4えっなに、これって新興宗教?

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こんにちは。
美佳による「寺子屋スクール」は縮めて「みかてら」です!
「みかてら」は
「嫁塾」(ココナラで公開中)
「母塾」(ココナラで公開準備中)
「妻塾」(未定)
「夢塾」(未定)
の4本立てですが、今回はここ、ココナラブログで「母塾」を開催します。
全10回シリーズとなりますので、ご期待くださいね。
7300日(20年)の認知症義母との同居しつつ、3人の娘たちはティーンエイジャーになりつつあり、その家族との間で様々に気付いたことを「母塾」にまとめました。
では、開講しま~す!

正直だまされた!と感じた。

私の失敗談となります。しかも、義理の母にはだんまりで通した内容です。
なぜ、私が新興宗教に入り、その宗教をやめ、義理の母にだんまりを通し、今観なさんに伝えるのか?お伝えしていきたいと思います。

高校までは公立の学校に通っていましたが、高校卒業後は英語の専門学校に2年通いました。その学校は「秘書業務」を英語で学ぶ学校で、英文法、秘書業務を英語で学ぶ、速記、英文タイプ、英会話などなど学びました。

その英語学校時代に仲が良かった、友人から卒業後の夜中に電話が頻繁にかかってくるようになりました。あまりにも電話がくるので、「そろそろやめてほしい」と思いながら、押しの強い友人だったため断れず、「絵の展覧会」に誘われて、それに行けばもう電話がかかってこないと思って、言われるがまま行ってみました。

常に押しの強い彼女の言いなりであったこともあり、展示会に行ってみると、林喜一郎先生の日本家屋を油絵で描いた絵画が非常に気に入りました。でも随分高く、40万円。。。その場にいた友人やサクラの展示会の人たちとの話からなぜかその絵を手に入れたくなってしまいました。。。そしてその支払いが非常に期間が短くて、無理やり定期預金にしたものを途中解約して支払ったところが始まりでした。

でも、そこで強く断れなかったことが原因で、その後結局「一緒に勉強しよう」ということで自宅から往復4時間のところに通うことになりました。もともと自己啓発的なものには興味があったので、ビデオでの学習でいつそこに行ってもビデオで学び、そこに居るよく知っているアドバイザーのような人たちと話をして帰るという繰り返しでした。

しかし、そこに私が幼少のころから求めていた「家庭、家族のあるべき姿」がわかるかもしれない!という期待的観測を持ってしまったことがさらにエスカレートした原因。やはり「理想の家族像」というものに執着心があったからそういうものを引き寄せたのだろうと今も思っています。

そしてそこは新興宗教であり、そこには「やめる選択肢」はないのです。「さらに学ぶか」「ここで留まって学ぶか」しかありませんでした。学んでいった結果、あとになって「実は宗教である」と明かされます。キリスト教系の新興宗教でした。普通だったら「私はここでやめます」という選択肢があってもいいはずなのですが、誘う側も宗教に携わる者として「すべてここに来た人を救う義務がある」というある意味勘違いがあるように思います。その本人の選択の自由意志を否定するやり方は間違っていると思うし、私が特に新興宗教に対して信用できなくなっている一つの事実として新興宗教に入り、やめた者としてお伝えしたいと思います。

親に言えない時期

私の父は、社会党員で、労働組合委員長というお堅い人で、「統一教会」のことは知っているようでした。結局「宗教の教義はとても良いと感じている」だけれど「親を説得するほど力も情熱もない」という状態がずっと続き、人をだましているようで辛い時期が続きました。

何をしていても中途半端で、私には合っていないようでした。その信仰宗教が原因で最初に就職した会社を辞めました。3年経っていないくらいだったと思います。その時の仕事はそこそこ面白くて、当時最新型のオフィスコンピューターのトレーナーとしてデビューすることになっていたりしたのを蹴ってやめたのでもったいなかったな、と思ったりします(笑)

それから自宅から通いながら、学びを深めるという形になり、仕事をたびたび変えて行きました。自分でもどこに向かっているのかよくわからなかったです。そして協会の仲間たちと共同生活をしたりして行きました。

