【試練は罰ではなく、気づきを与えてくれる】

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日常的スピリチュアル、安田です。

試練が与えられると
罰が与えられているように
解釈してしまう人がいますが
試練は罰ではなく
気づきを与えてくれるのです。
気づきというのは
悟りでもあるのですが
悟りの境地に至るために
試練が与えられます。
試練を罰として
捉えてしまうと
身動きが取れなくなり
視野が狭くなってしまい
極端になれば
常にビクビクしながら
生きるしかないように
なってしまうのです。
宇宙も、神様も
私たちに罰を与えません。
気づきや悟りを与えるために
刺激として、試練を与えるのです。
人によって試練の度合いが違うのは
悟るべき境地が違うのと
悟るのに必要なことが
違うからなのです。
試練はできる限り
避けたいのですが
試練を試練として
捉えないのと
自分から主体的に
追い込むことができれば
与えられた試練を
小さく見ることができます。
現実的に、いつ、どのように
何が与えられるのかは
分からないのです。
試練は罰ではないと
知っていても
受け入れることは
簡単ではないのです。
宇宙や神様は
気づけるまで
悟れるまで
容赦なく
試練を与えることが
ありますが
成長するために
与えられるのです。
人が成長するのは
宇宙の法則であり
原理原則の道であるので
避けることはできません。
成長することを
拒否することは
できないのですが
成長することを
拒否したり
諦めたりすると
刺激として
試練が与えられます。
今の時代は成長欲求を満たすことで
宇宙の法則、原理原則に
合わせることができるのです。
成長する努力をしないというのは
時代の波動からズレているということです。
過去の時代は
生きていくだけで
精一杯だったので
成長することを
願えなかったのですが
今の時代は
成長することを願い
成長するために
歩むべき時代なのです。
時代の波動とズレていることを
修正するために試練が与えられ
悟れるように導かれていくのです。
今は内的な試練が
与えられる時代なので
心理的な葛藤を
多く感じるのです。
心理的なことというのは
逃れることができないので
より苦しくなるのです。
感じたくない感情を感じるのが
内的な試練なのですが
内的な試練によって
本質に気づくことができ
悟りの境地に至れるのです。
内的な試練を
越えていくには
日常の努力を
積み重ねていきながら
成長欲求を満たす歩みを
していくことで
いつの間にか
内的な試練を越えています。
葛藤していると
複雑に考えてしまうのですが
複雑に考えても
どうにもできないので
成長することだけを
考えてください。
他の人、周りの人が
どうであるかはどうでもいいので
自分の成長欲求を
満たすことだけを
考えればいいのです。
人の成長には
時間がかかりますが
日常の歩み
努力を積み重ねることで
着実に成長することができます。
現実的には
一日一ミリ程度しか
成長はできないのですが
一ミリを積み重ねていけば
着実に成長ができるのです。
学ぶこと、実行すること
瞑想、運動を続けることで
成長欲求を満たすことができ
今の時代の波動に合わせることができます。
試練を罰と捉えないためにも
日常の歩みの土台が必要なのです。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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