母が脳内出血で救急搬送された日

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コラム
東日本大震災の翌年の3月、脳内出血にで救急搬送された日の事を今でも鮮明に覚えています。

土曜日。
日中眠いと言っていた。
今思えば、日中から脳内出血の症状があったんですね。
気づいて病院に連れていけば脳内出血も軽症だったかも知れない。
と今でも悔やまれます。

母の異変に私が気付いたのは夜、20時頃。
片手にティッシュを持っているのにテッシュを探している母の顔を見たとき、左頬が垂れさがっていたので脳疾患と判断し救急車を呼びました。

救急車を呼んだ時、消防の方から「医療従事者ですか?」って言われるし
主治医や病棟の看護師さんから「介護福祉従事者だったから気づけたんだね」「翌日冷たくなっていてもおかしくない症状だったよ」と言われるほど母の症状は重症でした。

発病前の母は肥満で高血圧を訴えていました。
当時の母は、更年期障害による高血圧とか片付けていたし、死んだら死んだでいいといいながら取引先の営業マンから送られて来た落花生二袋を一人で食べていました。

当時の母の言葉は、今となっては「とても無責任な発言」だと思います。

1週間、ナースステーションの隣になる重篤患者さんばかりいる4人部屋にいました。
入院初日の3日間は、家族の付き添いが必要だったため昼間は妹、夜間は私が付き添いました。

付き添いがなくなり、一般病棟に移動した頃から言動が子供ぽく高次脳機能障害の症状がはっきり出ていました。

だけど、母は、気が強く負けず嫌いな性格。
きっと辛いリハビリも乗り越え、発病前の母に戻ってくるだろうと思っていたけど・・・

それは私の思い込みで現実は違いました。

次回は回復期(リハビリ)病院でのお話しに続きます。



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