【葛藤することで心理的な成長ができる】

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日常的スピリチュアル、安田です。


葛藤することは
居心地が悪いので
避けたくなるのですが

成長するためには
葛藤が必要なのです。

人が葛藤するのは
自我意識があるので
葛藤するのですが

自分の基準と合わないことによって
葛藤するようになります。

実際、自分の基準と
ピッタリ合うことは無いのです。

人それぞれで個性が違い
基準が違うので
ピッタリ合うことは
あり得ないのです。

なので、葛藤することは
当たり前のことなのです。

葛藤すること自体は
悪いことではありません。

湧き上がってくる思いというのは
どうにもできないので
批判、否定する必要はないのですが

感情的に振り回されてしまうと
やるべきことができなくなってしまいます。

葛藤することは
避けることができないのですが
やるべきことができていれば
何の問題もありません。

葛藤しながらでも
歩み続けることで
成長することができるのです。

私たちの歩み、努力は
感情を整えてから
歩むのではなく

どんな感情であっても
歩み続けることで
積み上げることができるのです。

葛藤を越えての歩みというのは
苦しいことではあるのですが
その苦しさによって
限界基準が近くなるのです。

常に良い状態で歩みたいのですが
良い状態の維持はできません。

感情は朝夕に変わりやすいので
一定の感情を維持することができないので
葛藤しながらでも歩み続けるしかないのです。

それこそ、毎日、葛藤していれば
毎日、葛藤の峠を越えて
歩むということになります。

葛藤しながらでも
歩み続けていくために
習慣にして、体質にして
ルーティンにすることが必要なのです。

歩めなくなる
努力ができなくなる原因は
感情の問題なのです。

湧き上がってくる感情を
無視することができれば
淡々とした歩みが
できるようになります。

良い意味で
機械的に歩めるようになれば
何を思おうが、感じようが
やるべきことに投入できるのです。

葛藤しながらでも
歩み続けることで
成長ができるのですが

葛藤することで
発想することができ
創造することができます。

新しい発想、創造というのは
生みの苦しみを感じることで
生み出されていくのです。

誰でも感情の安定を
願ってはいるのですが

不安定な感情によって
クリエイティブさを
生み出すことができます。

葛藤することは
避けることができないので
諦めるしかないのです。

葛藤しないように
歩むことはできないので

葛藤しながらでも
歩み続けられる
工夫が必要なのです。

葛藤しながらでも歩み続けることで
心理的な成長ができるのです。

心理的な成長によって
成長欲求、貢献欲求に
目覚めるようになり

積み重ねる歩みが
できるようになります。

葛藤しながらでも
最善を尽くすことが
投入する歩みになります。

最善というのは、今できることを
精一杯にやることであり
投入することをいいます。

葛藤しながらの歩みは
苦しいのですが
その苦しさの先に
恩恵を感じることができるのです。

恩恵を感じるために
葛藤するようなことが
与えられるのですが

葛藤しながらでも
やるべきことができていれば
時代の恩恵を感じることができ
恩恵に合わせることができます。

どんな時代になっても
どんな環境になっても
葛藤することからは
逃れることはできないので

葛藤しながらでも
歩み続けられる
免疫が必要なのです。


今回も読んで頂きましてありがとうございました。

安田 悌


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