私の「#ココナラストーリー」を、本当にストーリー仕立てで書いてみました。小説かエッセイか、そんな「読み物」と思ってお目通しいただければ幸いです。
この5年、色んなことがありましたが、ココナラと出会えたからこそ幸せな人生を歩めていると言っても過言ではありません。
想いのままに書き連ねてみたら、結構な大作になってしまいました。。。
アップライトピアノの蓋に手をかけて、誰にも聞こえないくらい小さな溜息をひとつついて、その手を離して居間から出た。
扉の向こうからはテレビの音が微かに漏れ聞こえ、その音を背中に階段を上る。
自室で読みかけの本を開き、今度は人の耳を気にすることなく深い溜息をついた。
居間に置かれたアップライトピアノは、私が幼稚園生の時に祖父が買ってくれたもので、四半世紀もの間、私はこのピアノを弾き続けてきた。
「お客さんが来た時に聞かせるために」という母の主張で居間に設置されたが、私の練習のために家族が見たい番組を録画させてしまうことを悪いな…と思っていた。
それでも家族は私の「やりたいこと」をずっと応援してくれて、私は大学で音楽を学び、卒業後音楽教室の講師となった。
仕事のためにピアノを練習することが多く、社会人になってからも家族に色々と我慢してもらっていたのだが、音楽だけでは稼ぎが安定せず、社会人4年目にして音楽とは全く関係の無い仕事に転職することとなった。
音楽を止めるつもりはなかった。
私の人生そのものであり、音楽の無い人生など考えられなかった。
かくして、音楽は仕事から趣味となった。
音楽が「仕事」ではなくなってから、私はピアノをあまり弾かなくなった。
趣味として思い切り弾けば良い、そう思っていた。
しかし、居間に置かれたアップライトピアノは家族の生活の中に溶け込んでしまい、私は居間に誰もいない時しかピアノの蓋を開かなくなった。
例えば母が食事を作っている時に、ピアノを鳴らす気になれなくなっていた。
例えば父がテレビを見ている時に、録画してもらいピアノを弾くことができなくなっていた。
例えば妹が電話している時に、自室へ行ってもらいピアノを練習するという考えが浮かんでこなくなっていた。
この日も、そう。
ピアノを弾くことが習慣化していた私は、何気なくその蓋に手をかけたが、父がテレビを見ていたために、その手を引っ込めたのだ。
父も母も、私がピアノを弾こうとすれば、気を遣って「弾く?」と聞いてくれた。
それは、音楽が仕事だった時も、趣味になってからも。
でも、私はもはや「うん」と言えなくなっていた。
家族の生活の邪魔をしてまで、「趣味」であるピアノを弾くのは申し訳ないと思うようになっていたのだ。
私にとって、ピアノを弾くことはとても自然な行為だった。
それが、急に「自然」ではなくなってしまったように感じた。
上手く言葉にできないけれど、趣味としてピアノを弾き続けることは、何かこう、自分が人生を捧げたものに必死にしがみついているだけのような、そんなみじめな気分だった。
ただ、楽しく弾くだけならば、そんなに真剣に練習したり研究したりする必要は無いのではないだろうか。
いや、音楽と向き合う以上はちゃらんぽらんにやるわけにはいかない。
そんな想いが交錯した。
真摯に取り組むためには時間が圧倒的に足りないことで焦りを感じながらも、そんな焦りを感じてしまう自分の諦めの悪さに苛立ちもした。
こうして、音楽が趣味になって半年が経った。
私の中にはまだくすぶったものが澱のように心の中に積もっていて、音楽を惰性で続けているだけの自分にほとほと嫌気がさしていた。
通勤ラッシュの満員電車でSNSを開けば、大学の同期や音楽教室の元同僚が、コンサートの告知や自分の音楽活動の様子を投稿している。
生き生きと輝く彼らの姿を見るたびに、それを素直に喜び応援できない自分が胸の奥にチクリと針を刺した。
こんな風に思うなら、いっそ、やめてしまおうか…。
そんなことまで考えるようになっていた。
私がココナラと出会ったのは、そんな時だった。
たまたま、本当にたまたま、何かの拍子にインターネットで「ココナラ」の存在を知り、興味を持った。
なんでも出品できるなら、音楽で出品することもできるのでは…?
そう思った。
音楽を、また仕事に…?
心臓がドクンと大きく脈打つのを感じた。
全身の血管が急に熱く活発に流れ出したようで、私はこんなにも自分自身が音楽にしがみつきたがっていたと自覚して、改めて「諦めが悪いなぁ…」と苦笑いした。
諦めが悪いのは、長所にも短所にもなる。
私は諦めが悪いのだ。そんなことは知っている。
だったら、ここで、このココナラとやらで、足掻いてみても良いんじゃないか?
