームばかりしている」、
だから教育格差が開く、という主張をしていました。

私は呆れました。
この人、コロナの検査ではなく、脳の検査を受けたほうが良いと
感じました。学校に行かないから、ゲームをしているんだ、学校が悪い、
という主張が出る脳の構造を解明することが、必要と思いました。

教育とは、学び方を教えること、です。
学ぶことは、強制されることではありません。
学びたいから学ぶ、べきです。
その学びたいと思ったときに、無駄を減らし、効率よく学べるように
「手助け」をすることが、本来の学校の仕事と私は考えます。

ゲームしているかどうか、は本人の「出来」の問題です。
教育の格差ではありません。
時間をゲームに充てた、というだけです。
同じ時間を「自ら学ぶかどうか」の差、です。
これは格差ではありません。

努力と学ぶ姿勢の差、です。

遺伝の影響が少なくとも半数はあります。
すると、この子の姿は親の姿とも言えます。
自分が「アホ」であることを、テレビで伝えていることと同義です。
恥ずかしくないのでしょうか。

学校で教わる、という姿勢を改めろ、ということもコロナの教えと
思います。テキストも、今は電子化が可能です。
タブレット等で余裕で閲覧できます。

持ち運ぶことが教育や学ぶことではありません。
むしろ複数の端末を設置したほうが、効率が良いと思います。
教科書の費用の大幅な削減が可能です。
物理的には紙が減ります。
不要になってきます。

同じ時間に一律に下手な授業を受けることは、私は苦痛でした。
いちいち言われなくても、先に読めばわかる内容です。
先生、という言葉も問題と思います。
特に、20代で教員になった場合、社会的な経験が皆無に近い状態です。
それを「先生」と呼ぶことが誤りと思います。

何か「偉い」とでも思っている者たちが多数います。
大間違い、です。
字の通りです。「先に生まれた」だけ、です。
若干の時間差がある、というだけです。
この点を認識すべきです。

学校で学ぶことで、多くの人が疑問に思うことがあったと思います。
「実社会で使うのか」という点です。

使わない内容を学ぶ意味はない、と思います。
むしろ、学ばないといけない内容が、義務化されていません。
生きる上で必要なことを学ばせるべきです。

読み書きは生きる上で必要です。
四則演算も必要です。
地理は必要になることがあります。
化学や物理も、必要になることがあります。

ですが、数学になってくると、とても実社会で使うとは思えない
内容もあります。例えば、ラグランジュの乗数法です。
これを日常生活で使う人はいるでしょうか。
二重、三重の積分や微分、使いますか。

大多数が日常生活で必要な知識を、義務化すべきと思います。
法律は必須にすべきです。
少なくとも、社会に出ることになれば、賃貸、売買が関係します。
民法や、借地借家法の基礎、建築基準法の基礎、ハザードマップに
関係した内容などは、必須化すべきと思います。

知らないから危険な目に遭う、これが多いです。
知っていれば回避できた、かもしれないことがでてきます。

全てを網羅することは、学校では不可能です。
学校は、「学び方を教える」ことに徹するべきです。
学びたくない者は、学ばなくてよい、のです。
自己責任です。

学ばない、努力しない者を基準にすることが甚だしい間違いです。
努力する、学ぶ者の能力を向上させることが重要です。

学力テストの結果、どうでもよいと思います。
「平均点」に何の意味があるのでしょうか。
向上する者を「救う」べきです。
税は、怠け者ではなく、必死に努力する者に使用すべきです。
例のメンタリストは、自惚れの権化だったのでしょう。
救うべき人を見誤る結果になりました。

現状がどうか、ではありません。
学ぶ姿勢があるか、努力しようとしているか、で見極めるべきです。
正しい眼で判断すべきです。

コロナにより、生活の根幹を失う人も出てきます。
今までは温室のような環境にいた人が、突然、野ざらしで風雨に
さらされるようなことも十分にあり得ます。

そうなったときに慌てないこと。
学ぶことを学ぶ姿勢が身についていれば、必要な内容を調べ、
優先順位をつけ、自分で自力で解決できるようになります。
これが、学校が教えないといけない、最も重要なことと私は考えます。

しかし、今の教員にいるでしょうか。
その教員自身、自分のことすら対応できないでしょう。

私も中学校以降の教員の当時の姿を考察することがあります。
当時は先生、として偉いんだ、と思っていました。
ですが、今はバカの見本と感じています。
よくも偉そうに言ってくれたものだ、と怒りを感じます。

教員は、実社会を少なくとも20年以上は経験してからなるべき、と
思います。社会常識のない教員を、昔から揶揄します。
「先生と呼ばれるほどのバカは無し」です。
これは学校の教員だけではありません。
議員や士業も含まれます。
非常識で自我が強く、改めることを知らない生物、とも言えます。

学校を卒業すると、学ばない人が非常に多くなってきます。
特に今の高齢者が典型です。
なぜ、高齢者は敬われてきたのか、すら分かっていません。
ただ、馬齢を重ねてきただけ、の干からびた醜い生き物と化しています。

学ぶことを学ぶ、学び続けてきた人、これが教えを乞うに値する高齢者です。
学ぶに値する高齢者の場合、顔が良い顔をしています。
美しいかどうかではありません。
とても好感を得る顔をしています。
素晴らしいことと思います。

顔は生き様です。
顔に書いてあります。
整形では無理です。
にじみ出てくるからです。

学校は、単なる役に立たない知識を強要するよりも、生きるために
必要な学び方を教えるべきと思います。
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