あの頃の話をしよう

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コラム
 今日1月7日は、昭和天皇が崩御され激動の昭和が終わった日。

 よく「懐古厨」と揶揄する人はいるけれど、今日は敢えて「昭和」の時代の話をしてみようと思います。

 私自身は、昭和52年の生まれですが、職業柄、未だに戦時中の話や戦後まもなく、また昭和30~40年頃のお話を伺うことがあります。

 やはり皆さん同じ。「あの頃は良かった。日本中が元気だったもの」と仰るのです。私は否定も肯定もせず、ただ笑顔で頷いて聞いています。

 可愛らしい歌の上手なアイドルに熱狂し、今ではコンプライアンスに余裕で引っ掛かるであろう、過激なバラエティ番組。今では地上波で流すことのできないようなドラマ。親が寝静まるのを待ってテレビを見に起きた記憶がある方もいらっしゃるでしょうか?

 仕事では「24時間働けますか」というCMが何の問題にもならないくらい、モーレツ社員が世に溢れていましたね。あのドリンクを飲むとそんなに元気になれるのか…飲んでみたいなと思った記憶があります(笑)

 子どもの数も多く、主人が通っていた小学校では教室が足りなくなり、やむを得ずプレハブで教室を増やして対応したんだそうです。学校内はてんてこ舞い。いじめや校内暴力といった問題も沢山ありましたよね。

 老若男女問わず熱狂できる「何か」が、あちこち探さなくてもその辺に転がっていたその代わりに、社会的な弱さを抱える方に対しての公的な受け皿がまだ余りシステム化されておらず、児童相談所も「躾のために叩いた」と言われれば「そうですか」とあっさり引きさ上がらざるをえないような状況がありました。

 顔に広範囲の痣ができるほどに殴られた時に、学校から児童相談所に連絡したようで職員が訪問してきたことがありますが、うちの母親が玄関先で怒鳴りつけ「あんたが代わりに育ててくれるのかい!?偉そうに口出ししやがって!!」とすごんだら帰って行っちゃいました。その後のフォローもなし。でもこれは、そんなに珍しいことではなかったと後で知りました。今では考えられないことですが…



 ざっくりと振り返ってこう、印象的だったことを文字にして振り返ってみて胸が苦しくなった方もいらっしゃるでしょうか。きっと、私と同じくらいの年代で氷河期世代の枠に入っている方が多いのではないかと推察します。

 コンプライアンスに引っ掛かりそうなテレビ番組を楽しみたかったけれど、親の価値観の押し付けで楽しめなかったり、その番組を見られないことでクラスメイトの輪に入れなかったり、それが原因でからかわれるようになったり。

 父親不在の家庭で育ち、母親のサンドバッグにならざるを得なかったり、悩み事などを相談する人がいなくて、ずっと苦しみや悲しみを抱えていたり。

 よくよく考えれば、大して良い時代だったわけでもないのに、何故今もこう賛美され続けるのかわからないという方もいらっしゃると思うのです。

 今でも、賛美される理由。それは「落差」にあるのではないか。私は頭の中でそう理解しています。

 昭和恐慌や世界大恐慌、それに第二次世界大戦、敗戦などの暗い時期があったと思えば、戦後復興からの高度経済成長、バブル経済といった明るく勢いのある時期、そして、バブル崩壊、不景気…

 まるでジェットコースター。「怖かったけど楽しかった。また乗りたい」と思うのか「もう二度と乗りたくない」と思うのか、評価も両極端になりがちです。

 友達と一緒に乗った時に、友達のハイテンションにつられて、乗りたくもないのにもう一度に付き合う。そういう事象にちょっと似ているのではないかと思うのです。

 楽しくなかった、と言えない謎の勢いが、高低差の分だけ大きくなっている。と言ったところかもしれません。

 本当は「NO」って言っていいはずなのに、何故それを言えず飲み込んでしまうのか。

 お年寄りの昔話にニコニコと頷きながら、わたしはいつもそんなことを考えています。







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