【挫折しても責めない】

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日常的スピリチュアル、安田です。

挫折をしてしまうと
自分を責めてしまうのですが
挫折することは使命ではないし
才能ではないのです。
必要ないことなので
挫折してしまうのです。
どんな人でも
全てのことができるのではないし
全ての分野に携わることはできません。
なので、一つ、二つの分野を
挫折したとしても
大した問題ではないのです。
分野というのは
無数にあります。
一つの分野の中にも
無数の分野があるので
選択肢はいくらでもあるのです。
例えば
スポーツの分野だけでも
どのくらいの分野があるのか
分からないのです。
新しく生まれる分野もあるので
分野は無限に増え続けるのです。
ほぼ無限にある分野の中で
わずかな挫折をしただけなので
責める必要はないのです。
挫折を責めてしまうのは
視野が狭くなっているので
その分野しか見えないからです。
視野というのは
現実に見えることだけを
基準にしてしまうと
限りなく狭くなります。
より大きな意識をすることで
視野を限りなく大きくすることが
できるようになるのです。
使命や才能を
悟ることは必要なのですが
そうでないことを
悟ることも必要なのです。
使命を悟るのに
時間がかかることもありますが
時間をかけて悟った使命には
より大きな目的があります。
あるいは、才能にしても
時間がかかればかかるほど
生涯、続けることができる
才能になるのです。
時代の変化が早いので
常に煽られているような
感覚になりやすいのですが
どんなに時代の変化が
早かったとしても
悟りには時間がかかります。
挫折を繰り返したり
落とされるような
境地になったりと
どんなことをするにしても
スムーズにいくことはありません。
スムーズにいかないが故に
成長ができるのです。
私たちの無意識は
失敗を恐れていて
失敗を避けようとするので
新しいことに
挑戦できないのです。
挫折すること
落ち込むことに
恐怖を感じているのです。
挫折をしても
誰も何も責めないのですが
自分で自分を責めてしまうので
挫折することに
恐怖を感じてしまうのです。
人は他人には興味関心がないので
失敗しても、挫折しても
誰も何も覚えていないのです。
失敗した本人の記憶にしか
残っていないのですが
その記憶が蘇ってしまうと
新しいことに
挑戦できなくなります。
記憶は完全に消すことは
できないのですが
小さくすることができます。
瞑想の習慣によって
記憶を小さくすることができ
記憶が小さくなることで
新しい挑戦ができるのです。
今の時代、これからの時代は
過去の事例を基準にするのではなく
事例にないことに
挑戦することが
求められてきます。
事例にないことなので
挑戦して、失敗しても
挫折したとしても
責める必要はないのです。
事例にないことを
見つけていくには
より投入する歩みが
必要なのです。
投入することで
真空をつくることができ
新しい発想ができます。
事例にないことに
挑戦していくことで
新しい経験、体験ができ
飛躍につながる歩みが
できるようになります。
今は挑戦しやすい
時代の恩恵があります。
現実の環境の中で
歩んでいくのですが
ごく小さなことに
挑戦していくことで
経験、体験を積むことができ
より大きな目的に
連結する歩みが
できるようになります

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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