「国宝」吉田修一

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小説
オーディブルにて読了。
尾上菊之助の語りも素晴らしく、歌舞伎は実際に観劇したことはないけれど、その場にいるような、劇場のにおいが立つような、臨場感たっぷりのきわめて映画的な作品。

その昔大好きだった五社英雄監督作品の絢爛豪華な世界を彷彿とさせるようなシーンが次々と展開。主人公喜久雄の苦労が続き、その合間にもいろんなことが起きるけれども、人間ひとりの一生を書く、というのはこういうことかという重厚さ緻密さに、ぐーっと惹きつけられてあっという間に上下二巻を駆け抜けた。

結局のところ、その世界で成長することしか目に入っていない喜久雄、稀代の女形と呼ばれるようになってさえもまだ、――という芸事に溺れるさまがいっそすがすがしい。

米国の野球界で大活躍している若者にふりかかった大きな「事件」――ああなんてこと、大人として合わせる顔がないわ、というような気持ちになった大人の私…野球には興味がないけれど、彼のことは応援したい。
「マネジメントがなってない、英語が話せず通訳に頼りきりだった本人にも責任がある」とかしたり顔で言ってる人たちは、きっとご自分が29歳だったときにはすごく賢くて失敗などしたこともなく、仕事もプライベートも完璧にこなしていたんだろうねえ、と思う。
わたしなんざ、ついこの前まで世の中のことなんかなんも知らなかったし、なんなら今だってあんまりわかっていない。まして20代のときなんて、思い出したくもないようなアホみたいなことばかり考えてたし、やってみて大失敗、なんて普通だった。

そして慣れぬ外国で仕事をしなければならず、手術したり世界大会に出たり結婚したり移籍したり、そもそも野球だけに集中したい気持ちが強いのに、がんばっていろんなことをやっていた。そんなときいつも親身になってサポートしてくれていた大人のスタッフに裏切られた、と知ったときにどんな気持ちになっただろう――想像してみてほしい。

遊泳禁止と書いてある看板のある池でおぼれているのは、何年も頼りにしてきて公私ともに協力しあってきたスタッフ。助けて、と手を差し伸べられたけど、「でもそこは違法な池だろ、そんなところで泳ぐほうが悪いのさ」と言って立ち去る彼だろうか?

そんな人じゃないことを信じて、われわれは今までキャーキャーと彼らを応援してきたんじゃなかったのか。

「国宝」の主人公喜久雄にも、何度もそんな「岐路」が訪れる。
そのたびに喜久雄は選ぶのだ。読んでいるわれわれが「あっ、そっちへ行っちゃ危ない…」とハラハラさせられるほうへ歩いていく。
信念を持って。毅然として。


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