その新興宗教の場合、一般会員は教義を学ぶ機会があり、その教義に賛同した場合、共同生活をしたり、経済活動をしたりして行きます。経済活動というのは、ある時期「お金集めの号令がかけられる」のです。それで私の失業手当は協会の中心的な女性に言いくるめられて結局寄付しました。友人からお金を借りるように言われたりして借りたりしていたので、そこからも親に伝わることになりました。

親には本当に心配をかけたと思います。私が今親になって、娘が新興宗教にはいったら「どう思うだろう?」と思います。見方を変えると、「そこまで家族について疑問を感じていた」ということはあったのですが。

今までしたことなかったことを経験


訓練として、色々なことをしましたし、自分としては嫌なこともやりました。。。休みの日は、大きな駅に出かけて行って何人かグループになり、人に声をかけてアンケートに答えてもらったりして、一緒に勉強する、勧誘する人を見つけることなどをしていました。実際に殴られたりもしました。夜は友人に電話をかけて勧誘したりしていました。私は1人も勧誘できず、勧誘ということに一生懸命になれなかったです。

結局、「私は家族に執着するからこそ、ここで学びたいけれど、世の中学びたい人ばかりじゃないじゃない?」という思いが常にあったし、そういう「私は私、人は人」みたいな考え方がすごく強かったので、そういう意味では宗教の中では非常に劣等生でした。

その新興宗教の信者さんにはいろいろなケースの人がいました。家庭から通いで宗教のお手伝いをする人、また献身的に自分の家族から離れて(出家のような感じのようですが私はそういう立場ではなかったのでよくわかりません)信者用に借り切っている家屋に住み込んで経済活動や、その他勧誘した人達の育成などをしていくようでした。

私はとにかく、勧誘が苦手で、自分がやっていることを自信をもって伝えられないため、人もついてこないという状態が続いていました。あとは頭ばかり先に考えて心配したり、うまくいかない事ばかりを考えてしまって、良い結果に結びつくようなイメージが全然わかなかったことも理由の一つだと思います。

そういえば、訪問販売のようなことをしたことがあります。幾つかのグループに分かれて、なにか乾物のようなものを売りに行くというのです。それも嫌いでしたが、1件だけ可哀そうに思った奥さんが買ってくれてご縁を感じたことを覚えています。

普通だったらやらない事ばかりやっていたので、人間ちょっと丸くなったかもしれないです。自宅の両親の仲が冷え切っていて、自宅にいても楽しくないし、同年代の人と一緒に「普通だったらやらない事」をするのは悪くないと思うようになっていたかもしれません。

あんたの名前は「ガンコ」だ!


これは忘れられないのですが、そういう宗教は信者さんを地域で受け持ってある程度教育するのですが、私がいたところにもそういう教育係の男性と女性が数名いました。

私が「人は人、自分は自分」のような考え方や、頭ばかりで考えて不安になって良い結果に結びつかないのを見ていてあきれられたのだと思いますが、ある日、その教育係の女性から「あんたみたいな人はね、髪が太くて硬くて強情っ張りで、名前も『ガンコ』に変えたらいいんだ、あんたの名前は『ガンコ』だ」と言われました。

意味わかんないし、ひどい言われようだな、と思ったけど、やっぱり「人は人、自分は自分」と思って「この人は何か腹を立ててこう言っているけど気の毒だな」と思ったように思います。ひどい言われようで、そういわれたときには冷や汗をかいたけれど、不思議と怒りを感じなかったのは、もしかしたらその教育係の女性が彼女なりに私のケアをしてくれていたからかもしれないです。まあ当時の私は「手のかかる人」だったのでしょう。

なんだか、ジブリ映画の「千と千尋の神隠し」で湯ばあばが、主人公の「千尋」という名前を「千」という名前にすることによって主従関係を作るシーンがあり、「お前の名前は『千』だ!」と言ってましたが、まさにそんな状況でしたね(笑)

両親のびっくり大作戦


そんな生活が2年位続いたでしょうか。ある日自宅に戻った時に、私が宗教に入ったことを悟った父が手を回していて、あるアパートの一室に連れていかれて親や親せきと共同生活をすることになりました。それは子供が新興宗教に入った人達にアドバイスしている牧師さんに教えてもらったそうです。あとになってその牧師さんとも話をしました。

