「花の中3トリオ」山口百恵さんの『自分の生かし方』

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ども~、皆さん元気い~~!

「本来の自分を生かそう」が、このブログのテーマです。


前回ブログの続き。キンおじさんと同い年「花の中3トリオ」の人生を「四柱推命」で観るシリーズです。

まず1人目は、山口百恵さんです。

ちなみにキンおじさんは山口百恵さんのファンでした(またどうでも良いことを言ってしまいました)。

50年ほど前、大人気オーディション番組「スター誕生」から芸能界入りし、他のアイドルとは違う、やや影のある大人っぽい魅力でたくさんの大ヒット曲を歌い、女優としても活躍しました。

映画で共演した三浦友和と交際中であることを20歳で公表し、その翌年21歳の若さで芸能界を引退し、すぐ結婚しました。

キンおじさんと同じ歳ですよ!その頃はまだ学生だし、就職や仕事のことなんか何も考えていない時に、人気絶頂で辞めてしまうのです。ホント驚きです。

現在、夫の三浦友和は円熟味のある演技派俳優として、長男祐太朗はシンガーソングライターとして、次男貴大は俳優として活躍しています。

そして本人は芸能界引退後、全くと言って良いほど情報は出なかったですね。

さて山口百恵さん(64歳)は、1959年1月17日生まれです。

いよいよ「四柱推命」でこの方の『運』と『命』を観ていきますが、聞いたことのない理解不能の言葉がいくつも出てきますが、わからないところは無視して読んでくださいね。

「四柱推命」の命式では、百恵さんは、冬(丑)月生まれの日干「己(つちのと)」の人で、月支元命が「比肩(ひけん)」の人です。

まず日干の「己」は、“田園の土”にたとえられますが、何でも吸収し、田んぼから稲が育つように収穫されるまで忍耐強く頑張れる人です。

また月支元命の「比肩」は、自分の力で成し遂げようとする強い自我を持っている人です。それだけでなく百恵さんは、自我の強さを示す「劫財(ごうざい)」も2つ持っています。

(生まれ時間はわからないので)5つの通変星のうち、3つが自星です。とにかく強い自分を持った方です。

芸能界引退を引退することやその後もけして芸能界にかかわらなかったことは、強い自我を持っていないとできませんね。

次に、百恵さんがどうやって自分を生かしたかについてです。

10年ごとの運気を観る“大運”では、3~13歳に自我の強さをあらわす劫財(合化後)が巡ってきています。13歳は「スター誕生」のオーディションに合格し、スターへのきっかけをつかんだ歳です。

命式中の自星(比肩・劫財)の3つにさらに、大運でも自星の劫財が来ていたのです。

自分が強くなり過ぎるくらいの時期に、もっとも良いところに自分の力を注いだと思います。この有り余る力を使わなかったら(使わせてもらえなかったら)、おかしなことが起こっていたかもしれません。

他の分野でも成功したかもしれませんが、13歳という年齢では、強過ぎる力を生かせる分野は限られていたと考えられます(適性があれば、スポーツの分野かな?)。

そして20歳で引退発表、21歳で引退・結婚し、芸能界から完全に姿を消してしまいます。

人生における運気の変わり目の中でも、最も大きな変曲点となるのが、30年ごとにやってくる“接木期”と言われる時です。

百恵さんの“接木期”は、23歳でした。

もうおわかりですね。百恵さんの人生は、芸能界引退で全く変わったものになりました。

実は、大運の13~23歳は「偏財」というお金の星が巡ってきていました。百恵さんは、お金には困らないようになっています。

そして、その後の23~53歳の30年間も良い運気(喜神)が巡ってきていました。

女として、妻として、母として自分の『命』を、『運』の波にうまく乗せて、現在の幸せを自分のものにされた様子が「四柱推命」を観て、よくわかりました。

百恵さんの場合、驚くほどシンプルに「四柱推命」が当たっているようにみえます。

しかし、何も考えず自動的に現在のようになっていたかと言えば、それは違います。

きっと百恵さんの心の内側にあるものを自分の頭で考え、行動することで現在に至っていることは間違いありません。

キンおじさんも含めて、あの時、行動しておけば、「“チャンスの前髪”をつかめたのに!」、「人生変わっていたかも?」っていうことが、実はたくさんあるはずなんです。


次回は、森昌子さんの『運』と『命』について、「四柱推命」で読み解いてみます。

次回以降も、キンおじさんのブログ、よろしくね~~。
















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