今日は納品がなかったので、世界平和を祈願して写経しました。
早く安全で安心できる世界が訪れますように。
一ヶ月ほど前のことです。
その女性は自分を含めて、一家全員がクリスチャンでした。
でも、
「日本人なんだから産土神様にもちゃんとご挨拶したい」
と鑑定の依頼をくださいました。
彼女はクリスチャンながら神社仏閣にも興味があったようで、あちこちの神社や寺院に出かけているそうですが、鑑定結果の産土神社はまったく知らないところだったそうです。
その初めて参拝した産土神社で、彼女は
「どこか懐かしくて、感極まって涙が溢れました」
と、参拝後の感想を聞かせてくださいました。
家族をあげて他の宗教を信仰されていた方なので、それまでは神社の神様といえば他の宗教の神なのだから、それを拝むとか信仰するのはいけないこと、と何となく後ろめたさがあった。
ところが今はそのようには思わない、とおっしゃっていました。
参拝の後はとてもすっきりした気持ちになったそうです。
神社、神道は日本で自然発生したもので、日本オリジナルなので日本人に馴染みやすく、しっくりくるもの。
日本人のDNAにしみ込んでいるものだから、自分もなにか本当にしっくりくる気がしますとのことでした。
それで、今の気持ちにぴったりくるのがこの歌ですとおっしゃいました。
「なにごとの おはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」
これは平安時代から鎌倉時代を生きたお坊さんである西行法師の詠んだ歌です。
その西行法師が「伊勢の神宮」を訪れたときに詠んだもので、
「ここにどなた(どのような神様)がおられるのかは知らないけれど、畏れ多くありがたく、涙がこぼれる」
というような意味です。
西行法師は仏教の僧侶ですから、あえていえば神社神道とは別の宗教を信仰する人。
しかも後々まで大きな影響を与え続ける偉いお坊さんでもそう感じたと。
自分の信仰する宗教とは違っても、よくわからなくても畏れ多く尊いと感じ涙した。
こういうことって、我々日本人は肌で感じることができると思いますが、外国だとこの感覚はなかなか理解されないようです。
自分の信仰する神が絶対唯一の神であり、それ以外は認めない、受け入れない、ありえないというのが多いものですから。
こういう感覚は日本人のDNAだけにしみ込んでいるもの。
太古の昔から日本人に受け継がれる本当に大切な感性、大切にしていきたいですね。