そのアパートの部屋は、2DKくらいの狭い部屋で雨戸が下ろされて外が見えないようにしてあり、私が逃げないように常に10人くらいの親戚が常駐していて部屋にずっといる形でした。私が逃げないように見張る意味もあり、話し相手にもなり、という形でしたので、母はみんなの食事3食を30日くらい、準備して食べさせて片付けるっていうことをしてくれました。それはそれは大変だったと思います。

見方によっては、本当に親不孝。でも親の必死さを感じました。その当時、両親は「いつ離婚するか?」くらいの冷え切った状態で、父からは母の悪口や不平不満、母からは父の悪口や不平不満を聞く状態がどれだけストレスフルだったかという状態が、私の宗教をやめるために父と母が協力したのだと思うと不思議な気もします。

そんな両親の必死な思いが通じたのか、20日くらいたって私が「協会がおかしい」と思ったのは、「このまま戻っても殺人を指示されたら私はどうするのかな?」と自分に自問し始めたところだったと思います。

牧師さんと話をしたり、親戚と話をしたりして、自分が「理想の家庭像がある、これが真実」と思ったことと「殺人教唆されるかもしれない事実」を自分で秤にかけ始めてしばらくして「やめる」という結論に至りました。私を誘った英語の専門学校時代の友人は、そういう家族の説得にも応じないで、協会に戻ってきたとしてヒーロー扱いだったことを思い出します。

当時その宗教の内側では、両親が説得をしたけれど宗教に戻った人は「意志が固い」ということで賞賛されていました。私を誘った友人は賞賛されていました。でも、私には「家族とはいかにあるべき?」ということでその宗教の協議にも触れたため、「殺人教唆は嫌だ」という一点からすべてがガラガラと崩れてマインドコントロールが外れてしまいました。

それから少ししてその部屋を引き払い、親戚にも帰宅してもらって、私も自宅に戻ったのですが、そこから自分の頭の整理に苦しみました。昨日まで信じていた、信じ込まされていたことが真実ではなかった、今日から新しい別のことを学び信じていかないといけない、みたいな感じだったため自分が自分でわからなくなる、世界の終わりのような感覚を味わいました。
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心が空っぽな日々


それは結構大変な作業でノート10冊くらい日記のようなものを書きました。あまりにも心がストレスフルで元気がなかったせいか、同じ悩みを持つ人たちが集まるところがある、と探してきてくれて、そこに行くことになりました。

そこは新興宗教から脱会して頭の整理が必要な人たちを集めて、共同生活をさせてくれる山梨の牧師さんがボランティアでやっていることでした。私はこの教会に行って2か月ほど共同生活をする中で、いろいろな経歴の人が、協会の中でいろいろなことをして、色々な思い出抜けてきたことを知りました。だから入るのも、抜けるのも、抜けた後通常の生活をするのも大変なのだと沢山の人を見ていて思いました。この宗教を抜けた人を「脱会者」と呼んでいました。

その日本基督教団の教会は、山梨の都留市にあり、なんと義理の母の出身地だということをあとになって知ります。非常に強いご縁を感じます。その協会には女性の牧師さんがいて、またこの牧師様が個性的な女性でした。自由だし、でも人の話には徹底的に耳を傾ける情が熱い感じの方でした。

そこでその牧師さんと話をしたり、同じ境遇の共同生活をしている人たちと話したり、日曜ごとにはすでに自宅に戻った、「脱会者」たちが沢山集まるので、そういう時にまた話をさせてもらったりしていました。

私は、そういえばその山梨の教会にあったオルガンを良く弾いていました。ミサなどがない時、一人でオルガンで讃美歌などを弾いていましたが、音楽を奏でることが癒しになると思いました。また教会から歩いていけるところに教育大学がありました。時折、その大学の構内に学生用のピアノ練習室をおかりしてはピアノの練習をさせてもらったりしていました。

