ドイツ留学の思い出 1

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留学開始1年半前、桜、散る。

「国連に入りたい。そのためには、アメリカで国際関係学を学ばなければならない。」
このように考えた私は、アメリカの大学と日本の大学を併願した。

結果は、最悪。
受験したアメリカの大学はほとんどが不合格だった。いくつかの大学から合格通知を頂いたが、奨学金は取れなかった。奨学金なしで年600万円の学費を支払うことはできない。アメリカの大学への進学は諦める他なかった。
前期日程で受験した東京大学も不合格。第二志望で受かるような大学ではない。高校生らしい、傲慢な態度が答案にも現れていたのかもしれない。

後期日程で合格した広島大学に進学。桜満開の入学式の最中、私の気持ちは沈んでいた。

(なんとしても広島大学を脱出しなければならない。)

様々な方策を検討した。Denver大学への入学。毎日勧誘の電話がかかってくるし、奨学金をくれるかもしれない。いや、レベルが低すぎる。
Amsterdam大学への出願。ありだ。国際関係学が学べる。
オランダの教育制度は日本と異なり、私がAmsterdam大学に入学するためには大学一年間の在籍経験が必要になる。広島大学で一年間学んだ後にAmsterdam大学に進学すれば、辻褄もあう。

これだ。大学2年生の後半からAmsterdam大学に留学し、そのまま編入手続きをしてAmsterdamの学士号を取得する。この方針でいこう。
国際関係の大学事務職員にも(編入の思惑は伏せて)相談に行った。
「廣瀨くんの語学力があればAmsterdamにもいけるだろうね。」
一安心。将来の道が定まったように思われた。

(続く)


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