翻訳業を1年半やってみた感想

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コラム
いつもSandsan翻訳をご利用いただき誠にありがとうございます。2019年11月に本サービスを開始して以来、Coconalaでの開業、企業様との提携、新たな出会い、様々なことがあった一年半でした。新年度が始まる前の今、この一年半の振り返りも含めて今回から新連載、仕事の裏側を数回に渡って公開していきたいと思います。

第1回は翻訳の好きなとこ、好きじゃないとこについてです。


 翻訳はそれなりに特殊な仕事であり、できる人も限られてくるので翻訳の感覚になじみのある人はあまりいないんじゃないかな、と思います。今回は皆さまに翻訳の楽しさ、苦しさ翻訳やっていてよかったと思う理由などをお伝えできればなと思います。

 まずは翻訳の楽しさ

 大前提、私は翻訳が好きです。というよりは文章が好きです。文章とは人の経験や考え、そして思いを他の場所の他の時間の人に伝えることができるものです。人類の進歩はこの時空を超える意思がカギであったということも言うまでもありません。というようにまぁ、私は文章にロマンを感じています。いくらでもこのことについて書けてしまうので今回はこれくらいにして本題に戻りたいと思います。

 何はともあれ、そういった文章、記録情報も保存して送ることができても読み取ることができなければなんの意味がありません。そこで出番なのが翻訳だと思っています。

 翻訳が楽しいと思うのは、他の人の文章にお邪魔して内容を覗けるというというところです。自分の専門とは全く違う領域や分野の文章を読み、その都度調べたりして、毎回新たな世界を冒険しているような感覚です。知らない化学薬品の名前、やったことのないカードゲームのルール、知らない業界のポッドキャスト、独創的な自主製作映画の世界観、遠い国の時事問題、医療用シースの使い方。毎回新たな経験を紹介してもらえるのは翻訳の楽しさの一つです。

 「あーこんな言い回しがあるのか!」「そういう時はそういう表現を使うのか!」という新たな発見があったり、多くの表現に触れたりできることも楽しいです。

 作業自体でも上手く訳せたと感じるときは言葉にできない満足感があります。気分は物書きです。意味を伝えるだけなら難しくはないのですが、原文の感覚を残すとなるとかなり難易度が変わります。機械翻訳との一番の違いは正確性だとは思うのですが、やはり文章としての完成度も同じくらい差が出るとこだと思います。AIによる翻訳の精度が日に日に増していくなか、生身の翻訳者に求められるところはその柔軟性や難解な文章の読解、複雑で自然な表現だと思います。

翻訳の苦しさ

 まず翻訳は疲れます。はたから見れば、文章読んで、それを書き直すだけなのですが、ぶっちゃけ、めちゃくちゃ疲れます。私の限界は1日6000英単語でした。大体A4びっちり7~8枚程度です。何が一番疲れるかというとそもそも書き直して打ち込むという作業自体が疲れます。一度日本語12000字をコピー機能を使わずに紙媒体からWordに打ち込んでみてください。絶対疲れると思います。そして次の苦しい理由でもあるのですが、飽きると思います。

 そう、翻訳は飽きるのです。もちろん最初は知らないことを翻訳するので楽しいです。でもどんなにおいしい和牛でも、おいしいフレンチでもずっと食べてれば飽きるのと同じで、翻訳も同じ文章に向き合っていると飽きます。メチャクチャ飽きます。飽きた時は別の翻訳の依頼をこなしたり、休憩したり、ダーツ投げたりしてリフレッシュするようにしています。

 翻訳やっていてよかったと思う理由

 まずは文章を読むこと、書くことに慣れたことです。絵を模写するようなイメージで、大量に文章を読んで、意味を変えずに別の言語に自分の言葉で返還するという作業を永遠と行うので必然的に嫌でも文章を書けるようになります。(少なくとも苦痛にならずに書けるようになります。稚拙な文ながらここまで読んでいただきありがとうございます。)またキーボードをブラインドタッチで打てるようになりました。

 もう一つは毎回新しい情報を無料で知ることができることです。依頼によっては普段の生活では絶対に知りえない情報や、知らない業界について深く知ることができます。そういう新しい発見を繰り返し、知識が蓄積されるのはうれしい事です。

最後に

 色々ありますが基本的には非常に好きな仕事だと思います。今後大学を卒業して、就職してもこの仕事をなんかしらの形で続けることができればうれしく思います。

 今後ともSandsan翻訳をどうぞよろしくお願い致します。

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