ディラックの海と経済活動

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プラスとマイナス。この相反する概念について、どのようなことを思い浮かべるでしょうか?

株で言えば、利益と損失。磁石で言えば、N極とS極。その他、様々な対称的な組み合わせを想像するでしょう。 
このように、プラスとマイナスという概念は、通常は対立的なペアとしての意味合いを持つことになります。

今、全く何もない空間すなわち真空で、ある大きさ以上のエネルギー(ガンマ線)を加えると、電子が発生することが知られています。それと同時に、電子と全く反対の性質を持った陽電子と呼ばれる粒子が発生します。 

これを電子対創生と呼びます。 
さらに、この電子と陽電子が接触すると、エネルギーを発して消滅します。これが対消滅と呼ばれるものです。

さて、この陽電子ですが、これは私たちが思い浮かべるような丸い粒子ではなく、真空から電子が抜け出た後に残った”穴”である、という考え方があります。 
この概念を提唱した物理学者の名前を取って、そのような空間(真空)を「ディラックの海」と呼びます。

余談ではありますが、宇宙の創成期には、様々な素粒子でこのような対創生と対消滅が起こったものの、対消滅の際に(理由は定かではありませんが)、穴の部分(反素粒子)の方が粒子の部分(通常の素粒子)よりも数が少なくなり、その結果通常の素粒子のみの現在の宇宙が形成されたと考えられています。 

実は、私たちの経済活動や社会現象についても、ディラックの海と同様の考え方ができるのです。 
例えば、株式投資で損失を被る人がいるからこそ、利益を得る人がいます。

平均保有株価が現在株価に対して十分に低い状態であれば、利益の大半は市場そのものから得られていたかもしれません。 
しかし、平均保有株価と実際の株価との間にほとんど差がなくなってくると、株式市場はまさにゼロサムゲームの様相を呈してきます。

利益を上げるためには、他の誰かを損失に追いやらなければなりません。必然的に、株価は思惑で動き、乱高下します。最近の株価の激しい値動きは、このようなことも一つの要因になっているように思います。

ただ、このような状況下では、総損失額≒総利益額となると見られ、今まで蓄財されていた資産の一部が、利益を得た人を通じて社会に還流することになります。
結局、ある人の損失は他の人の利益となって、蓄財という真空状態から、社会という実空間に放出されるのです。

近年あるいは数年前まで、高齢化社会や失業率の増加が社会問題となっていました。このような非労働人口が増えることを問題視する声も多く聞きます。 
しかし、このような人々がいるからこそ、社会は新たな需要を創出し、新たな雇用機会を提供するのです。

かつて、デフレ下における大規模なリストラで多くの正社員が職を失いましたが、それを埋め合わせるように派遣社員やパートの雇用が進みました。 
道義的な問題は別として、それは見かけ上は失業率の上昇に歯止めをかける作用をもたらしています。

高齢化社会については、介護サービス業という新たな事業形態を生み出しました。そこで働く人の数は今後も伸び続けるでしょう。 
また、介護関連商品や高齢者の余暇を充実させる商品等の需要の掘り起こしも進んでいます。

このように、どちらかと言えばネガティブに捉えられてしまうような事項についても、それと対を成すようなポジティブな事項が存在します。介護サービスを求める人が居なくなれば、介護サービス業は成り立たちません。

すなわち、これらは対消滅を起こす関係にあります。まさにディラックの海そのものなのです。 

もちろん、介護サービスには介護保険が適用され、その一部を私たちが負担しているという事実はあります。ただ、これらの負担を除いてもなお、社会に新たなキャッシュフローが生じていることは間違いないでしょう。 
このキャッシュフローの創出こそが、経済を活性化させる大きな原動力となるのです。

最後に、対を成すもう一つの例として、善と悪について考えます。 

かつて個人情報の流出が騒がれた時に、社員管理において性善説に基づいた規定から性悪説に基づいた規定に変更したといった話が聞かれました。 

言われるまでもなく、人は必ず善の部分と悪の部分を持っています。普段は善と悪の差の部分が表に出ているに過ぎません。

この差の部分は非常に揺らぎやすいものですが、徳を積んだ人ならば、善の部分が悪の部分よりも非常に大きく、ちょっとくらいの揺らぎでは悪が善を上回ることはないのでしょう。 

しかし、普通の人ならば、ちょっとしたことで善と悪の立場が逆転してしまいかねません。出来心とは、このちょっとした揺らぎで、悪の部分が勝ってしまった結果なのではないでしょうか。 

現在の社会環境は、この揺らぎを起こさせやすい状態にあるように思えます。それ以前に、悪の部分にバイアスが掛かりやすい状態にあるのかもしれません。 
しかし、どんな人でも必ず善の部分を持っているはずです。

悪の部分が顔を覗かせている人は、一度自分の心に揺さぶりを掛けてみて欲しいものです。少しでも善の部分が顔を覗かせるようであれば、まだ救いはあるかもしれません。 

多くの経済活動はディラックの海にあります。需要と供給の関係は、対創生と対消滅の関係にあります。 
それに対して、善と悪の関係は互いの共通部分が打ち消し合うといったものではありません。

すなわち、対消滅が生じることがなく、ディラックの海とは異なる概念であると言えましょう。それはより本質的で、人間にのみ許された概念なのかもしれません。 

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