【迷惑かけることは避けれない】

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日常的スピリチュアル、安田です。

私たちは
「人に迷惑をかけてはいけない」
という教育を受けてきたので
迷惑をかけることは
悪いことだと
思い込んでいます。
実際、迷惑をかけることは
避けることはできないのです。
ごく小さなことから
常に誰かに迷惑をかけていて
迷惑をかけられています。
なので、お互い様なのですが
このことを悟れないと
迷惑をかけないように
歩もうとしてしまい
身動きが取れなくなってしまうのです。
これからの時代には
新しいチャレンジが必要なのですが
チャレンジしたら
必ず迷惑をかけるようになります。
なぜなら、チャレンジというのは
無難に歩むことではないから
必ず摩擦が生じ
迷惑をかけるようになります。
多くの人は
無難に歩むことを
好んでしまうのですが
無難な歩みというのは
何の発展性もないし
成長ができないのです。
宇宙の法則、原理原則は
発展、成長するように
働いているので
必然的に変化していきます。
なので、無難な歩みというのは
できなくなっていきます。
現状維持ができなくなり
新しいことにチャレンジするしかない
環境、状況になっていきます。
新しいことに
チャレンジすれば
何らかの迷惑を
誰かにかけるようになります。
使命を全うしようとすればするほど
逆に迷惑をかけてしまうのです。
どんな人でも
嫌われたくないのですが
全ての人から好かれることは
現実的に無理なのです。
逆に、全ての人から
嫌われることも
できないのです。
どんな歩みをしても
迷惑をかけてしまうのですが
逆にどんな歩みをしても
貢献することができるのです。
迷惑をかけないで
貢献だけをするのが
究極の理想なのですが
現実的には不可能なのです。
迷惑をかけているというのは
何らかのことに貢献しています。
貢献しているというのは
誰かに迷惑をかけているのですが
その迷惑は避けられないのです。
何もしないで、無難に歩めれば
迷惑を最小限にすることができますが
発展、成長する歩みはできません。
無難に歩めないので
チャレンジが必要な
時代になっていきますが
迷惑をかけてしまうことを
避けようとしてはいけないのです。
何となく、罪悪感を
感じることがありますが
迷惑以上に
貢献できることを
信じていけばいいのです。
大抵、大きな迷惑をかける人は
大きな貢献ができるのです。
矛盾しているようなのですが
迷惑と貢献は正比例するのです。
新しい時代には
新しいチャレンジが必要なのですが
大抵の人は、新しいことを
受け入れることができないのですが
チャレンジすることで
摩擦が生じてしまい
迷惑をかけてしまうのです。
摩擦が生じているというのは
チャレンジしているということであり
何らかのことに
貢献しているということです。
摩擦というのは
一時的なことなのですが
その摩擦によって
メンタルが病んでしまうこともあります。
チャレンジすることで
摩擦が生じるので
面倒に感じるのですが
その面倒なことの先に
貢献することができるのです。
迷惑をかけること
摩擦が生じることは
避けることができないのですが
葛藤しながらでも
やるべきことができていれば
前に進むことができます。
いずれは、誰もが新しいことに
チャレンジするしかない時代になるので
迷惑をかけること、摩擦が生じることを
避けることができなくなります。
より大きな目的に
貢献することができれば
迷惑、摩擦に
罪悪感を感じなくなります。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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