君子の六芸(りくげい )とは、古代中国で、卿・士大夫と言われた支配階級が学ぶべきものとされた教科だ。周代に礼(礼節)・楽(音楽)・射(弓術)・御(馬術)・書(文学)・数(数学)の6つにまとめられ、孔子によって、人間としての基本教養として身につける学問として確立された。
西欧における自由七科(リベラル・アーツ、文法、修辞学、論理学、算術、幾何学、天文学、音楽)や、大学の教養教育に対応するものとも言える。
「礼」は礼儀、特に葬礼や祖霊を祀る儀礼の事で、どうやって正しく死者を弔うかということ。これは「正しく祀れば死者は災いをなさない。祀り方を誤ると死者は災いをなす」という信仰の上に成り立っている。死者とのコミュニケーションを成立させることで、死者を鎮めることができる。孔子は「存在しないもの」とのコミュニケーションを人間の学ぶべきことの筆頭に置いた。
「楽」は、時間意識を養うもの。音楽とは「もう消えてしまった音」がまだ聞こえて「まだ聞こえない音」がもう聞こえているという、過去と未来への拡がりの中で経験できるものとする。豊かな時間意識を持っていない人間には音楽は鑑賞できない。音楽は時間意識を養うためにきわめて重要な科目とする。
「射」「御」は、ともに相手がいない特殊な武術。弓が上手になるには、自分の身体運動をどこまで細かく分析できるか、身体運用の精度を上げるためには、どういうふうに心と体を使うのがいいのか。それを工夫するのが「射」であり、それは自分自身とのコミュニケーション能力の開発と言える。「御」の相手は馬。人間ならざるものとコミュニケーションする能力が要求される。鎌倉武士はつねに流鏑馬・笠懸・犬追物や巻狩など、騎射の訓練をおこなっていたが、これは、みずからの地位や所領を守るために武芸を身につけるのと同時に、コミュニケーション能力の養成でもあった。
「書」「数」は、読み書きそろばん。世の中で生きていくための技術。
「射」「御」「礼」「楽」六芸のうち四つが自分自身、人間ならざるもの、存在しないものとのコミュニケーションだ。こうしたコミュニケーションができるようになれば、どれほど異なっていても、どれほど未知であろうと、その人とコミュニケーションできないはずがないと孔子は考えた。孔子が「礼」(死者とのコミュニケーション)を六芸の筆頭に掲げたのは、それをベースとして、私たちがすべてのコミュニケーションを構築できると信じていたのだろう。
VUCAの時代には、なんだかよくわからないもの、共通の用語や共通のものさしをもたないものとのコミュニケーションの訓練や自分の世界と違うものとのコミュニケーションの仕方を学ぶことが必要なのかもしれない。