【スピリチュアル活用時代】

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日常的スピリチュアル、安田です。

スピリチュアルというのは
単に見えない境地を
信じるということではなく
見えない世界と
共に歩むことをいいます。
私たちの現実の歩みというのは
大したことはできません。
目の前の小さなことに
最善を尽くすことしか
できないのです。
大きなことを
しているように
見える人もいますが
最初から大きなことが
できたのではないのです。
地道な努力を続けていく中で
少しずつより大きなことが
与えられてきたのです。
導かれること
与えられることというのは
私たちの力では
どうにもできないのです。
努力をすること
最善を尽くすことはできても
導き、与えられることは
コントロールができません。
全てを自分の力で
成していると
錯覚している人がいますが
現実の歩みというのは
どんなに最善を尽くして
限界を越えた基準で
歩んだとしても
膨大な宇宙の中の
小さなコマを
少し動かして
いるようなものなのです。
なので
見えない世界
境地からの導きは
否定できないのです。
努力をすることは
自己責任なのですが
努力ができるように
導かれることで
努力ができるのです。
環境というのは
自分で意図的に
変えたとしても
導かれなければ
与えられないのです。
どんなに好きなことでも
使命でなければ
導かれないし
与えられません。
スピリチュアルを
活用するというのは
単に願いを叶えてもらうという
低次元のことではありません。
与えられた使命を
全うするために
スピリチュアルの活用が
必要なのです。
願っていることが
そのまま使命になることもあるので
願うことを否定しなくてもいいのですが
願いと使命が一致しない場合は
使命を優先するべきなのです。
なぜなら
どんなに願っても
使命でなければ
導かれないからです。
スピリチュアルを
活用するといっても
難しいことではなく
現実の歩みに
投入していけばいいのです。
現実の歩みというのは
できることしかできないので
努力をし、最善を尽くして
投入していくだけなのです。
見えない世界ばかりを
意識してしまうと
現実の歩みを
軽んじてしまう人がいますが
この世の私たちの歩みは
目の前のことに
最善を尽くすことしかできません。
中には、霊的に見える
聞こえる、感じるという
能力を持っている人もいますが
霊的に敏感であるから
有利ということではありません。
霊的に鈍感でも
原則的な歩みができれば
スピリチュアルの活用が
できるようになるのです。
スピリチュアルは
自分次元の意識では
活用できません。
低次元の意識で
スピリチュアルを
活用してしまうと
スピリチュアルの活用が
仇になってしまうのです。
霊的に見える
聞こえる、感じる人は
本来の使命が悟れないと
霊的な敏感さが
仇になってしまうのです。
スピリチュアルを
活用する時代だからこそ
使命の悟りが必要であり
現実の歩み
努力が必要なのです。
霊的な鈍感さは
何の問題でもないし
鈍感ゆえに
歩みやすくなります。
霊的に振り回されるのであれば
鈍感なくらいが丁度いいのです。
スピリチュアルを
活用する時代になったといっても
原則的なことは変わりません。
霊的世界から
一方的に奇跡的なことを
起こすことはないのです。
ただ、環境的に
そうならざるを得ないように
自然な形で導くことがあり
その導きによって
与えられた使命が
全うできるようになります。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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