【小説サンプル】同じ屋根の下【二次創作】

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 ぽつり。灰色の雲に覆われた上空から落ちた雫が地面を濡らす。一粒ずつ、少しずつ描かれた水玉は次第に増えていき、あっという間に地面の色が濃くなった。
「真、何しとるん。はよ行くで」
「んー……おう」
 呼ばれた声に反応し、窓の外へと向けていた視線を室内に戻す。向けた目の先には、喪服に身を包んだ(認めたくはないが)実の兄。
 今日は、昔世話になった夫妻の葬式に参列するべく、この屋敷に足を踏み入れたのだった。
 何度も訪れ、よく遊ばせてもらった廊下を進む。小さい俺と鬼ごっこをしてくれた旦那さんの姿を思い出し、俺は立ち止まって目を伏せた。
 そして、前を行く兄貴の背中に、少しの間逡巡してから声をかける。
「なぁ」
「ん?」
 兄貴の足が止まる。半身で振り向いた眼鏡の奥、細い目をじっと見つめ、俺は。
「……本当に、死んだのか」
 低く低く、抑えた声で呟くように問うた俺に、兄貴はやはり少しの間を置いてから「せやね」と感情の窺えない声で肯定した。
「何かの間違いとか」
「んなわけないやろ。それよりも、はようせい」
 静かな言葉に、俺は腹の上の方を抑えるように手を添える。考えたくもない現実。少しだけ、心臓が痛い。
 あの人たちは、本当に優しい人だった。大人たちのごたごたに巻き込まれた俺たちを、関係も義理も義務も、本当に何もないのに救ってくれた。ここ数年はお互いにタイミングが合わなくて会えていなかったけれど、まさか再会がこんなものになるだなんて、欠片も思っていなかったし思いたくもなかった。
「……なんで、なんで死んじまったんだよ……っ」
「そないなこと言うなや。あの人らかて、生きたかったに決まっとるやろ」
「けど!」
「何度も言わすな、阿呆」
 鋭い瞳に睨まれ、言葉に詰まる。
 判ってる。こんなこと言ったって、あの人たちは返ってこないなんてこと、よく理解してる。だけど、頭が理解してても心は追いつかない。兄貴以外に唯一気を許していた相手の死は、思いのほか俺にダメージを与えていた。
――こんな苦しいなら、好きにならなきゃ良かった。
 自然に、当然のように考えて、その内容に目を見開く。けれど、同時に納得もした。
(俺は、あの人たちが好きだったんだ)
 失くしてから大切なものに気付くなんて、俺は存外馬鹿だったようだ。
「……っ」
 自覚してしまったせいか、勝手に溢れ出そうとする涙をこらえ、何とはなしに外に目をやった。相も変わらず降りしきる雨。俺の代わりに空が泣いているんだ、と、そんな自分らしくもないことを思い、気を紛らわせる。
 それにしても、さっきから妙に囁き声が耳につく。一応声を潜めてはいるようだが、距離がないせいで丸聞こえなのだ。その内容はといえば、ほとんどがあの人たちの悪口だった。
「……兄貴」
「あかんで。ワシらは葬式に来たんや。喧嘩買いに来たんとちゃう」
「……ちっ」
 即座に諫められ、思わず舌打ちする。
 確かにここで手を出せば、あの人たちに悪評が向かいかねないのは理解しているが、それにしたってムカつくのは変わらない。ひそひそと、飽きもせずに紡がれる根も葉もないうわさから意識を逸らすべく、俺はまた窓の外に目を向けた。瞬間、兄貴の服の裾を摘まんで引く。
「おい」
「せやから堪えな言うて」
「違う、あれ」
 指で示す先には、雨に濡れる子供が一人。水色の頭をした、見たところ保育園に通うだろうくらいの年頃だろうか、そんな齢に見える子。
「何であないなとこに」
「――あ、そういえば」
 俺たちが気付いたのを見計らったかのようなタイミングで、囁き声の話題が変わる。
 曰く、あの人たちには子供がいたのだが全く泣かなくて気味が悪いだの、間違っても自分が引き取る羽目にはなりたくないだの……どう考えても、両親を失った子供に聞かせるような内容ではない。
「なぁ」
「……とりあえず、あの子拾いに行こか」
 虫唾が走る思いを堪え、傘を片手に二人で子供の下へ歩く。近付いてみると、ソイツは虚ろな表情で空を見上げていた。
「何しとるん?」
 膝を折り、子供に目線を合わせた兄貴が傘をさしかける。しかし、ソイツはぼーっとした目を向けるだけで、それ以外の反応を見せようとしない。
「こないに濡れてもうたら風邪ひくで? 兄ちゃんらとあったかいとこ行かん?」
 ぴくっ。子供の方が震え、兄貴から遠ざかろうとするように、足が引かれた。
(いや、違う)
 兄貴からじゃなく、家屋からだ。もっと正確に言えば、おそらくは家屋に集う人間たちから、か。
 そう理解し、俺も兄貴に倣うように地面に膝をついた。服が濡れるとかは気にしてられない。
「お前……ここに来てる奴らから、何か言われただろ」
 問いかけると、少しの間を置いて頷かれた。的中してしまった予想が忌々しく、思わず舌打ちをしてしまう。途端、怯えたようにぎゅっと目を瞑った子供。即座に兄貴の拳が飛んでくる。
「いって!」
「なぁに余計なことしとんのや! お前はアホか!!」
 しゃがみ込んでいた上に不意打ちだったせいで危うく地面に倒れかけた俺を叱り飛ばした兄貴は、打って変わって優しい仕草で子供の頭を撫でた。
「堪忍な、今のは君にしたんやない。家ん中おる奴らがムカついてしもうてな」
 真摯に謝る兄貴に警戒を解いたのか、子供が体中に込めていた力を僅かに抜いた。弛緩したその矮躯を見て、兄貴が子供の手を取る。
「とりあえず、中入ろな。さっきも言うたけど、ここにおったら風邪ひいてまうわ」
「っ」
「大丈夫や、ワシらがそばにおるから、アイツらには何も言わせへん。せや、指切りしよか」
 言葉と共に差し出された兄貴の小指に、子供のそれがおずおずと絡んだ。そして、「ゆーびきーりげーんまーん」と歌に合わせて軽く振り、歌詞の終わりと共に離す。それから兄貴は子供の身体を抱き上げた。接した部分から服が濡れていくが、まったく気にした様子もない。
「行くで、真」
「おー」
 声を掛けられ、三人で家屋へ向かう。
「しっかし、わざわざ雨ん中に出んでもええんとちゃう? びっしょびしょやん」
「……」
「絶対パンツまで濡れとるやろ。気持ち悪うない?」
「……」
「せやろー。中入ったら、まず着替えよなぁ」
 兄貴がしゃべり、子供が無言で頷く。元来の性格かは知らないが、どうもそいつはしゃべりたくないようだ。それでもコミュニケーションが成り立つあたり、兄貴の社交性が凄まじいのは間違いないだろう。俺だったら絶対に真似できない。
 そうして屋根の下に戻った俺たちを迎えたのは、お世辞にも好意的とは言えない視線だった。一瞬だけ部屋の仲が静まり返り、そしてまたひそひそと小さく話し始める声。聞き耳を立てるまでもなく、話題の中心は俺たち三人のことだと判った。
「うっぜぇな……」
「真」
 小さく毒づく俺を制し、兄貴が腕の中の子供に胡散臭い笑顔を向けた。
「ほな、着替えてこよか」
「……」
 こくんと頷く子供を抱えたまま、すたすたと廊下に出ていく兄貴。それに従い、俺も部屋を後にした。

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