そういう心が空っぽになってしまう時には、本当にピアノが私を助けてくれたと思います。「脱会者」たちはみんなで同じ悩みを分かち合ったりしますが、結局は個人なので、個人個人が自分の中で割り切れて吹っ切れた時、その教会から自宅に戻ります。私も2か月くらいで自宅に戻りました。

「宗教のお布施」がいまだに納得できない


宗教ってそういうものなのかもしれないです。借金をしたり、高価なものを購入したりして宗教にお金を入れたりという経済活動などもあって、それが当然と教えられ実践させられるのですが、「それが間違いだった」となって実社会に戻った人たちは、今度は逆な意味ですぐには社会になじめない感じがありました。

本来お金を宗教の側に渡すのは、「信仰の証」だと思いますが、私にはその宗教では、全部ではないけど、一部のお金は「無理やり、有無を言わさずに寄付せよ」と言われたように思います。だから心のどこかでずっと「おかしいな」と思っていたのだと思います。本来、人は「本当に助けてもらった!」「あなたのおかげで悩みがなくなって心から喜んで生きられる」と思ったら自分から自然にに感謝の気持ちを表すために何かしたくなりますし、お金を渡す以外にもボランティア的に働いたりすると思います。

でも、その宗教の中では「お布施すべき」「モノを買うべき、買わせるべき」みたいのが、やっぱり今でも心に引っかかります。「全部人の自由意志じゃないの?」というところがまだよくわかっていなかったのかもしれません。

私の場合、色々な貯金を切り崩したり、失業保険をもらったものを寄付したり、モノを買ったりして、後で計算してみて結局800万円ほどつぎ込んでいました。3年程で800万円。でも、同時期位に脱会した看護師の女性は2000万円つぎ込んでしまったそうで、それを聞いたとき「負けた?!」と思った自分がいました。

お金だけの問題なら、贅沢しないで地道に働けばなんとかなりますが、心の問題は自分次第ですよね。どうにもならない場合にはやはりプロの人に介入をしてもらった方がいいと思います。良かったら私もいつでもお話お聞きします。

私も、父のつてで弁護士さんに、返金を要求して裁判を起こしてもらったようですが、結局お金は戻ってきませんでした。ですがその戻ってこないことも含め、私の学びとなっています。

「脱会者」のコミュニティ


私は、「脱会者」という呼び方もおかしいと思っていましたし、宗教に入会して脱会しただけだから普通の人間だと思っていたのですが、同じように宗教に入り、やめた人たちの中では、自分の価値基準がわからなくなっている人も沢山いるようでした。そして何人もの人たちには「結婚する」ということについて「いいのだろうか?」とどこかで思ってしまったようです。その新興宗教の中で、「家庭」についての教義があったからかもしれないですね。

ただ、私はやはりどこまで行っても「人は人、自分は自分」という思いがあったので、宗教に入った、やめた、だからといって「同じ人間だし、区別する必要があるのか?」と私は思っていました。実際に、何人もの女性から「脱会者と結婚するんだけど」とか「お付き合いについて」とか相談されました。答えられるときはいいのですが、答えられないときは申し訳なかったです。昔から相談されやすかったのかもしれないです。

ちなみに、自分自身がもっていた「理想の家族像、家庭像」についての問題はその宗教に入って、やめても解決は去れませんでした。宗教では解決できない、ということが分かったということが一つの収穫だったと思っています。

私も何年か、「脱会者」という人たちと遊びに行ったり、「脱会者」の一人で旅館の息子さんがいて、みんなでその旅館に集まる形で旅行を企画してワイワイ話をしたりしていました。同じような経験をし、他では話すことのない文化というか宗教観だったり、独特の言葉だったり、嫌な思い、良かった事など、なかなか消化できない思いを共有できる仲間がいるということに安心出来た日々でした。

恐らくそこに集まっていた数十名が同じ気持ちだったと思います。彼らは結婚して私のように離れて行ったり、逆にその人たちと協力して「脱会者」が次から次に出てくる、そういう人たちの受け皿的役割をしている人もいました。

義母には話していけない?!

