映画コラム「激動の昭和史 沖縄決戦」(2)

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沖縄にいた学生たちも、もう学業どころではなくなっていた。
志願した中学1、2年生の男子学生は通信兵士としての訓練を受け始めていた。
3年生以上は鉄血勤王隊を決し連日、戦闘訓練や爆弾を運ぶという自らの命に関わる危険なことに打ち込んでいた。
女学校の上級生は看護学生として訓練を受け、その後幾つかの学徒隊として軍病院や軍隊と共に行動する事となる。有名なのは「ひめゆり学徒隊」だと思います。

昭和19年の2月、硫黄島では本格的に戦闘が開始していた。
沖縄でも情報は伝わり、二万人の県民が二等兵として徴兵されることとなった。
昭和19年3月、アメリカ軍の船団が沖縄へと押し寄せることとなり、艦砲射撃も開始。

ここで一人の少女がクローズアップされる。
空爆で家を失い、親子で艦砲射撃に怯え家に隠れていた親子、しかし射撃で母親は亡くなり、幼い娘が残される。母親が死んでしまった事に気づいた白いアッパッパを着た子供はそのまま去って行く。この子供は作品の大切なキーパーソンの一人なので是非覚えていてほしい。

そして沖縄県庁、軍司令部も地下壕へ活動拠点を移し、女学生、卒業したての男子学生達も戦場へと赴くこととなったのであった。
少し前まで学生だった新兵達は自分たちで赴任先を探さなければならず、地下壕の混乱した通路を延々歩く、そのどこか滑稽なこと。喜八監督は名もなき人物達を描くのが上手い、どこか哀しくて可笑しくてそれがあとでズドンっと心に打ち込まれるのだ。
実際、幼さがまだ残る学生達の表情を見ていると心が和む、こんな時だけれども。
行方不明の人物を探せと命ずる初対面の厳しめの上官に言われ、あたふたと壕を走り回る新兵たちからの突然の牛島中将、そして中将の髪を整える理髪師比嘉の姿。
視聴者の場面も気持ちも、きちっと切り替わる瞬間だ

沖縄への艦砲射撃をする船への特効作戦も実行される事となった。
「明朝、特攻する。いつもの様に俺についてこい」
それは航空参謀ではなく、航空団を率いる奥山大尉がまだ若い乗組員へ向けられた言葉のぬくもりがたまらなく切なくなる。いつもは厳しいがそれでも人望の厚い大尉なのだろうなと、この言葉だけで想像させられる。
成功する飛行機、撃ち落とされる飛行機、それを見守る牛島の頬にはあせは汗か、それとも涙か。

地上戦も激しさを増し、森へ県民も避難をはじめていた。逃げる場所が無いと射撃を受けつつ叫ぶ民兵に壕へは入れない、武器も与えない、非戦闘員は全て

”自決しろ”

という遂に鶴の一声が上がってしまう。
無茶苦茶だ、あんまりだ。

閑話休題。

ここで一言、お伝えしておきたいのは岡本喜八という人物は生涯を通じて「反戦」の人であった。自身も陸軍従軍経験を持ち、同級生を空襲で目の前でほぼ失い、本土決戦の際の特効人員としての訓練を叩き込まれ、終戦を迎えたという過去がある。
加えて脚本を書く新藤兼人は広島生まれ。戦時中は呉にある海兵団に召集され雑用を任される。離れてしまった内妻も栄養不足のため亡くなっている、原爆が投下されたことを知り終戦を迎えた。「原爆の子」も制作・監督をしている、戦後、早々に原爆の脅威を描いた代表作の一つだ。

二人揃って「反戦」を作品を通じて描いている。しかも強い怒りを持って。
戦後生まれの、戦争をまるで知らなかった私自身は作品を通じてそう感じています。

その二人が描いた「名もなき人々」へ、段々この作品はクローズアップされてゆく。
森へおいやられた県民や民兵達は、笑って自決しようと悲壮な決意を抱き、手榴弾で次々と家族単位で自決。ある者はこん棒で、あるものは剃刀で。

だが、はっきり言おう。
この映画ここまで語っているが、まだ2時間半尺がある、クライマックスまではまだまだだ、シュガークリフまでも行ってないと思う。
正直、ちょっとしんどい。
そして8・15シリーズは東宝が誇る超超長編であることも忘れてはいけない。
心も身体も色々とごりごりとやられていくのだ。

(3)へ続く



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