【潜在能力から見た平等】

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日常的スピリチュアル、安田です。
私たちは平等であることを願い
平等であることを信じたいのですが
実際には平等とは
感じられないのです。
平等というのは
表面的には成り立たないのです。
人それぞれで
個性が違い
環境、状況が違い
受けてきた教育が違うので
平等は成り立たないのですが
潜在能力の観点から見たら
平等が成り立つのです。
潜在能力というのは
元々与えられた能力であったり
後天的に身につけることができた
能力でもあるのです。
使命というのは
与えられることであり
実力に見合った使命が
与えられるのです。
使命、実力に見合ったことが
与えられるので平等だということです。
使命が大きい人は
試練も大きいのです。
そして
使命も、試練も
潜在能力で全うすることができ
越えることができるのです。
潜在能力で全うすることができないこと
越えることができないことは
与えられないのです。
もし、全うできないこと
越えられないことが
与えられるとしたら
それこそ
不平等になってしまうのです。
とはいっても
表面的には納得がいかないのです。
隣りの芝生が青く見えるように
隣りの試練は小さく見えるのです。
自分に与えられる試練というのは
どうしても大きく見えるので
他の人と比べてしまうと
納得がいかないし
平等に見えないのです。
与えられた使命はというのは
自分では決められないのです。
いつの時代に
生まれるのかは
選ぶことができないし
生まれた環境
育ってきた環境
受けてきた教育というのは
子どもの頃であれば
選ぶことができません。
人の価値から見たら
全ての人は平等なのですが
不利、有利という
環境、状況があります。
そして、潜在能力の基準に見合った
環境、状況が与えられるので
表面的には
平等には見えないのです。
平等であることは
信じてもいいのですが
他の人と
表面的に比べてしまうと
納得がいかないし
理不尽さを感じてしまうのです。
とくに使命が大きい人は
試練も大きいので
他の誰かと比べてしまうと
やり切れなくなります。
使命は一人一人で
違います。
他の人と同じような使命が
与えられることもありますが
全く同じ使命が
与えられることはありません。
中には、おいしいところばかりを
持って行っているように
見える人もいますが
それでも
潜在能力の観点から見たら
平等なのです。
他の人の使命は
どんなに考えても
分からないのです。
使命を悟らせることは
できるのですが
どのように悟るのかまでは
分かりません。
今の時代の恩恵によって
使命が悟れる環境が与えられ
使命を全うすることができる
時代になったのです。
使命を悟るまでに
時間がかかることもありますが
潜在能力に見合った
使命が与えられています。
その使命を全うすることに
集中して、投入することで
潜在能力の観点から見た
平等を感じることが
できるようになります。
今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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