【願いを叶えることよりも、成長を願う】

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日常的スピリチュアル、安田です。

願い求めることは必要なのですが
願いと成長が一致することで
本当の意味で欲求が満たされます。
願いを叶えることを
目指していくことで
成長することができれば
成長欲求を満たしながら
発展的な歩みができます。
時代の基準が
上がっているので
願いの基準も
上げていかないと
時代の恩恵に
合わせることが
できなくなります。
ただ、今の時代の環境は
成熟しているので
何を願ったらいいのかが
分からなくなっています。
生きていくだけであれば
何も願わなくても
何の支障もないのです。
時代の厳しさによって
諦めてしまい
何も願えない人もいれば
何を願ったらいいのかが
分からない人もいます。
過去の時代は
モノが不足していたので
モノを手に入れることを
願うことができたのですが
今の時代では
モノが余っているのと
モノに対しての
執着が弱くなっています。
心霊基準が上がることで
何となくでも
モノでは満たせないことを
悟っているので
過分にモノを
求めなくなっています。
本質の時代になることで
本心基準の願いに
目覚めているのですが
本心基準の願いは
努力をして
成長欲求を満たすことなのです。
建設していくには
現実的な結果も
必要なのですが
結果と成長が一致していないと
結果を出しながら
空しさを感じてしまうのです。
ある意味
非常に面倒な
時代でもあるのです。
内外で満たされないと
空しさを感じてしまうので
願いの次元を上げていくことが
求められているのです。
願いは、結果であり
コントロールができないのですが
成長欲求は努力をすることで
満たすことができるのです。
願いを叶えることを
求めていくのは
毎日一回一瞬でいいのです。
目指していることを
忘れないための
確認をしながら
現実の目の前のことに
最善を尽くしていけばいいのです。
常に何かを願っていると
目の前のことに
集中することができなくなり
投入することができなくなります。
何を願ったらいいのかが
分からなくても
成長のための努力は
必要なのです。
より大きな目的を
目指していくことで
自分の願いが
分かるようになります。
願いや目標が分からない
立てられない時期は
無理して目指すことを
決めなくてもいいのです。
願うこと、目標というのは
理屈で決めることではなく
感じている境地であり
好奇心からの欲求でもあるのです。
目的というのは
より大きなことであり
漠然としたことなので
目指しやすいのですが
願い、目標というのは
現実の延長線上で
目指すことなので
好奇心が弱いと
目指すことが
分からなくなります。
願いや目標は
成長段階によって
変化していきます。
過去に願っていたことが
達成できていなくても
成長することで
願いの次元が上がります。
子どもの頃に
願っていたことと
今の願いが違うように
成長の段階によって
願いが変化していくのは
ごく自然なことなのです。
達成できていない願いは
宿題ではないので
切り捨てていいのです。
今の成長の基準で
願っていることを
目指していけばいいのです。
本心基準の願いを
悟ることができる
時代の恩恵がありますが
本心基準の願いは
成長欲求、貢献欲求を
満たすことであり
本心基準の
欲求を満たすことで
着実に建設する歩みが
できるようになります。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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