さて、そういう経験が暗く影を落としているかというと、私の場合はそうではなくて、逆にオープンで行きたいと思っていました。「だって私の一部だし」と思っていたら、夫から結婚してすぐ、義両親と同居するにあたり「おふくろの実家の隣がお寺で、おふくろは新興宗教が大嫌いだから、お袋には言うな」と言われて、「オープンにしたい」のと「へんなことでばれたらまずい」という思いでずっと苦しい思いをすることになってしまいました。

義母と話をしていた時に新興宗教の話になって
「もしかしてやっていたの?」
と聞かれて「どうやって答えよう?」と少し考えてしまった事がありました。

夫からは「うちのおふくろは、実家のとなりがお寺で昔から仏教を信仰して、新興宗教が嫌いだから、おまえが新興宗教に入っていたこと話すな」
と言われていました。

でも、もともと隠し事が苦手で、「ばれるくらいなら最初から伝えておく」という考え方でいたので、本当に義母に隠し通さないといけない、と思った時には「夫に従うか?自分を貫くか?」考えて、その時までやっていなかったことをしました。

義母には悪いけれど、「新興宗教に入っていた事実は伏せる」ことにしました。でもそこで挙動不審だった私の言動が、義母が少しずつ進行していた認知症とあいまって「嫁はどろぼう」という義母にとっての決定的証拠の一つになったということは言うまでもないです。身から出た錆ですね。

自分の人生は自分の責任


その「今までしなかった選択」ができたこと自体は後悔していないです。ただ、今ならどうす「るか考えてみますと、夫に何を言われても自分が思ったこと、を貫いた方が良い」と思っています。

やはり人が何と言おうと、「自分の思い」は否定してはいけないんだと思います。だから結局20年近く濡れ衣を着せられる形になり、しかも殴る、暴言を吐く、顔に唾を吐かれたこともありますが、それが被害者としてしか受け取れなかった時期が長かったです。

あくまでも自分のしたことは自分で責任を取る、ことが重要だと思います。もしかして、夫の言うことに反する形で「新興宗教に入っていた」と伝えたとしたら、それはそれで義理母との関係が別な意味で悪くなったことも考えられます。

でも、「自分で自分の責任を取る」ことがもっと早くできて、余計な悩みがなかったかもしれないと今は思います。勇気が出ないことで、本当にすべきことに気づくことが遅れた、というのは実感ありますね。


もしかして必要?かもしれないあなたへ♪

子供のことが気になるけれど、なかなか理解できない💦
そんな風に思うことありませんか?

大切に育ててきたけど、「あれ、この子が考えていることわからないかも💦」そんな風に焦ることはありませんか?

子供は大人が思う以上によく状況を理解していて、分かっているからこそ一人で苦しんでいることがあります。親も子もお互いを理解する時間も術もないと本当に理解しているようで、お互いがお互いの想いをぶつけるだけの不毛な関係になっていきます。

そういう時、まずはお母さんご自身の想いを何らかの形で吐き出したら良いと思います。なにか、断片的に頭の中にある言葉をメモ帳に書き出すだけでもスッキリすることがあります。日記を書いたことがある人は、日記を書いてみると、客観的に自分を見つめることができて、楽になることがあります。

そして自分で書き出すだけだと、「じゃその先はどうしたらいいの?」が出てこない時があります。だって親だって教えれもらっていないですから、それはお母さんのせいじゃないと思います。

かつての私もそうでした。両親や親せき、学校の先生、会社の上司、同僚から学んだことの中だけで暮らしていました。でもその知識や経験だけではどうしても解決できないことが山のように押し寄せ、自らメンターを探し、学びに行き、心理学、脳科学などを身につけました。

そして、子供や夫、同居の義母に対しても応用していくことにより、本当に自分が楽になり、もちろん問題が一つ解決してもまた問題が起こります。でもその都度その都度諦めず、問題を一緒に解決することで心穏やかに楽しく暮らすことができています。

その経験からお話を聞いて、アドバイスできるのではないかと思い、サービスを始めることにしました。

よかったらこちらからご相談下さい。こちらのサービスは実際に話すことは致しません。文字での情報となりますので、気楽な気持ちでメッセージ頂ければ、と思っています。


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