【情報発信で自己主張する】
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学び
日常的スピリチュアル、安田です。
自己主張というと
あまり良い印象ではないのですが
今の時代には
自己主張が必要であり
自己主張によって
気づきや悟りが与えられるのです。
誰でも情報発信ができる
環境ができているというのは
自己主張をするべき
時代だということです。
自分が気づいたこと
悟ったことというのは
自分にだけ留めておいては
いけないのです。
自分に与えられたことは
他の人に必要な場合があるので
自分だけに留めてしまうと
使命を全うすることが
できなくなります。
これは大げさなことではなく
発信をすることで
使命を全うすることができ
責任を全うすることができるのです。
情報発信というのは
単に知っていることを
自慢するためではなく
与えるためなのです。
知っていることの自慢であれば
発信をし続けることはできません。
常に学ぶことは
必要なのですが
学んだことだけを
そのまま発信するには
限度、限界があります。
情報発信は
続けることで
極めることができ
投入する歩みをすることで
真空をつくることができ
その真空は自然に埋まるのです。
情報発信をすることで真空ができ
埋まることが悟りの境地なのです。
情報発信をすればするほど
より悟ることができ
悟ったことを発信することで
さらに悟れるという
好循環ができるのです。
悟りの境地は
人にしか至れないのです。
他の動物は
本能のままに生きることは
できるのですが
悟ることはできません。
いくら人工知能が
優れたとしても
悟ることはできないのです。
なので、悟ったことを
発信することは
人にしかできないのです。
悟ったことを
言語化していくことが
発信力なのですが
情報発信を続けることで
身についていきます。
感じている境地を
言語化していくことで
気づきや悟りを
与えることができるのです。
これからより
発信力の強化が
求められてきます。
自分が悟ったことを
自己主張していくことで
与える歩み、投入する歩みが
できるようになるのです。
今の時代に
求められていることは
学んで知ったことを
教えることではなく
学んで悟ったことを
教えることなのです。
誰が教えても
同じことであれば
自分で調べればいいのです。
悟りの境地というのは
人それぞれで違う境地があり
共感できる境地でもあるのです。
時代が進むことで
今までの知識、情報に
行き詰まりを感じるようになり
悟りの段階を
求めるようになります。
いつの時代の教えも
結論的なことは
同じなのです。
結論は同じなので
学ぶ必要はないのですが
悟れていないので
学び続けているのです。
とくに現代人は
知識、情報が
ありとあらゆる方面から
否応なしに入ってくるので
知りたくもないことまで
知っているのです。
意図的に情報をシャットアウトしても
情報が入ってくる環境なので
知識、情報の価値が麻痺しています。
これからの教育は
悟れるように導く
教育が求められてきます。
同じことを
伝言ゲームのように
伝える教育ではなく
悟ったことを教えていき
悟れるように導く教育が
求められていくのです。
教育というのは
時代と共に発展していかないと
行き詰まるようになるのです。
同じことを教育していたのでは
時代の変化によって
合わなくなってしまうのです。
自己主張からの教育によって
新しい時代に合った教育ができ
気づき、悟りを与えることが
できるようになります。
今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