大好きな母親が亡くなってから思うこと!

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母子家庭で育った私は、母親の苦労は後から解ってくるものです。

私が子供の時は、母親と楽しくしゃべる時もあれば、大喧嘩するときも

ありました!! 大喧嘩するときは、母親はヒステリックにイライラする

年頃もあって、ものすごい負けず嫌いな攻撃で向かってきます。

ひどい時には、ドラマにもあるように包丁を持ち出したり、先のとがった

ハサミを私の足に投げることもありました。気が収まるまでは、

そんなに対抗はしないようにしてました。

それは家庭が裕福でないことがすごく影響しています。

母は年金と内職でやりくりして私を育ててくれました。


お金が無いのに私立の高校まで、

なんとか入れてもらえました


それから高校卒業して、地方に出稼ぎに行くこととなった私は、

初めて母と別々の暮らしとなります。


初めて地方へ行くとき、乗ったこともない寝台電車に乗るのは心細いです。

遠く離れて、揺られて、寝台で夜寝る時は、涙が出て来ます!

大好きな母親と初めて離れるわけですから、泣けてくるのでしょうね!!


地方で働いて稼いだ給料は勿論、ほとんど現金書留使って仕送り

してました!! 地方の田舎の出稼ぎでは、私はお金を使うこと

はありませんでした!

母親に仕送りしてほとんど使ってもらうのが一番いいと思いました!

もうそのころには、母親の年金も十分に余裕があるので、

ヒステリックで怒った母親を見ることがありませんでした。


何年かしてから、また実家に帰って、母親と二人暮らしを始めることに

なります! 母親は喫煙家で、しょっちゅう、パチンコも行ってました!

まだ長く続けていた内職の給料2万くらいを一瞬でパチンコに

すってしまう母親です! あー腹立つーと叫ぶ光景を何度もみてました!


その母親の不規則な生活は、大きな病気になっていくんだなと

後から気付ます。

もちろんその時、私が体に良くない生活だなーと理解していたら

母親はもう少し長生きさせるサポート出来たかも知れません!


ある日、パチンコに行ってた母親は、夜遅く外から家に

電話してきました! どうしたんと聞くと?


内容は、しんどいー、動かれへんという言葉でした。

それから私は駅まで迎えに行きます!駅のロータリー

の椅子に座ってました!! 


その時は、大きな病気になっているとはわからないものです!!

とりあえず今日は一緒に帰って

明日病院にいこっ! と話しが一致しました!!


結論から言うと母親の病気は・・・

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