【使命を全うすることは諦めてはいけない】

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日常的スピリチュアル、安田です。
自分の夢や目標は
勝手に諦めてもいいのですが
使命を全うすることは
諦めてはいけないのです。
なぜなら
使命は「天命」だからです。
天命というのは
自分の意志と関係なく
与えられることなのです。
やりたいことが
分からないというのは
使命、天命が
与えられているので
敢えてやりたいことが
分からないように
されているのです。
なので
やりたいことが
分からない人は
無理にやりたいことを
探そうとしなくてもいいのです。
使命、天命が
与えられることを
待っていてもいいのです。
「やりたいことが分からない」
ということで
悩んでいる人が多いのは
それだけ使命、天命が
与えられる人が
多いということでもあるのです。
今の時代の使命
天命というのは
時代を切り替える
使命、天命が与えられるのです。
やりたいことが
簡単に見つかる
あるいは
無意識に見つかる人は
それが与えられた使命なのです。
自分で立てた夢や目標は
諦めてもいいのですが
使命、天命は
諦めてはいけないのです。
そして
使命、天命は
諦めないように
与えられるのです。
感覚的に
諦めてはいけないように
感じるのが、使命であり
天命であるのです。
よく「夢や目標を諦めてはいけない」と
教える人がいますが
実現不可能なことであれば
諦めてもいいのです。
実現可能か
不可能かは
感じる境地なので
感じたままに
諦めないか
諦めるかを
選べばいいのです。
ただ使命、天命は
無理難題なことでも
諦めてはいけないのです。
それこそ生涯をかけても
全うするまで諦めてはいけないのが
使命であり、天命であるのです。
「使命を全うする」というと
何となくカッコ良さもありますが
実際は大変なことなのです。
ある意味、一方的に
「これをやりなさい」
と与えられて
周りの無理解によって
足を引っ張られることもあるので
非常に理不尽に感じることもあります。
それでも
「諦めてはいけない」
と言われるので
残された道は
全うするしかない
道だけなのです。
使命というのは
与えられることなのですが
天から頼まれている
ことでもあるのです。
天から頼まれているので
断ることができないので
全うする道しかないのです。
使命、天命というのは
非常に大きなことなので
現実の私たちの実力と
大きなギャップがあります。
使命を全うする実力は
努力をしていくことで
身につけることができますが
どんなに努力をしても
不足さを感じざるを得ないのです。
私たちが
どんなに基準を
上げることができても
天的な基準というのは
限りなく大きいのです。
使命が大きい人は
天的な基準に近いことが
求められるので
試練も大きいのです。
使命を全うしようとすれば
ボロボロの状態になりますが
それでも
諦めてはいけないという
厳しさがあります。
使命、天命が
与えられている人が
他の人と比べてしまったら
それこそやっていられないのです。
「なんで自分だけ
 こんな境地になるのか」
と、不平不満を
抱きたくなるのです。
これからの時代の
霊的協助は
使命を全うしようとする人に
協助するようになります。
高い意識と
高い基準の歩みする人に
協助するようになります。
なので
使命、天命が
与えられている人は
全うできるように
導かれていきます。
現実的な努力をしていくことで
霊的に協助されることで
使命を全うすることができるのです。
なので
与えられた使命は
諦めてはいけないのです。
たとえ、理不尽さがあっても
諦めないで最善を尽くしていけば
必然的に霊的に協助され
使命を全うすることができます。
今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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