間違ったお手本を手にしてしまった私は
「仕事は休まず行くもの」
「他人に頼ることは甘え」
「いつも自分に自信がなく」
「なんて私はダメなんだろう」
と知らず知らずのうちに自分で自分を傷つけてしまっていたのです。
周囲からは期待をされその期待自体は嬉しいものでしたが「頑張って」の言葉さえ辛かったです。
落ち込んでいるとき、心に余裕のないときの「頑張って」ほどキツイものはありませんでした。
「橘さんなら簡単でしょ」
「橘さんに任せておけば大丈夫!」
「あとはそっちで頑張ってね」
もうぜんぜん、大丈夫なんかではありません。
「そんなわけあるか!」「これ以上は無理!」
これを大きな声で言えなかったんです。
大丈夫だなんてことないのに、
「辛いです」「出来ません」「荷が重いです」
が言えず、心も体も時間もすり減らして行きました。
そして、頼ることも出来ずにめまいや不安障害にと体を壊して休職。
相変わらず自律神経失調症の診断もされたまま。
そしてビックリ休職中にチョコレート嚢胞も発覚です。
「踏んだり蹴ったりで良いことない…」
「なんで私ばっかり…」
「なんで運が悪いんだろう…」
と悲観しました。
ですが、ある日を境に考えが変わって行きます。
ふと、「そういえば私、幼いころは占いが好きだったな」と思い出したのです。
きっと一度は目にされたことがあるかもしれない「マイバースデー」と言う占い雑誌。毎号楽しみにしていました。
恋のおまじない、なんてものもドキドキしながら試していたんですよ。
初々しいですね。
そんな私だっだのですが、大人になり就職し、仕事や実生活に余裕がなかったので、私の中から占いやスピリチュアルなものを脳が排除していたのです。
占いが好きだったこと、十何年も忘れていました。
小さい時だって神仏とも縁が深く、毎月決まった参拝を行うために、両親や祖父母に連れられて神社仏閣祈祷寺にと、ずっと行っていたのに。
当時は幼稚園小学生でしたから、山登りをしていたな、太鼓を叩いているなんだか偉そうな人がいるな、くらいの認識しかありませんでした。
今思えば、その地域で一番神通力の高い素晴らしい方のもとに家族そろって、お世話になっていたのです。
こういったものも、すっかり忘れてしまっていました。
あんなに近くにあった見えない不思議な世界のことを。
体を壊し、もはやなにもやる気にもなれない、楽しくもない、来世は多肉植物に転生するんだ。
そうやって腐っていた私の目に入り込んできたのは、ひとつのオラクルカードでした。
なかなか終わらないのでまた続きます。