そう思い、私は「ピアノ伴奏音源作成」サービスを出品した。
出品してすぐに購入されるなどということは当然なく、私は当時のリクエストボードをくまなくチェックして、何か自分にできるものは無いか必死に探した。
そして、ピアノ演奏を録音してほしいというリクエストを見つけ、手を上げた。
これが初めてのお客さんだった。
再び音楽が仕事になった瞬間の高揚感と、その仕事に取り組んでいる時の充実感を、私は一生忘れない。
大好きなことで仕事をする喜び、蘇るプロ意識、そして、必要とされているという温かい実感が、全身を包み込んだ。
録音した音源を納品した時には久々に達成感と満足感を覚えたのと同時に、これで大丈夫かな…という一抹の不安も覚えた。
ドキドキしながら返事を待ちながらSNSを眺めていると、相変わらず知人の音楽関係の投稿が連なっていて、また少しキュッと胸の当たりが痛みを感じた。
その瞬間、ココナラから通知が届き、慌てて購入者さんからのメッセージを開いた。
「素敵な演奏をありがとうございました」
この言葉は、私の胸の微かな痛みを忘れさせるのに十分すぎるものだった。
このメッセージを見た時の喜びといったら、転職してからの半年間で間違いなく一番のものだった。
砂漠を彷徨い続けていた旅人が、蜃気楼ではない本物のオアシスに辿り着き、水をたらふく飲んだような、そんな気分だった。「息を吹き返す」という言葉がピッタリだった。
ああ、私、また音楽で人の役に立つことができるんだ……
そう思った瞬間、涙が静かに溢れて頬を伝った。
こうして私はココナラで音楽を仕事に復活させることに成功した。
ココナラは私の人生を救ってくれたといっても過言ではない。惨めさと情けなさで卑屈になっていた私を再び前向きに変えてくれ、人生と仕事の楽しさを教えてくれた。
ココナラの楽しさに取りつかれた私は、音楽の他にも子どものころからずっと好きで得意だった「文章を書く」という内容のサービスを出品した。
何が当たるか分からないココナラで、私が出品した「キーワード1つでショートストーリーを書きます」というサービスは次々と売れるようになる。
小学生のころからクラスメイトの多くが嫌がる作文の時間が大好きだったが、まさか、その「文を書く」ということが仕事になるとは思っていなかった。
音楽関係のサービスは需要がそれほど多くないため、当時は本業であった会社員としての仕事と両立するのに丁度良かったのだが、ライティングの仕事がぐんぐん伸びていき、本業との両立が難しくなってきたころに、私は会社を辞めてココナラをメインの仕事にしようか考えるようになった。
ちょうどそのタイミングで、結婚することになり、主人が「やりたいことをやってほしい」と言ってくれたことが背中を押して、私は会社を退職した。
その後すぐに子どもが生まれ、子育てをしながらココナラの仕事を自宅で続けているが、私はまたしてもココナラに救われているな…と感じている。
子育ては孤独だ。
それはもう、非常に孤独だ。
日中は家で赤ん坊と2人きりで誰とも喋らず、夜はいつ始まるか分からない夜泣きに脅かされてロクに眠れず、深夜に半目で授乳し、対話も会話も何もできずに意思疎通などまるで望めない赤ん坊と、ひたすら同じ毎日をループし続ける。
そんな生活がずっと続いていると、だんだんと自分の存在を疑いたくなってくる。
子どもにとって必要な存在だということは百も承知だが、それでも自分が何のために生きているのか分からなくなってくるのだ。
加えて、ずっと家に閉じこもり、帰宅した主人としか言葉を交わさず、たまの外出は買い物ぐらいしかない、という毎日を過ごしていると、まるで社会から断絶され、世の中の流れから置いてけぼりにされているような気分になってくる。
自分も社会と繋がりたい、家族以外の誰かと言葉を交わしたい、そう思うようになる。
しかし、赤ん坊がいるため、それは叶わない。
こうして、どんどん孤独の渦に呑まれていくのだ。
しかし、私は違った。
私にはココナラがあった。
ココナラは、私と社会を繋いでくれた。
ノートパソコンの画面が、スマートフォンの画面が、私と社会の間を繋ぐ「どこでもドア」になってくれた。
子どもが寝ている間に作業し、お客様とのやりとりを進める、この時間が私にとって最高の「息抜き」になったのだ。
よく「子育てしながら仕事もして、大変じゃない?」と言われるが、確かに大変だと感じる時もある。しかし、24時間ずっと子どもだけと向き合っていなければならない生活よりも、少しでも社会との繋がりを感じ、自分の存在意義を確かめられる生活の方が、ずっとずっと幸せだと、私はそう感じる。
幸い、多少家事がおろそかになっても主人は気にしないでいてくれる。
私の優先順位が「育児>仕事>家事」で良いと言ってくれている。
私の仕事が山積みになっていれば、子どもの面倒を積極的に見てくれる。
主人の協力と理解が無ければ、決して実現できないことだ。
主人にはもちろん感謝しているし、最近はゴキゲンで一人遊びに興じてくれる我が子にも感謝している。
何よりも、こうして自宅にいながら、育児をしながら、「仕事」という形で社会との繋がりを持ち続けることができる最高の仕事場であるココナラに、心から感謝している。
私は二度もココナラに救われているのだ。
一度目は音楽が仕事から趣味になって絶望していた私を、二度目は出産して”子育て”という孤独な闘いに臨まなければならなくなった私を、ココナラは救ってくれた。
会社員時代の副業が本業になり、今は本業でありながら子育てや主婦業との両立を実現できている。私にとってココナラは変幻自在に自由な働き方を実現してくれる最強のプラットフォームなのだ。