【自主的に歩める体質にする】

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日常的スピリチュアル、安田です。

今は主体的に歩まないと
何もできなくなる時代なので
誰かが押してくれるのを
待つ必要はないのです。
受け身体質の人は
漠然と誰かが押してくれること
導いてくれることを
待っているのですが
誰も何も押してくれないし
導いてくれることもありません。
主体的に歩むというのは
自分で決めて
決めた通りに歩むことをいいます。
自主的に歩める体質に
することができれば
自分のペースで歩むことができ
基準高く歩めるようになります。
基準高く歩めることで
成長欲求を満たすことができ
より大きなことに貢献する歩みが
できるようになります。
現実は受け身体質の人が
多いのですが
今の時代には
合わない体質なのです。
受け身でいるしかない
仕組み、環境ができてしまったので
自主的、主体的な歩みが
できなくなってしまったのです。
受け身でいれば
何も考えなくて済むので
楽に歩めるのですが
楽をしながら歩んでも
成長はできません。
受け身でいる人は
指示されたことはできるのですが
指示されないと何もできないのです。
逆に自主的、主体的に歩む
体質になっている人は
指示されたことができないのです。
受け身でいることに
違和感、居心地の悪さを
感じてしまうので
指示されたことが
できなくなってしまうのです。
ただ、指示されたことでも
自分で決めた感覚ができると
自分から主体的に歩めます。
今の時代では
指示されることが
少なくなっているので
自主的、主体的に歩める力
体質が必要なのです。
基準高く歩んでいれば
指示することができなくなり
頼まれるようになります。
高い基準のことを
頼まれるようになれば
成長につながる歩みが
できるようになるのですが
誰でもできるようなことを頼まれても
成長することはできません。
指示というのは
高い基準のことではなく
誰でもできるようなことなので
指示された通りに歩んでも
成長ができないのです。
自主的、主体的な歩みの目的は
成長を基準にした目的でないと
今の時代に合わせた歩みが
できなくなります。
指示された通りに
歩めない人は
自主的、主体的に
歩むことができます。
指示されたことができないと
落ちこぼれのように
見なされてきたのですが
自主的、主体的に歩みたいので
指示されることに違和感
居心地の悪さを感じるのです。
いちいち指示ができない
環境になってきているので
自主的に歩める体質にしないと
歩みにくくなっていきます。
自分で決めて
決めた通りに歩むことで
自己責任を悟ることができ
心理的な自由を感じることができます。
私たちは
決めないと何もできないので
決める力が必要なのです。
「これをやる」と決めることで
決めた通りの歩みができますが
習慣にして、体質にしないと
続けることができなくなります。
どんなことを決めたとしても
継続が必要なのです。
一発勝負的なことを
決めるのではなく
継続して、積み重ねることが
できるようなことを決めてください。
どんなことでも
続けていくことで
習慣にすることができ
体質にすることができます。
自主的に歩めるようになる
体質にしてしまえば
自然に、楽に努力を
続けることができます。
受け身で待っていても
誰も何も与えてくれないので
自主的、主体的に歩むしかない
時代になっています。
自主的、主体的に歩むことで
成長欲求を満たすことができ
貢献する歩みができるようになります。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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