しばらく出品とは関係ないブログ

告知
コラム
本当に、商売とは関係ないブログになります。
サムネのタイトルにもありますが

今年5月17日午前5時30分母が末期の肝臓がんで他界しました。

癌と発覚したのは、4月。腹水で緊急搬送されCTで癌とわかりました。

担当医からは『もって三か月』と言われました。
腫瘍マーカー検査もしていましたが、肝臓自体が形を成していない状態

そこから、タイモウと言われる組織に転移その後全身に転移

毎月、必ず血液検査等していました。

過去に急性膵炎で緊急搬送され、二か月入院。生きる確率30%と言われました。

今回も『頑張って、一年いや二年は大丈夫』
と願っていましたが
病院にいると面会が出来ません(コロナで)

自宅療養に切り替え、退院させました。私の判断です。もう『ダメだと思う』
頭になんとなく過ったんでしょうね。
5月1日に、訪問診療のクリニックと本門看護師さん、その他色々な関係機関と契約。生活保護だった母ですが、何とか手厚く診てくれるクリニック、訪問看護師さんに恵まれました。

退院後は、特にいつも通りでした。炭酸飲料解禁で三ツ矢サイダーを飲んだり
コーヒーを飲んでいました。
5月3日から『呼吸が苦しい』と言っていたので主治医と話し
オプソと言うレースキュードーズを使う事に(まだ呼吸器は無かった)

医療用麻薬です。しばらくはそれで対応。トイレもなんとか行けていました
でも、痛みが出始め医療用麻薬が4日に追加されました。

5月9日に、母の世話をしていた弟が午前中外せない用事があり、私が母の
面倒を看る事に。その時は『三ツ矢サイダー取って』等なんだかんだ元気がありました。その日は、私も安心して帰宅。

次の日弟から『お母さんがちょっとマズいかもしれない』と連絡が来ました

あんなに元気だったのに、介護用ベッド搬入、酸素導入といきなり寝たきりになってしまい、口から水分も食事も摂れなくなりました。
私も。過去看護師になるために、看護実習等行っていました。ある程度ですが知識はありました。
酸素は『一時的に3リットル以上あげてもかまわないが、基本3ℓ以上は無し』
母宅へ行くと、衛生的とは言えない状態
私は、弟に

『家にあるもので済ませたいのはわかるけどこれはよくないよ』

と、Amazonで母に必要な物を買いました。

ボックスシートの防水シーツ、介護用コップ等。
即必要な物は、ドラックストアで購入。
テープ式紙おむつ。紙おむつ用パッド、お尻ふき、アルコール除菌スプレー

はい。借金して買いましたね。

今すぐ必要な物だけ買いました。後はネットです。

主治医も訪問に来てくれたので口からの服薬が不可能と説明して母にばれないようアパートの廊下で『張るタイプの医療用麻薬を処方してほしい』と私がかなりごり押しで頼みました。

何とか、処方されました。母が他界する5月17日の一週間前の10日から毎日母のもとへ通いました。
日に日に衰弱する母。私は『おいおい、まだ一か月半も経ってないぞ』
と心の中で思いながら、介護する日々。訪問看護師さんにも、頻繁に来てもらい、病院の先生も頻繁に来るようになっていました。
亡くなる三日前からは、血圧も上手く測れず、パルスオキシメーターも触れず
脈動も何とか触れてるかな~状態で、完全に脱力していました。

5月17日 朝4時18分。弟から『今から来れる??もう時間が無いみたい』
と連絡が入り、コーヒーをガンガン飲んで車で10分で母のもとへ行くと訪問看護師さんが先に来ており
『酸素、、、止めますか??』

私は『まだ、身体が温かいので先生が来るまで流してください』
『看取れなかった・・・・。もう、心臓は動いていない』

弟に、事の経緯を聞いたら「吐血したんだけど寝てるんだよね」
タオルで隠された頭の部分下は、血で汚れていました。
主治医が来たのは朝の5時25分。
そして、診察の結果
『5月17日午前5時30分永眠されました』
その言葉で、酸素を止めて最期の処置を訪問看護師さんにお願いしました。

葬儀屋さんにも連絡をして、最後の処置が終わってすぐに葬儀屋さんが来ました。
母は、黒のエスティマ(もうお約束の車ですよね)で安置所に行きました。
ぎゅっとまとめてブログにしていますが、大変でした。

余命三か月が一か月半でお迎えが来ちゃいました。

『あ、お薬回収しますね』

主治医は『一応麻薬なんで(;^ω^)』

あーあー、試したかったのに と言うのは冗談。
次のブログは、火葬式の費用についてや、追加オプション等書きます。

月咲(げっさい)

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す