ドイツ留学の思い出 2

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留学開始一年前。枯葉の舞う秋。
留学生募集期間の初日に、手続きに取り掛かった。募集要項に目を通す。
・・・おかしい。
Amsterdam大学留学の対象者は「3年次以上の学部生」と書いてある。私の留学開始予定時期は2年時の後期だから、対象者に含まれないことになる。
慌てて留学担当者に問い合わせる。やはり、応募できないようだ。Amsterdam大学にも問い合わせてくれたが、例外は認められないという。
ならば東大へ、とも考えた。しかし、センター試験の出願締め切りは一週間前。
また、失敗。

その夜、初めて酒に酔った。
学科のフェロー会。夏祭りの関連で揉めた後だったから参加しづらかったが、温かく迎えてくれた。
「英語できるのすごいね。」
「英会話講師ってやばくない?」
みんなが持ち上げてくれるので調子に乗って呑みまくった。
これでAmsterdamのことは忘れよう。明日からは新しい進路を考えなければならない。

次の日起きると、やっぱりAmsterdamのことが悔しくてたまらない。
母親に電話。大学職員の文句を言う。
「3年生からしか応募できないならそう言ってくれればいいのに。」
責任を他人を押し付けたくなるが、確認しなかった自分が悪い。
失敗の連続で、涙が止まらなかった。母親は静かに話を聞いてくれる。
その日はそれだけで電話を切った。

どうしても海外の学士号が諦めきれず、暴れまくった。
教授たちに相談のメールを送りつけた。先生方は返信してくださったが、どれも淡白なものだった。
そりゃそうだ。「あなたの所属する大学から出ていきたいので手伝ってください」と相談してまともに取り合ってくれるはずがない。
かつてない孤独感を感じた。

そんな折、外国語教育研究センターの達川先生と廊下で遭遇した。この前の授業で手を上げすぎて授業妨害してしまったから気まずい。
「この前のメール見たよ。気持ちはわかるけどまだ若いんだから、焦ってもしょうがない。視野を広く持って。」
なんと返答すれば良いのかわからなかった。海外大学への進学を考えている自分は、視野が広いと思っていたからだ。
「ありがとうございます。」
それだけ言ってその場を離れてしまった。

(続く)



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