〖アリエスのティータイム&私見〗私が号泣した作品~人間関係について!

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30歳になる少し前あたりからだったか徐々に涙もろくなって来始めて、悲しい映画はもちろんアニメやカラオケでも涙したことがあったかな…。そんな私が思い出に残る「一番涙した作品」を一つご紹介したいと思う。

この作品は小説が最初で映画にもなった作品で題名は「君の膵臓を食べたい」。もちろん知っている方も多くいると思うが、私の中で一番の名作になった作品です。この作品の気に入ったところは、人間関係の在り方みたいなものを表現している感じがして、その人間関係の在り方に共感を得たところかな。

私って多趣味である事もさる事ながら知識を得ることが好きで色々な知識に手を出している。その中に宗教と考古学があり、私も若かりし頃は「人類の謎」(幸せとは何かとか、人間ってどうしているの?とか)に挑戦したこともあって、とりあえず一つの答えを持っていて…その答えとこの作品が言おうとしていることが一致したって感じかな。

この作品の中で私が一番涙したところは…ヒロインの女の子が亡くなり、主人公の男の子が彼女の家にお線香をあげに行き、彼女の母親に彼女が生前書いていた「共病文庫」を見せてくださいとお願いした後の母親の言葉・・・「貴方だったのね…」 この言葉で涙がドバーっと溢れ出ました。

このヒロインの母親にしてみれば亡くなった女の子と言うのは可愛く大事な娘であり、一番女の子のことを知っているのは自分であると思っていたと思うんですよ。それが共病文庫を読んでみたところ自分が知らない、娘がお世話になった人が居ると言う事がわかり…その人のおかげで大事な娘は(短い人生だったけど)しっかりと生きる事が出来た…と知り、その主人公に感謝と同時に興味を持ったと思うんですよ…どういう人なのかって。それで一度会ってお礼を言いたい…と同時に、自分の知らない彼女の部分を教えて欲しい、と思ったと思います…母親として。で、その主人公との初対面、目の前にいるこの人が娘がお世話になった人だと知り…「貴方だったのね…」になり、この時の母親の気持ちと言うか感情に共感してしまって涙が止まらなくなりました。(多分この感情に共感できる男性って少ないんじゃないかな…。)

この作品において「人の幸せ」って「良い人間関係」が出来たかどうかだと私は思います。人にどれだけ良い影響を与えたか、またどれだけ良い影響をもらったか…それが将来幸せポイントとして加算されていくような気がします。

以上がティータイムの「私が号泣した作品」の部分で、ここから先が私見の「人間関係について」になります。(ちなみに「アリエスのティータイム」は
自分のことについて語る場合で、「アリエスの私見」は自分以外の事について語る場合に用いています)

私の思う良い(幸せな)人間関係って相手の人がその人の自分の過去を振り返った時に思い出してもらえるような付き合い方をしたかどうかだと思うんです。別の言い方をするならば…どれだけ良い影響をその人に与えて良い印象を持ってもらえたか…。自分が過去に出会って来たある人が将来過去を振り返った時に「ああ、そういえば○○さんっていたな~」って微笑みながら思い出してもらえたら嬉しくないですか? 例えその人が思い出してくれる時が自分が亡くなった後でも良いと思います。その時に自分の幸せポイントが一つ増えるんですから…。
でもこういう付き合い方って考えて出来るものじゃないってことも、これまでの人生経験から知っております。「この人にこう思ってもらいたい」と思って行動してもその人にしてみたら大した事ではなかったり、また逆に「この人とはあまり関わらなくてもいいや…」って思っていた人との付き合いが長くなってみたりと…人生に置いて、人との繋がりって一言でこうだって言い現わせるものではないですが、ただ今より少しだけ「人との出会い」については大事にした方が良いような気がします。

それが将来幸せに向かう一歩だと私は思います。
(以上 アリエスの私見)











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