生きるのがしんどい方へ

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コラム
こんばんは。
恋愛心理アドバイザー白浜ゆうりです。

リピート様も増え、最近では恋愛以外の人生相談も増えてきました。

人生相談では、夫婦関係、親子関係、職場の人間関係、自身のメンタルの不調など、様々なご相談を受けておりますが、その中でも特に多いのが「生きにくさ」についてのご相談です。

鬱だと既に診断されている方、まだ診断にいたってはいないけど「死にたい」「生きるのがしんどい」「生きにくい」というご相談はとても多いです。


生きにくさと戦いながらなんとか辛い日々を耐えている方が、少しでも楽に生きられるように願いを込めて今回記事を書こうと思いました。

「生きるのがしんどい方へ」というタイトルを見て来られたということは、あなたも「生きにくさ」を感じられながら頑張って生きている一人だからだと思います。

読者の皆様の中には、死ぬのは全く怖くはないけど、痛いのは嫌で、死ぬまでの行動をおこす勇気もなく、仕方なく生きている方もいるでしょう。

それこそ、生き地獄ですよね。
生きるのは苦痛が伴いますし、死ぬのも苦痛が伴います。
なぜ、生まれてきたのだろう?と疑問に思っても不思議ではないと思います。

仏教の教えでは、「人生は修行」というように考えられています。
今世で徳を積むのは、来世でより良く生きるためだ、と。

でも、この考えって、今苦しんでいる人たちにとっては、かなりしんどいのではないかなと思います。

「現世で精一杯、来世のことなんで考えられないよ!」
「来世は人間ではなく、猫になりたい・・・」
「むしろ、来世なんていらない」
そんな声が聞こえてきそうです・・・。


たくさんのご相談を受ける中で、「生きるのがしんどい方が楽に生きるのはどうしたら良いのか」を考えてきて、辿りついた答えをこちらで紹介したいと思います。

相談に来られた方には、カウンセリングを行ってから、心理学や精神医学をもちいて個別にアドバイスを作成しておりますが、こちらの読者様にいたっては生い立ち、状況は様々だと思いますので、ブログでは「私なりの考え方」を記載させていただきます。

なので、期待していた記事とは違った、とがっかりされたら申し訳ないです。
(思うままに書いていくので、他の記事よりもまとまりはないです)

まず、生きるのがしんどい方は「原因」が必ずあると思います。

よくあるのが、「自己肯定感が低いこと」です。これは生い立ちやこれまで生きてきた環境の中で、成功体験が少なかったり、過去の挫折から立ち直れていなかったりする場合になります。

次にあるのが、「自己肯定感があるが故に、目標や理想が高すぎること」です。現実とのギャップに無力感を感じ、苦しんでしまうのですね。


自己肯定感がない人も自己肯定感がある人も、別の苦しみがあるのです。
どちらが辛いということはなく、どちらも辛いです。

「自己肯定感が低い人」は「自信が身につけばこんなに苦しまない」と思い込んでいますが、自信が身についても悩むときは悩みます。

人の欲求は無限にあります。
1つをクリアしたら、別のものが欲しくなります。

なので、どんな状況下でも、どんな境遇でも、満たされない思いを抱えている人の方が実は多いのではないかなと思います。

周りの人は自分よりキラキラ輝いてみえるものです。
しかし、笑顔の裏で、とんでもない苦悩を背負っているかもしれません。


でも、私は「あなたよりも苦しんでいる人がいるのだから」という言葉が嫌いです。

自分の苦しみは自分にしか分からないものなので、人と比べても仕方ないからです。

その人が今、目の前にある問題に深く悩み、しんどい思いを抱えているのであれば、それがすべてです。

誰がどう言おうと、その人は何よりもとんでもなく苦しいのです。
他人と苦しさの比較はできません。

人が抱える苦しさは「相対的なもの」ではなく、「絶対的なもの」です。
その人にとっては、とんでもない苦しさが存在しているのは事実なのです。



「貧困家庭だから、進学できなかった」
「就活で失敗したからブラック企業に入ってしんどい」
「彼から浮気された」

生きていれば、思い通りにいかないことの方が多いと思います。
人の欲求が無限にあるからこそ、「思い通りにいかないこと」がたくさん生まれてしまうのです。

「モテたい」
「美味しい物をたくさん食べたい」
「お金もちになりたい」
「愛されたい」

人の欲求をあげると切りがありません。

「私は贅沢なことは言わない。普通に生きられるだけで良いの」
という意見も聞こえてきそうですが、「普通に生きたい」というのも立派な欲求です。

なぜなら日本人にとって、「普通のレベル」はとんでもなく高いからです。
豊かな国だからこそ、普通のレベルが上がってしまっているのです。

しかし、その普通のレベルは、人との比較でしか評価できません。
人によって、幸せの形はそれぞれなのに、まるであたかも「幸せの形」が決められてしまっているようです。

「○○歳までに結婚するのが普通。できないなら普通ではない」
「働けなかったら、普通ではない」

など。

「普通」は大多数の人が通る道として、世間が勝手に決めているものです。

でも、実はこの「普通」は時代や、文化の変化とともに変わっていく、かなり曖昧なものです・・・・。

例えば、昭和時代は25歳までに結婚しなきゃ売れ残り、と言われていましたが、令和の現代では25歳で結婚はだいぶ早いです。

また、ベーシックインカムが浸透した22世紀には、「働かないことが普通」になっているかもしれません。

「普通の基準」「幸せの基準」は時代とともにこのように変わっていくのです。

なので、世間の「幸せの基準」「普通の基準」は勝手に作り出されているものであり、曖昧なものなので、それに囚われる必要はないんです。

生きるのがしんどい人にとっての幸せは「普通のところでない部分」にあるように思います。


他の人と違うことは「欠陥」ではなく「個性」です。

普通の人と違ったとしても、「私のこの個性が認められるまではまだ時代が早かった。私は時代を何百年も先取りしているだけ」と思えば良いのです(笑)

普通じゃなくても、幸せにはなれると断言できます。

不幸な人は、不幸なのではなく、幸せを感受する能力が低いだけなのです。

幸せの閾値は低ければ低い方が良いです。
生きている限り、「何ももっていない」ということはありません。

人はそれぞれ恵まれているものと恵まれていないものを持っています。

恵まれているものに焦点を当てられる人は、「ありがたい」と幸せを感じながら生きることができます。

逆に恵まれないものに焦点を当てる人は、「自分は不幸だ」と嘆きます。

幸せと不幸は、出来事によってきまるものではなく、その人の幸せの感受性で決まります。

ポジティブに考えやすい人は、ネガティブな人が感じる不幸ですらも、「これくらいで済んでよかった」と考えることができます。

これ、生きていくうえでかなり強いですよね(笑)
私もネガティブ寄りの人間なので、何事もプラスに考えられる人は羨ましいなと思います。

悲観的な状況に陥ると、人は自信を失い、未来の希望が見出せなくなります。

しかし、希望はないのではなく、現時点で見えなくなっているだけということが多いです。

私は相談者様が見えなくなった希望を見つけ出し、教えてあげることが使命だと思っています。

生きるのがしんどい方が少しでも気楽に生きられることを願っています。


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