【やろうと思えばできること】

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日常的スピリチュアル、安田です。

最善を尽くすというのは
できることに精一杯の
投入することをいいます。
当たり前のことなのですが
この当たり前のことが
できない人が多いのです。
投入する歩みというのは
苦しい歩みなのです。
常にヤル気に満ちていて
モチベーションが高ければ
歩み続けることができますが
私たちの心も身体も
バイオリズムがあるので
調子が良いときもあれば
悪いときもあります。
歩み続けるには
ヤル気、モチベーションに関係なく
投入することが必要なのです。
基準を立てる歩み
上げる歩みをするには
できること
やろうと思えばできることを
続けていくしかないのです。
努力を続けることが
できている人でも
ヤル気が出ないときもあるし
モチベーションが低いときもあります。
ヤル気が出ないとき
モチベーションが低いときに
試されるのですが
習慣の力が
身についていれば
やるべきことを
淡々とやることができます。
真面目な人は
ヤル気がないといけない
モチベーションが
高くないといけないと
思い込んでいますが
やるべきことができていれば
何の問題もありません。
やっていることに
気持ちがこもっていなくてもいいのです。
投入というのは
今の瞬間の状況から
精一杯の投入をする
ということです。
感情がどうであれ
投入ができていればいいのです。
私たちは
気持ち、感情に
左右されてしまうのですが
気持ち、感情に関係なく
やるべきことができればいいのです。
やろうと思えば
できることというのは
コントロールができることなのです。
コントロールできることに
最善を尽くすことで
投入することができ
基準を上げる歩みが
できるようになるのです。
苦しい歩みを
続けていくには
より大きな目的が
必要なのです。
自分だけの目的
目標であれば
勝手に諦めても
何の支障もないのですが
より大きな目的であれば
諦める訳にはいかないのです。
苦労というのは
より大きな目的のためなら
することができるのです。
自分だけの目的
目標のためには
苦労したくないのです。
わざわざ苦しい思いをしてまで
自分の目標を達成したいとは
思わないのです。
より大きな目的というのは
漠然としていてもいいのです。
現実的には、大したことが
できなくてもいいのです。
志だけを大きく持ち
その志を原動力にすることで
投入する歩みができるのです。
今の時代は
恵まれた環境なので
精一杯の歩みをするのが
簡単ではないのです。
わざわざ苦しい思いを
する必要がないのです。
無難に歩むことができ
生きることができるので
投入する歩みが簡単ではないのです。
なので
「何のために歩んでいるのか」と
原点に帰る思考が必要なのです。
同じような歩みを
繰り返していくと
惰性的になりやすいし
マンネリ化しやすくなり
目的を見失ってしまい
動機がぼやかされてしまうのです。
それこそ、毎日、毎朝
何のために歩むのかを
明確にしていくことで
精一杯の歩みができ
投入する歩みが
できるようになります。
より大きな目的のために
歩んでいくことで
大きな視野から
目の前のことに
投入することができます。
投入する歩みによって
真空状態をつくることができ
その真空は
自然に埋まるようになるので
何の心配もなく
歩み続けることが
できるようになります。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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